第7話 誘い重なり囁き 血ときつねとアームロック

「トリス?」

「隣、いいか?」


 テイラーさんと入れ替わりで現れたトリスが俺の隣に腰かけた。マントと甲冑は外したラフな格好で足取りは少しおぼつかない。夜風に撫でられ揺れる金髪はいつも通りだけど、普段は人目に晒されない肩口の白い肌には赤みが差していた。


「なにを話していたんだ? テイラーは余計なことを言った、らしいが?」

「うん。まあ……余計なこと」

「そうか。まあいい。おかげで得をした」

「どういうこと?」

「コッチの話だ」


 そう言ってトリスは笑いながら手元にあった硬貨をもてあそび始めた。どうも酔っているらしい。彼女はニヤッとしながら硬貨を差し出して何か飲むかと尋ねてきた。奢ってくれるみたいだけど、これ以上酔っぱらうのはお互いマズイと思う。


「ありがとうトリス。でも、水飲んだ方がいいよ?」

「そこまで酔ってないぞ、私は?」

「そうだね。俺が水飲みたいから、ついでにもらってくるよ」

「ん、そうか。任せる」


 酔っ払いの『酔ってない』は決して否定はせずにとにかく水を飲ませるに限る。俺の隣にかけてからトリスは暑い暑いとしきりに胸元をバフバフとさせていて目に毒だ。いや、大変素晴らしい光景なのは間違いないんだけど。話もあるみたいだし、トリスをそういう目で見るのは正直罪悪感を覚えるからな。

 

「はい、お水」

「ああ。ありがとう」


 必要ないと言っていたけど受け取るとトリスは一気に水を飲み干してしまった。なにからなにまで豪快だ。一息ついて落ち着いたのかいつもの凛とした雰囲気が戻ってきた。 


「なあ、きつね憑き」

「なに、トリス?」

「市の騎士団に入らないか? 当然ヨウコと二人で、だ。名前こそ騎士団だが団員の多くは元々は荒くれ者だ。すぐに慣れる」

「トリスは……なんでそこまで俺たちを仲間にしたがるの?」

「冒険者稼業は結局腕っぷしがものを言う。腕の立つ仲間が欲しいのはどこも同じだ。ウチも大所帯になってきた。尖った能力の持ち主が仲間に是非欲しい」


 確かに俺たちはこの街の冒険者を基準にすれば腕の立つ方だ。能力が尖っているというのも間違いない。俺はHPと防御力がかなり高く、ヨウコはMPがケタ違いに高く素早さもある。だから戦闘の際には俺が前衛で盾になってヨウコは後衛で各種サポートと弓による狙撃を行うという分担になっている。

 この世界にレベルという概念はなく各能力ステータス技能スキルに対する熟練度を上げることで強くなることが出来る。例えば『ダメージを受け、回復する』を繰り返すことでHPの最大値が上昇する。一芸に秀でた鍛え方がしやすい理屈システムになっていると言えるだろう。それでも俺たちほどピーキーな能力ステータスの冒険者は滅多にいない。偏った鍛え方をしようとすれば危険も多くなるからだ。


「高評価ありがとう。けど、いままで通り共闘でもいいんじゃないかな?」

「色々と手間が省ける。巨大生物の襲来続きでこの街のモンスターの出現はかなり多くなっている。仲間は多い方が……」

「トリス、なにか隠してる?」

「…………」


 続きを待たずに発した俺の質問にトリスは押し黙った。カマをかけてみたわけだけど、大当たりらしい。

 トリスの言い分は正論だ。けど弱小パーティーの側に得の多い話に思える。市の騎士団からきつね憑きに提案する内容じゃない気がするし今日のトリスはちょっとおかしい。


「……きつね憑き、こっちに来い」

「えっ、なに?」


 お手上げのポーズをしてみせてから手招きをするトリスに誘われて彼女のすぐ傍まで寄ると、肩を掴まれそのまま強引に抱きしめられた。


「えっ⁉ ちょっと、トリ――」

「このままで聞け……!」


 耳元で鋭い声で制止され、俺は大人しくすることにした。どうもこれはヤバい話みたいだ。



 § §



 しばし身を寄せ合っているうちにトリスが俺の手を取り自分の肩と腰に回して抱き合っているような体勢になった。体格差から俺が彼女の胸に顔をうずめながら抱き留められているような格好になってしまった。恥ずかしい。


