第2話 保護区入り
「さて、私からは以上だ。夕方、この検問所を出発し保護区入りをする。それまでは検問所を見て回るなり、衛兵と話すなりそこは自由に行動すればいい」
サクとエレナがシドウを見送ったあと、二人はそのまま部屋にいた。
「…………で? あんた、一度来たことあるんでしょ。ほら、しゃきしゃき答えなさいよ」
監督官がいなくなった途端にエレナは椅子に横座り、机に片肘を立て頬杖ついた。その拍子に灰白色の髪がさらりと垂れて毛先が揺れる。
そんな彼女にサクは大きく吐息した。
「……それでこそレーティヤって感じだよ」
サクとエレナは養成学校時代の同期。選択したコースこそ違うが、互いに知った仲だった。
「あのさぁ、もしかしてサクもアタシがこっちに来たら変わると思ってたクチ? それはそれは残念でした!」
彼女は学生時代、二通りの名で呼ばれていた。
品行方正、真面目な彼女と粗雑で横柄な今の彼女は別人のようであり、そんな二面性を持つ彼女に親しみを込めて二通りの名で呼んだのだ。
「っていうか分かってると思うけど、レーティヤってのは二人っきりの時だけなんだからね? バラしたら承知しないわよっ」
ここでは品行方正なエレナで通したいらしい。
「で、もったいぶらずに狐人のこと話しなさいよ」
レーティヤは体験していないが、サクは二年前に一度、短期滞在研修として狐人里に滞在したことがある。
監督官のシドウはそういった事情から、主にレーティヤにつくことになっていた。
「もったいぶってるつもりはないんだけどさ……」
「ほら、そこよ!」
ビシっと指を突きつけて、
「私は来るの初めてなのよ? 教科書に載ってる知識しかしらないのっ! シドウ調停官も教科書通りの解説だったし、だから早く聞かせなさいよっ」
「……そんなにすごい話ってわけでもないんだけれど」
「また前置きなんかして! いいからとっとと話しなさい!」
眉をいからせるレーティヤに捲し立てられ、サクはたじろぐもやれやれと彼らの事を話し始めた。
――原住保護区、狐人里に住まう狐人達。
――ツンと尖った耳に、ふさふさの尻尾を持つ彼ら。
――総じて身体能力は高く、特に耳は遠く離れた葉擦れの音さえ聞き分ける。
――また、彼らは磁場を感じることができ、たとえ森に潜む獣であっても正確に捕らえることができ、狩猟に長けた民族だ。
――だからこそ、彼らは此処でしか生きれない。
「うん、狐人は磁場を感じることが出来ちゃうから、電波とか、電磁波があると苦しくなっちゃうんだよね」
三半規管が乱れ、ひどい船酔いのような症状が現れるらしい。
「そのとおり。だから科学技術の持ち込みは一切禁止だし、狐人里を囲う壁には電磁波遮断装置がつけられて、外からの電磁波から狐人を守ってる」
二十四時間体勢で稼働しているその設備は、外周を囲う壁の上、数kmごとに配置された装置が狐人里を球状に囲い、地上はもとより地下からも電磁波を防いでいた。
「調停官に許されている拳銃の所持も、ここでは禁止。唯一の例外は、同時通訳機能だけオンにされたこのエコルリングくらいかな」
サクは左腕に巻かれた腕輪型端末に目を落とす。エコルリングには本来、調停官を手助けする多くの機能が搭載されている。
しかし、狐人里では通訳機能のみ。他、全て使用不可の特別仕様となっていた。
「ってか護身用の武器まで駄目ってどういうことよ、いくら狐人里が問題起こしてないからってさー」
「狐人里は連盟と友好的な民族で、だから派遣されてるのもシドウさん一人で、武器も持ち込み不可。……まぁ、連盟の気の使いようを見ると、すごく安全なんじゃないかな、狐人里って。それに中で貰えるかもしれないし」
前回訪問時、サクにはナイフが渡された。滞在中、一度も使用する機会はなかったが。
「ナイフとか、弓とか槍とかそういうの?」
「そうそう、レーティヤよく知ってるね」
狐人にとって科学技術は悪でしかなく、極端に制限されたこの地でしか彼らは生きられないが、それでもうまく生きていた。
「ぅがぁー! そうじゃない、そうじゃないのよサク!」
レーティヤは凶暴な獣のようにダンっと机を叩き、乱れた灰白色の髪に手櫛をしきりに通す。
「うん?」
「うん? っじゃなくて! そういうのは知ってるわよ、そうじゃなくて、ほら、誰だれさんは怒りっぽくて、誰さんは頼りになって、ってそういうのが知りたいの!」
言われてみれば、里長のクラツキ、補佐のゲンジ、族長のユウラ……。彼らの人となりを話していなかったことにサクは気づいた。
