第3話 月明かりの行進

 検問所を出て数時間。陽が沈んで久しいが、くっきりと大地を照らす月明かりを頼りにして行進は続けられていた。

 電灯をはじめ人工の光はなにひとつないが、下草に足を取られることもなく、進みは順調そのものだった。

 だがそれでも、原野に通る一本道はこの先もずっと伸びている。まだまだ道半ばということだろう。

 風が草葉を揺らす音と靴音を耳にしながら、とくに会話もないままひた歩いていた。

 だから、その声はとても久しく感じた。

「恐れ入ります、シドウ調停官」

 前を往く二人から遅れがちになっていたエレナの声は、シドウとサクの足を止めるには充分だった。

「……休憩を挟むかね?」

 エレナを一瞥いちべつしたシドウは即座にそう提案をした。サクから見ても、背を丸め足を引きずるその姿は痛々しい。

 それでも、シドウを前にエレナは優等生だった。

「……科学技術の偉大さを痛感しておりますが、まだ平気です」

 二人に追いついたエレナは気丈に振る舞い、

「そうか。では何が訊きたいんだ?」

 シドウは歩みを再開し、サク、エレナも後に続いた。 

 この行進は、車や列車という乗り物があれば難なく行ける距離でもここでは違う、ということを身に覚えさせる一環だった。

「…………」

 いくら隣を歩くエレナが辛そうに見えても、行進の目的を知っているサクは励ましすらならず……、シドウはもう前を向いている。

「……サク?」

 試練である以上、口出しはならない。サクが曖昧な笑みを返すと、エレナはいぶかしみながらも前に向き直った。

「どうした、質問があるんじゃないのか」

「ぁ、はいっ。シドウ調停官は、この距離を定期報告の度に往復されているのですか?」

「あぁ、その通りだ。赴任したばかりの頃は憂鬱で仕方なかったが、今ではご覧の通りさ」

 手のひらを上に向け、肩を竦めてみせるシドウは息切れひとつなく、確かな足取りで土を踏み続けている。ただし、歩みを再開してからは心持ち、緩やかな速度になっていた。

「サク調停官はどうだ、苦しいか?」

「二度目ですので。それに……」

 シドウが言おうとしないのなら、サクから伝えるわけにもいかない。

 会話のらし先を見つけようと顔を上げれば、平坦な道の先にうっすらと、その建造物が目に付いた。

「それにほら、もうすぐで着きますし」

「ぇ、本当に? 何も見えないけれど……」

 エレナが思わず、と発した疑問を掬ったのはシドウだった。

「目を凝らして道の先を見てみればいい。エレナオペレーターにも見えるだろう?」

 言われた通りに道の先を辿ると、

「あれは、……橋?」

 月光を浴び、鈍色に照り輝く人工物が目に付いた。

「あれが背にする小高い山に、目的地の狐人集落がある」

 エレナは視線を橋の背後に移すが、明かり一つも見当たらない。

 木々に阻まれているからなのか、裏手側だから確認できないのかは分からないが、

(どちらにしても、シドウ調停官が言うなら間違いない、のよね……?) 

 突如現れたゴールに、ふつふつと気力が湧き出したエレナは体が軽くなった気がしていた。

「さて、ここから先は君達で行け」

 足を止め腕組みをしたシドウに、二人は顔を見合わせた。

「まずは私抜きで集落へ行き、狐人に挨拶しなさい」

 突然のことに躊躇を見せるエレナを余所に、サクはなんとはなしに歩を進め、

「――待ちなさい、サクっ! では、シドウ調停官、行って参ります」

 エレナが慌てて付いていく。

 近づくにつれ輪郭が明らかになる橋は、欄干に精緻な彫り細工が刻まれていた。

 狐と麦が象られた画はなるほど、五穀豊穣、あまつととねの神をかたどっているのだろう。

 優美さを感じさせる橋と、それが背に従える山に気圧されたエレナが前に向き直ると、

「……ん? ね、ねぇサク、今ってアタシ達だけよね?」

 シドウとはすでに別れている。だから自然と自分をアタシと言い、サクのよく知るレーティヤに戻っていた。

「だったらアレは、なに?」

 二人の前、橋の向こうに人影が立っていた。こちらに近づくでもなく、動く素振りも見せず、ただそこにある。

 レーティヤは言い知れない焦燥に身を震わせる。

「…………っ!」

 優等生だからこそ気づいてしまったが、本来、こんな月の明るい夜にこの近さで判別できない筈がない。現にその影のあたりの地面も明るく見えている。

「さ、サク? ちょっと……」

 サクはレーティヤの二歩前で立ち尽くしており、表情は伺い知れず……、サクも注視しているのだろう、レーティヤの声に振り向きもしない。

「へ、返事くらいしてもいいんじゃないかな? ね、ね? ――ひゃっ」

 堪らずサクの袖を掴むと同時、生温い風が吹き抜けレーティヤの髪を遊ばせる。

「な、なんなのよあれっ」

 首を竦めたレーティヤが恐る恐る目を開くと、人影の周囲には、ぼぅっと青白い炎が浮かび蠢いていた。

「あ、アンタ知ってんじゃにゃいのっ?! な、なんでコッチ見てくんないのっ?」

 サクはレーティヤの問いに一言も返さず、人影に目を向けたまま動かない。レーティヤの心には言い知れない焦燥が募っていく。

「アタシなにか怒らせることした?! ってなんだよめっちゃ増えてる、すんげぇ飛び回ってんだけど!?」

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