第3話 月ときつねときつね憑き


「おーい、ヨウコ~帰ったぞ?」


 巨大人狼を討伐した日の夜。俺はギルドから支払われた特別報酬で酒を購入してから帰宅した。あばら家のなかから返事は返ってこない。ヨウコは人間族よりも感覚が鋭く偵察や隠密のスキル持ちだから普段ならすぐに迎えに出てくる。


「それがないって、ことは」


 考えられるのは不在か危険か、手が離せない状態かだ。前者二つはないはずだ。となると多分あそこだろうな。俺は奮発して買った酒の入った容器を手に大窓から外に出た。

 根城にしているバラックの一角から外に出ててその屋根を踏みしめる。こんな事したらご近所さんから苦情が来そうなもんだけど、そうはならない。そして予想通りヨウコはひときわ高い場所に腰かけて夜空を見上げていた。


「よう、なにしてんだ?」

「…………」


 俺の声に軽く頷くだけでヨウコは再び視線を空へ向ける。その先には満月が輝いていた。この世界にも月はある。おまけにやたらと大きい。月を眺め続ける彼女の隣に腰かけるとヨウコは俺を見てほほ笑んだ。


「旦那様、月が綺麗ですね」

「おっ、おぅ」

「なにを……照れて、いるんですか?」

「……照れてねーし」

「嘘ですね」


 不意打ちの文学ネタラヴセンテンスに言葉を詰まらせているとヨウコはすかさず追及してくる。まったく勘のいい教養人ってのは厄介だ。ヨウコはこんなんだが、いいとこの生まれで育ちもいい。


「んっ、酒だ。いいやつだぞ?」

「はい、ありがとうございます旦那様」


 こういう時は食い物で口を塞ぐに限る。ヨウコはけっこうグルメだからこれで大人しくなるだろう。冒険者ギルド特製の魔法容器入りの発泡生酒生ビールっぽい酒の蓋を開けると心地よい音と香りと共に泡がモコモコと立ち上った。


「乾杯」

「はい」


 こつ、とカップを重ねると月を眺めて酒をあおる。相変わらずすげぇな、キンキンに冷えてるし泡立ちもイイ感じだ。魔法技術だけで元の世界アッチの缶ビールみたいなものを作れるなんて。うん、美味い。


「美味しいですね」

「ああ」


 ヨウコも納得しているようだ。ああ、巨大生物討伐でちゃんと働いて稼いだ金で飲む酒は美味いよなぁ。


「……ところで旦那様?」

「うん? どした?」

「月が綺麗ですね」

「ブフォ⁉」



 § § 

  


「ぷはぁ! 旦那様の世界だとこの言葉はなにか特別な意味があるんですね?」

「ごほっ! ごほ! ごほ!」


 してやったりという調子でヨウコが酒を飲み干した。続いて咳き込む俺を見下ろしながら二本目を傾け始める。うん? 二本目、だと⁉


「おまっ⁉ それ、俺の!」

「旦那様が落っことしたのを拾っただけです」


 なんてことだ。そういえばコイツ、育ちが良いくせに食い意地が張ってるし手癖が悪いんだったな。


「いいじゃないですか。この器を壊すとギルドに弁償しないといけないんです。旦那様が壊しかけたものをヨウコが拾って弁償はナシになった。これで……んっ、んっ、差し引きはゼロです」

「マッチポンプじゃねぇか」


 おまけに口も回るんだから質が悪い。もう俺の分まで飲みやがったよ性悪め。


「なぁ、ヨウコ」

「なんですか、旦那様?」


 口元に付いた泡をぺろりと舐め取るとニコリと笑うヨウコ。どうしてコイツは俺の分の酒まで飲んでおいて俺にほほ笑みかけられるんだろう?


「俺の世界じゃ奥さんってのは旦那様に料理を作ってくれて、酒なんかも用意してくれるのが一般的だったぞ?」


 腹いせにコッチの世界の観念を持ち出してヨウコを非難する。前時代的だって? いいんだよ、こいつが俺の分まで酒を飲んだのが悪い。ヨウコは料理というものが全く出来ない。さあ、なにか言ってみろ。


「旦那様……」

「おう」

「ヨソはヨソ、ウチはウチですよ♪」


 お前はオカンか。というか、その慣用句は異世界でも共通言語なのかよ。全く口の減らないおきつね様だな。そんなヨウコに思わず特大のため息が漏れ出た。


「旦那様?」

「お前の勝手な姿を見て、俺はいま自分を恥じている」

「はい?」


 思えば転生前は大学受験に失敗して、浪人生からなし崩しにニートになりそれでお終いの人生だった。ダラダラと過ごす毎日に言い訳を重ねるばかりだった日々。そんな生活でも親が居てくれたから成り立った。支えてくれていたから生きられていたんだ。それがある日たまたま一人で外出した先で事故死。

 たったの一円すら稼がないまま成人して、いっちょ前に酒なんて飲んで親に当たり散らしたこともあった。

 俺はとことん子供ガキで、最低だった。父さん、母さん。ごめんなさい。そしてありがとう。

 ああ、そうだ。ヨウコにだって色々あったんだ。だから多少のわがままや家事が全く出来ないことは大目に見なくちゃいけない。それに微妙な能力とはいえ転生特典で女神から授かったチート能力だってある。


「父さん、母さん! 俺、頑張るよっ……!」


 俺は立ち上がり大きな月を見上げ拳を握りしめた。よし、頑張るぞ!


