豊穣の銀河のストレルカ

葦ノ原 斎巴

第1話 新米調停管とオペレーター

生きる上で信ずることができるもの、それが信仰なのか即物なのか、科学なのか倫理なのかは人それぞれではあるが。




「――つまりこの原住保護区に住まう狐人族ルナールは、あまつととねの神を唯一神として崇め奉っている。かの神は五穀豊穣を司り、田植祭や抜穂祭はその代表的な祭礼として挙げられる」

 ゆうに十人は収容することが出来るであろう広さの部屋に、泰然とした声が染みいるように広がった。

 それは重苦しい雰囲気が漂っていたからということでなく、単に人が少ないせいだろう。声の主を含めてたった三人。隅に寄せられた埃を被る机達は哀愁をさえ偲ばせる。

「様々な祭祀が四季を通して執り行われており、このことは狐人族が信仰に篤い民族だということの現れである。知っての通り、我らが連盟では信仰・宗教は消滅して久しい」

 机に座った少年は、熱心な視線を教壇に立つ女性に向けていた。朗々と解説している彼女は特等調停官シドウ・リフィス・ウォーダリー。

 黒髪ショート、深紫の瞳にそっと添えられた口端の微笑。服装こそ飾り気のない白シャツ紺のタイトスカート姿だが、引き締まった肢体はまさに女性が理想とするプロポーション。年齢を感じさせない美貌とあいまり絵になる美しさがそこにはあった。

「君達の現地入りは本日一六○○時に設定されている。およそ三時間後だ。ゲートを潜り抜けた瞬間から、君達は連盟という看板を背負うことになる」

 シドウは少年を見て、ついで隣に座る少女に目を向ける。二人はスカートとズボンの違いこそあれど、黒を基調とした揃いの制服を着ていた。糊が効いたおろしたての制服は、着ているというよりも着られているという印象を抱かせる。

 三人がいるこの場所は検問所と呼ばれる入出管理施設、その普段は使われていない一室だった。

「この時間は、いわば最後の授業である。実際に狐人達と接触するにあたり知識レベルのすりあわせ、今一度の心構えのためだ」

 周囲を白亜の城壁に囲われた千二百平方㎞の隔絶世界。そこでは狐の耳と尻尾を持つ民族が暮らしているという。

 勿論、連盟人であるこの場の三人にそういった特徴はない。

「保護区内ではこれまでの当たり前が通用しない。基本的な衣食住、信仰についてはこれまで解説した通りだ。ここまでで質問はないか、二人とも」

 基本的に養成校で学んできた内容と相違なく、少年の頭にはこれといった疑問は浮かばなかった。だが、頷きを返そうとした彼の隣の席で、それまで行儀良く座っていた少女がすっと手を挙げ起立した。

「はい、シドウ調停官。なんら問題ありません」

 少年はなにか見落としがあっただろうかと首を捻ったが、そういうわけではなさそうだった。

 エレナ・ティル・ファラン。ウェーブがかった灰白色の髪は、肩につくかつかないかほど。青玉の瞳はシドウを真っ直ぐに見据えている。

「ほう。それはなによりだ」

 目を細めて口元を緩めるシドウに、エレナは誇らしげに胸を張った。

「では実に退屈だったろう。扉はほら、すぐそこだ」

 だから、口端に微笑を湛えたままのシドウの言葉に少年の理解が追いつかなかったのも当然と言えば当然だった。

「なぁに、ほんのついでだよ。せっかく立ち上がったのだ、そのままここを去ればいい」

「…………」

 少年の目にはそれまでのシドウと今のシドウに、ほんの違いも映らなかった。肩を怒らせているだとか、苛立たしそうに机を叩いていただとか、そんなサインは一切ない。

 ほんの二言、たった二言だけなのだ。なのにその微笑から少年が受けた印象は、百八十度正反対な不気味さだった。しかし、少年が横目に見たエレナの顔には柔和な笑みが浮かんでいた。

「いいえ、実に有意義な時間です」

 真正面から向けられているだろう鋭利な言葉に、怯んだ様子はどこにもない。

「これまで養成校で学んできた知識が実地で通用するか……。私はこの場に至るまで、靄のような漠然とした不安を抱いていました。しかし今、この知識は本物だったのだと確証を得ることができました。それになにより……」

