第8話 ヨウコの旦那様

「旦那様♪ 旦那様♪ 旦那様~♪」


 帰宅後。どんな非道な仕打ちを受けるのだろうと戦々恐々としていた俺を待ち受けていたのは、ヨウコの甘えん坊攻勢だった。帰宅するなりヨウコは抱きついてきてスリスリと頬ずりを始めた。


 スリスリスリスリ~


 子犬のようにじゃれついてくるヨウコの頭を撫でながらテラスでトリスと話したことを包み隠さず報告した。対してヨウコは終始肯定的な相槌を打つだけだった。話を聞いていないだけかもしれないけどそんなこと問題じゃない。いまはヨウコの機嫌が直るかどうかが重要だ。


「ん~♪」


 肩にうりうりと額を押し当ててくるヨウコのケモ耳が頬をくすぐる。出会った頃よりも毛艶が良く抜け毛なんて全くないケモ耳を摘まむ様に撫でる。

 気持ちよさそうに耳を撫でられていたヨウコは額を離して両耳を差し出す。期待の籠った上目遣いでこちらをチラ見する姿はとても可愛いらしい。


 くしゅくしゅ


 両耳を同時に撫でてやるとヨウコは締まりのない表情でくぅーんと鳴いた。どこから出てる声かは不明だが、満足そうだからよし。そのまま両耳くしゅくしゅを続けているとヨウコは胸に飛び込んできた。

 くぅーんくぅーんと頬ずりしてくる彼女の姿にチクリと胸が痛んだ。

 思えばキッカケがなんであれ俺たちはパートナーなわけだ。童貞ピュアな俺を経験豊富ビッチなヨウコが酒盛ったうえで押し倒したのが始まりだったとしても、だ。そんな俺がトリスと抱き合ってたりなんてしたら穏やかではいられないよな。それをこんな風に甘えてくるだけで済ませるなんて寛大な措置もいいところだ。

 なら、俺もちゃんと謝るべきだ。どう切り出そうかと思案しているとヨウコが俺を見上げて満面の笑みを浮かべた。


「旦那様は最低のクズです!」

「ぐぼぁ……⁉」


 なんでぇ⁉ なんでこのタイミング、ベストスマイルでその台詞ぅ⁉


「よその女を抱いた身体を清めもしないままヨウコのことを抱きあまつさえ誤魔化しのためにヨウコの耳を撫でまわしています! さもいつくしんでいるかのような指使いで!」

「うっ⁉ ぐぐぐ……!」


 全部が全部ヨウコの言う通りではないにしても、確かに半分くらい正解だ。亜人のヨウコからしたら気になることかもしれない。


「悪かった! いますぐにでも……!」

「いいえ。このままで結構です。お構いなく」


 ヨウコを引き剥がしかけた俺を彼女が制止する。


「ヨウコ……?」

「旦那様は最低のクズです。それでもヨウコの旦那様。ここはお任せください」


 そう言ってヨウコは再びスリスリと身を寄せてきた。いったいこれはどういうことだ?


「上塗りします。旦那様の身体に染みたベアトリスさんの匂いを」

「お、おう……」

「それにしても! 甘くてクラクラするようないい香りですね、彼女は……!」


 ごしごしと頭をこすりつけてくるヨウコの言葉に先刻の情景がフラッシュバックした。確かにあれはトリスの力強さと優しさ情熱に触れた瞬間だった。などと想っているとヨウコの動きが止まっていた。


「…………」

「……あれ? ヨウコ?」

「旦那様……?」

「はい、なんでしょうか?」

「血ぃ、流しましょうか?」


赤くきらめく亜人の瞳と刀のように鋭く尖った爪がひらめいた瞬間をスローモーション映像のように俺は見た。ヨウコの爪が俺の肌に触れた瞬間は熱く、間延びした刹那の後――とても痛かった。


「ぎゃああっ⁉」


  

 § §



「んふっ♪ うふふ♪ 完璧。素敵です旦那様♪」

「……ああ、ありがと」


 あの後、ヨウコに何度か引っ掻かれて流血しながらマーキングは続いた。ヨウコは元の長さに戻した爪をペロペロしながら俺を見下ろす。


「旦那様の鉄の香りとヨウコの匂いが混ざり合ってぇ、とても素敵ですよ旦那様♪ 興奮しちゃいます!」

「ああ。そう、だな……」


 未だかつてない調子で息を荒くしているヨウコが恍惚の表情で身をよじらせている。正直ちょっと……いや、だいぶ気持ち悪い。コイツ絶対性癖歪んでるぞ。 

 ヨウコは満足したのかポフッ、と倒れ込んできた。こんな華奢な身体で無茶苦茶するんだから女って怖い。


「ベアトリスさんは強敵でしたが、ヨウコの勝ちです」

「そっかぁ」

「しかし実際しっかりした匂いでした。香水でも使っていたのでしょうか?」

「トリスが? それはないんじゃないか? そんなイメージないぞ?」

「分かりませんよ? もしかしたら旦那様との逢瀬おうせに期待を膨らませて一振り二振りしたのかもしれません。人間族は姑息です」

「お前なぁ……」

「彼女も女。つまりメスです。旦那様は女の熱情というものを分かっていません。ヨウコとの蜜月を思い出してください‼」

 