「少しは落ち着いたか?」

「……うん」


 まったく落ち着きはしないけど、そう言わないことには話が進まない。トリスは俺の頭を撫でながら優しい声で危険な内緒話を始めた。


「巨大生物討伐にあまり入れ込まない方が良い」

「なぜ?」

「色々とおかしいだろう? 特に国の対応が。考えればに落ちないことが多い」


 前々から変だなと思っていたことはたくさんある。俺がこの街に流れ着いた時には巨大生物の襲来は当たり前になっていたから深く考えはしなかったけど、確かにおかしい。


「確かにそうだ。たとえば――」

「ふぅー」

「ひゃあ⁉」


 発言を封じるようにトリスが耳に息を吹きかけた。思わず肩と腰に触れた手に力が入ってしまう。


「いまは私の声に耳を傾けろ」


 思わぬ制裁を受けて俺ただ首肯してトリスの言葉を待つ。

 普段男っぽい命令口調が基本のトリスが声音を少し甘くするだけで凄くゾクゾクくる。おまけに視覚を塞がれた状態だから、普段と違う色っぽい声や触れ合った身体の柔らかさや熱、甘い匂いが思考にダイレクトに響いてくる。


「よし、いい子だ」

「!!!」


 止めてぇ! そんなこと言いながら頭撫でないでぇ! おかしくなる! なんか色々とおかしくなる!

 さあ危険な話をしよう! 背筋が凍るようなヤバいトークをしようぜ、トリス!

 

「国の対応は後手に回っている。というよりなにもしていない」

(コクコク)

「あんな危険な存在への対応をギルドと冒険者に任せきりだ。おかしいだろう?」

(コクコク)

「ということは、裏があるはずだ……」

(コクコク)


 そして第一線に立ち続ければ国にとって知られたくないことを知ってしまうかもしれない。そうなったとき冒険者二名など容易く闇に葬れる。そう言葉を結んでからトリスは俺をキュッと抱きしめた。ちょっと力が強過ぎる抱擁だけど彼女が俺たちを心配してくれている、その気持ちが伝わってきた。


「……ありがとう、トリス」

「なんだ? 私のハグが心地よかったのか?」


 茶化すような笑い声はいつもの調子だ。ああ、トリスは正真正銘の騎士なんだ。この街に住む人々を守れる存在であろうとしているからこんなに暖かくて高潔なんだ。本当にすげぇよ、トリスは!

 状況も忘れて俺が感動しているとトリスがなにか思い出したらしく話を続ける。

 

「あとな……いまの話、恐らくヨウコは気付いている」

「え?」

「だから焦っているのだろう」

「いやいやいや!」


 なにを言い出すんだこの騎士様は。あの怠惰なエロぎつねがそんな重大なことに気づいているだなんて。たしかにアイツは賢い。だけど、世間に対する関心が薄いし頭の使い道が基本的に間違っている。


「トリスはアイツのことを過大評価しているよ。アイツはそんな立派じゃない。というか、トリスみたいな立派な人はいないよ!」

「……う、うん?」


 俺はがばっと顔を上げてトリスの肩を掴んで迫る。そうだ! いまはこの感動を本人に伝えないと!


「俺、この街に来てずっと自分のことで精一杯でトリスみたいに他人のこと心配したりされたりとか全然なくて! ギルドの依頼も色々こなせるようになってヨウコの世話とかして、自分がマトモになった、マトモになれたって思ってた! でも、全然トリスの方が凄くて! あ、あの、俺感動したんだ‼」

「あ、ああ……」

「騎士団入りもマジで考えてみるよ。ヨウコも説得しなくちゃいけないだろうし、多分アイツ嫌がると思うけど話してみる。もちろん、いままで通り合同で依頼も受けるからさ! だから、もっと頼って欲しい」

「ああ、ありがとう。なっ、なあ、きつね憑き?」

「うん! 大丈夫任せて、トリス!」

「鼻血が出てる」

「えっ?」

「それと、ヨウコが見ている」

「は?」


 トリスの仕草を真似て確認をしてみる。鼻の下に触れた人差し指が赤く染まっている。うん。鼻血、出てるね。

 次にトリスがテラスの出入り口を指さす。きつね耳にサラサラヘアーの亜人が顔を覗かせている。うん。ヨウコだね。俺たちのことガン見してるね。あっ、こっち来た。


「旦那様、帰りましょう。お話があります」

「な、なあヨウコ?」

「旦那様、帰りましょう。お話があります」

「あっ、はい」


 能面のような表情で俺を見下ろし壊れたテープレコーダーのような声で帰宅を促すヨウコ。その瞳は底なし沼のように暗い。


「旦那様、帰りましょう。お話があります」

「分かった。せめて鼻血拭いてから……」

「旦那様、帰りましょう。お話があります」

「痛ッ⁉ 分かった! 帰る! 帰る帰る!」


 いつの間にか背後をとられ腕をじりあげられていた。まずい。いまのヨウコなら躊躇ちゅうちょなく腕の一本くらいはへし折るだろう。というか、痛い! マジで痛い!


「帰りましょう。お話があります。だから早く早く早く……ッ、折りますよ?」

「分かった! 歩く! 歩くから!」


 トリスはヨウコを刺激しないよう無言のまま謝罪のポーズで俺たちを見送る。俺はそのままヨウコに関節を極められながら空いた方の手を振りギルドを後にしたのだった。


「…………」


 ミシッ


「いてぇぇぇぇっ⁉」

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