「……チッ」


 決意を新たにした俺の隣でヨウコがふらりと立ち上がった。見ると普段は小豆色のヨウコの瞳が赤く爛々と光を放っていた。あっ、これはヤバいやつだ。


「ヨ、ヨウコ……?」

「旦那様はぁ、いいですよねぇ? きっと貴方のことを大切にしてくださるご両親がいて。愛されていてぇ……⁉」


 しまった。ヨウコに家族の話題は地雷だった。本人曰くヨウコの不幸の原因らしく、この手の話題になると尋常じゃなく機嫌が悪くなるんだ。


「ヨウコをけなしながらいつの間にかご自分の素晴らしいご両親に想いを馳せちゃったりして。当てつけですか? ヨウコに対する当てつけですか、コレは?」

「ち、違う、俺はただ……」

「大変いらつきました」

「はい……」

「噛みます」

「……は?」


 ヨウコは音もなく距離を詰めると俺の首筋に犬歯を突き立てた。


「ぎゃあああ⁉」



 § § 

  


「大体ですね、家事はともかく買い出しが不自由なのはヨウコのせいじゃない訳ですから……」

「ああ……そうだな」


 ヨウコの言葉に相槌を打ちながらヒリヒリする首をさする。急所に噛みつくなんて致死的一撃キリングアタックが決まったらどうする気だよ。

 ヨウコは俺にしなだれかかった状態でぶつくさ言っては酒をあおっている。家にあった日持ちする安酒をあれから結構飲んでる気がするが大丈夫か? それと俺の手にカップを持たせてそこから飲んでるのはどうしてだ?


「聞いてますか?」

「ああ、それは仕方ない」


 俺の回答に満足したのかヨウコは頭をスリスリと当ててくる。

 半分スラムみたいな下町の夜にあれほどの大声を上げたにも拘わらず、怒鳴り声のひとつもなくここは静かなままだ。ヨウコの動きに合わせて衣擦れの音が響くほどに。


「ヨウコは蝕み姫ですから」

「…………」


 音が止み、全てが止まった。

 巨大人狼をほふった異能――本人が言うには呪い――がヨウコの身体にはかけられている。それはヨウコの身を守るが同時に近づく他人を傷つけてしまう。それゆえ彼女は孤独で忌み嫌われている。だからヨウコの住処ココは誰も近づかず静かなのだ。 


「こうやって誰かと月を眺めてお酒を飲んだこともありません」

「……そうか」

「この呪いがあれば生きることは正直大変ではありませんでした。奪うことは容易いですから」

「そう、かもな」

「でも、どこへ行っても何をするのも独りでした」

「……うん」

「だから、私は……」


 それからヨウコはモゾモゾと身じろぎしていたが黙ったまま立ち上がって月を見上げた。月下で揺れるきつねの尻尾はとても神秘的だ。やがて俺の方を見たヨウコは『あっ』と口を開けてから苦笑した。


「旦那様はしょうがない人ですね」

「なんだよ?」


 ヨウコは自分の首筋を指さした。釣られて同じようにすると首筋の噛み痕が消えていた。どうもチートスキルが発動していたらしい。


「亜人の耳と尾を愛でてくれて、私の呪いに殺されない人」

「……そうだな」

「不死身のきつね憑き。貴方と出会えたのはやっぱり運命です」


 そこまで万能なチカラなんて持ち合わせてないし、運命かどうかなんてわからない。だけど『違う』と否定したくなかった。なにも答えられない俺を見てヨウコは少し寂し気に笑ってから隣に腰かけた。


「旦那様」

「うん?」

「月が綺麗ですね!」

「お前なぁ……」


 きつね尻尾を俺の身体に巻き付けながらヨウコは何事もなかったように明るい声で笑いかける。意味をわかってて言ってるならいい殺し文句なのにな。


「まあでも、確かに綺麗だ」

「なんですか? その気のない返事は?」


 ヨウコが肩をポコポコ叩き抗議する。仕方ないだろ。不死身がウリのきつね憑きが『死んでもいいわ』とは返せねぇよ。


「それに以上にだよなぁ、コレは」


 スラムの一角から月明りに照らされた異世界を眺める。巨大な円形の城壁に囲まれた王都の一番外側で俺たちは暮らしている。

 城壁は何処までも続いているかのように長く大きい。背後の中心部へ目を向ければ必ずそれは視界に現れる。だが俺たちの正面、月の出ている方へと顔を向けるとその姿は消えてしまう。

 月下には青白い草原が静かに広がる。遮るべき城壁は何の力によるのか、無残に破壊され外界との境界を失ってしまっているのだった。 

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