 なんてこと言ってくれるんだ。俺はトリスに本気で憧れを抱いているんだ。あの高潔さと暖かさは性別とか超越した代物だぞ。


「トリスがそういうことをするとは思えねぇよ。まして俺相手だったら尚更だ」

「はぁ~! 旦那様はバァカですね。お馬鹿さんです」

「なんだとぉ⁉」


 やれやれと肩をすくめるヨウコは可愛そうな子でも見るような目で俺のことを睥睨へいげいする。それから仕方ありませんとため息混じりに呟き向き直った。


「旦那様。この際ハッキリ言っておきますが、旦那様は少なからずモテます。気をつけてください」

「はぁ? お前こそ馬鹿か?」

「まあ、聞いてくださいよ。この街ではその黒髪は目を惹きます。ヨウコも素敵だと想います」


 そう言って俺の髪をピッと指す。言われてみれば自分以外の黒髪の人間と出会ったことはない。


「それとヨウコと出会ったばかりならともかく、いまの旦那様はそこそこいい身体をしています。美味しそうです。というか美味しいです……!」


 言いながら俺の身体を舐めるように見つめるヨウコ。というよりタッチしてる。あと台詞終わりの所感がうるさい。でも確かに栄養状態の良い現代人の体格はこの世界じゃそれなりのものだ。俺よりも長身のトリスなんかは例外中の例外だ。それに異世界コッチに来てからはチートを活用しながら身体も鍛えている。なんたって命がけだからな。猫背な引き籠りのままではいられないのだ。


「珍しく目を惹く特徴とそれなりに恵まれた体格を持つ異性。そう聞いたら、ソソりませんか?」

「……否定はしない」

「それがヨウコの旦那様です! そう、メスの方から寄り付いてきても不思議ではないのです」

「マジか……?」

「マジです! ヨウコ正直気が気じゃありません」

「そう、なのか……」

「おまけに旦那様の竿はチートの影響女神様の祝福で疲れ知らず!」

「……ノーコメントで」

「だからヨウコは対策を打ちました!」

「……うん?」

「そんな素敵な竿に呪いをかけました!」

「ちょっと待てよ、てめぇ……‼」


 立ち上がりヨウコのケモ耳を握って締め上げる。なんかいまコイツ、とんでもないこと言わなかったか?


「ヨウコ……お前、俺になにをしてくれたって?」

「旦那様のナニを呪詛祝福しました」

「ぐ、た、い、て、き、に、は……⁉」


 ぎゅう……!


「痛いです! 旦那様の素敵な竿にヨウコの魔虫を寄生させました! これで浮気は一発で分かります!」

「なにしてくれてんだぁぁ⁉ お前はぁっ⁉」

「ご心配なく! 魔虫が旦那様にとって無害なのはご存知でしょう? よその女と密通しない限りは何も起こりはしません」

「……した場合、どうなるんだよ?」

「泥棒猫の腹の中で魔虫が増殖し、猫は死にます」

「…………」


 なにそれ怖い。どうしてコイツはそんなドヤ顔で猟奇的な告白が出来るんだ?


「ヨウコの旦那様をヨウコから奪おうとする泥棒猫なんてお腹パァンで死んじゃえばいいんです♪」

「ひぇっ⁉」

 

 嘘だろコイツ。万が一にもトリスあたりがそんなことになったらどうする気だったんだ。


「彼女は決して悪くはありません。旦那様は素敵な方。惹かれたとしても不思議な事ではない。しかし罪は罪。ましてそれが大罪ならばあがないは必要です」


 なにコイツ。なんで自分が正義みたいな物言いしてんの? 超怖いんですけど⁉


「旦那様は自分を傷つけられるよりもメス猫を痛めつけたほうが堪えるでしょう? 優しいひとですものね?」


 優しく俺の胸を撫でながら訊ねるヨウコ。そういうところだけはツーカーだな⁉

 テイラーさん。トリス。俺こいつをどうしてやったら良いんだろう?

 ああ、そうか。ヨウコの呪いを解くなり魔虫の毒性を無効化する方法を見つければいいんだ。ここは剣と魔法のファンタジー、きっと方法はあるはずだ。そうすればヨウコも真っ当な恋愛が出来るようになる。


「旦那様♪ 旦那様♪ 旦那様~♪」


 甘えるヨウコの頭を撫でながら俺は遠くを見つめ新たな決意をしたのだった。


「皆ぁ、俺ぇ頑張るよ……!」

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