「あぁ、それは――」
話し出そうとすると、突き出されたレーティヤの手のひらが堰き止めた。
「もういいわよ、サクに訊いたアタシが馬鹿でした!」
どうやら自虐スイッチが入ってしまったらしく、机に突っ伏して何かをぶつぶつ呟いている。
こうなるとレーティヤはとことんやさぐれてしまう。けれどサクは養成学校を共にした同期、対処法なら知っている。
「それじゃレーティヤ、時間までどうしよう? 一緒にこの建物でも見て回る?」
彼女は基本優等生であるからに、真面目な話ほど気を逸らすことができ効果が高い。
サクは狐人里で滞在するが、レーティヤはこの検問所に滞在することになる。検問所についてすぐ講義が始まったから、彼女もまだ見て回ってはいない筈だった。
「……あー、行きたいならお一人でどうぞ、アタシはここで」
少しは気を取り戻したみたいだが、サクが期待したほどではないらしい。
「そっか」
席についたまま、腰を上げないサクにジト目を向けるレーティヤは、
「そっか、って……。行きなさいよ」
なおも恨みがましそうな目を向けた。
「レーティヤが行かないなら、僕もいいかな」
「え……?」
「レーティヤにとってはこれから住むところだし、部屋とか見ておきたいかなって思ったんだよ。けど、そうじゃないみたいだし」
サクは自分が滞在するわけじゃないから見て回らなくても問題はない。
「はぁっ? え、サク、なに? アタシの部屋見たいってこと? ……っえ!?」
「うん? ほら、こうして赴任先は一緒だけどさ、レーティヤとはしばらく会えなくなるんだし」
(場所はどこだっていいけれど、話せるうちに、狐人里のことをより知って貰えた方がいい)
「ちょ、サク何言ってんの!? それは不味いって! ほら、あ~~~~。なんって言えばいいか分かんねぇ!」
サクからは、突っ伏して顔を背けるレーティヤの表情は窺えないが、灰白色の髪の隙間から赤く染まる耳が見えていた。
(何が不味いのだろう。保護区の住人のことを第三者に話すと問題があるだろうけれど、彼女はこれからを共にするオペレーター。なんら問題ない筈だ)
鈍感なサクは立ち上がると、そっぽを向く彼女を肩越しから覗き込むように呼びかけた。
「レーティヤ?」
「っつ……!」
至近距離からの耳朶を震わせる声に息を呑み、口元を戦慄かせるレーティヤは目を泳がせる。
「うん?」
その表情の意味をサクが掴めずにいると、レーティヤは机を突いてがばっと体を起き上がらせた。
「あぁ、もうその反応で分かったよ! どうせアタシが馬鹿でしたっ、アタシだってよ~くお前のこと知ってんだかんなっ、ぉぼえとけよこの野郎ぅ……」
サクは謂われのない罵声に首を傾げるが、今のレーティヤにはそれも癇に障るらしかった。声にならない声を発すると盛大なため息を吐き、サクをキッと睨み上げた。
「この度はまっことアタクシめがはしたなく、この空のように澄んだ御心をお持ちのサク殿には、大変お見苦しゅうところをお見せしまして申し訳ございませんでしたっ!」
エレナは肩を怒らせて言葉を吐き捨てる。
「
早口で捲し立てられたサクは全部を理解することが出来ず、ようやっと理解ったのは最後の浄化云々という話だけ。
頭を働かせ、それがボイコットかもしれないと気づいたサクは慌てて口を開いた。
「それは困るよ、レーティヤじゃなかったら僕はどうしたらいい?」
「あぁもうっ! この、この!」
左手でしきりに手櫛を通すレーティヤは涙目で、右手はポカスカとサクの胸を叩いているが……。サクにはそんなことをされる覚えが全く見当たらず、故に暴風雨が過ぎ去るのを待つのみだった。
レーティヤが落ち着きを取り戻し、狐人の彼らの話が出来た後。
それでも時間が余った二人は建物を見て回ることになり、レーティヤの私室となる場所にも――サクは扉の前までだったが――足を運んだ。
すれ違う衛視に挨拶しつつ、各施設を巡る。そうして陽が稜線に沈む頃、シドウと合流したサク達は、緩衝地帯の中庭を抜け狐人里側の棟へ入った。
たんたんと身なりを整えるサク、対してエレナは張り詰めた表情をして、気合いを漲らせているようだった。シドウはそんな対照的な雰囲気を纏う二人を先導する。
連盟側の中庭へと至るゲートに比べ、狐人里側のゲートは開きっぱなし。衛視もおらず、まさにもぬけの殻で人っ子ひとりいやしない。
拍子抜けするほどあっさりと、三人は保護区入りをした。
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