 シドウから視線を切り、彼女はちらりと少年を見た。そして目があった途端、少年の彼女を見る目が困惑から平静に、大きく見開かれていた瞳が細まり色褪せたことに満足すると、

「心から尊敬するシドウ調停官に手ずからお教え頂けまして、まことに光栄に存じます」

 あらためてシドウに向きあっていた。真正面から向き合い視線を交じらせる二人に対し、少年はとても小さく吐息した。

 エレナが首を傾げるようにして見せてきた横顔に少年は心当たりがあった。

 熱に潤んだかのような青玉の瞳、ほんのりと赤に染まる白い頬。尊敬や崇敬がこもった、花がほころぶような清純無垢の笑み。

 これが少女の――第三八四期主席卒業生エレナ・ティル・ファランの常套句だと、同期の少年は知っていた。

 だからエレナと顔を合わせた少年は即座にその思惑を悟ることができた。エレナはエレナで、彼の褪めた目で自分が上手く笑えていると自信をつけた。

 だがしかし。

「そうか、それは良かった」

 シドウはにべもなく切り捨てた。エレナは何かを言いかけるが、そのまま目礼を返すに留めて席に座った。

「さて、狐人族については一通り話をしたな。後は保護区内の地形や利用のされ方、植生だが……、ここまでで質問もなかったようだし、君達は相当予習をしているだろう。後は各々の目で確かめてくれ」

 怜悧なやりとりが交わされた直後にも関わらず、互いににこやかとした面持ちだからだろうか。表面上はすっかり暖かさを取り戻していた。

「あとは……、そうだな。決意表明でもしてもらおうか」

 シドウの口元には笑みが浮かんでいる。

「「…………」」

 そんな上官の意図が読めず、二人は顔を見合わせ押し黙った。今はエレナが一戦を繰り広げたすぐ後だ。いくらなんでもこれは、然るべき警戒と言えるだろう。

 シドウの口元によりはっきりとした笑みが浮かんだ。

「なぁに、そんなに難しく考える必要は無い」

 シドウは軽い調子で呼びかけた。

「連盟の母星である第一惑星セレスからこの第八惑星ヒースへと、君達は長い宇宙の旅を経てやってきた。それはなんのためか、エレナ君」

「はい、シドウ調停官。我々は独自に進化を遂げる文化、多様性の観測者としてやって参りました」

動揺していても淀みなく答えることができるエレナは流石という他にない。その回答に、合っているとも間違っているとも言わず、シドウはただ頷きを返した。

「サク・ロニック、エレナ・ティル・ファラン。君達はまさに今日この日、新米調停官、新米オペレーターとしてこの地に赴任してきたが――」

 二人の受講生は揃いの黒の制服で、違いは袖にあるライン色。

 調停官であるサクには白のラインが、オペレーターであるエレナには赤のラインが入っていた。

「あらためて聞こう。君達が何の為に此処に来たのか。エレナオペレーター」

 サクの隣で姿勢よく座っていた女生徒は、指名を受けてスッと椅子から立ち上がる。その横顔は凜々しく、瞳には穏やかな水面のように澄んだ光を宿している。

「はい、シドウ調停官。私達は原住保護区を観察するため此処にきました」

 エレナは一度言葉を句切り、ちらりとサクに目を向けた。

「サク調停官は原住保護区内に滞在し、情報収集および連盟との調停を担当します。また、オペレーターである私は検問所に滞在し、調停官から情報を得て記録をつける業務にあたります」

 淀みない答えを受けたシドウは一つ大きく頷いて、

「よろしい」

 その一言でエレナは席に座った。シドウは綺麗な所作で席に座るエレナを見届けた後、

「では、原住保護区とは。サク調停官」

 続いてサクを指名した。エレナの声に耳を傾けていたサクは、今度は自分の番と立ち上がる。

「はい。原住保護区とは、多様性を失った現代に新たな文化、ひいては文明を創生するためにつくられました」

 E.P二五八二年。かねてより日進月歩の歩みであった科学技術はここに極まり、人類が銀河系に進出して久しい現在。

 利便性を追求していった社会は完全に成熟したが、その代わり非効率・科学的でないモノは淘汰されてきた。今では信仰や伝統、文化は加速度的に衰退し見る影もない。

「三百年前、この事態を予測した連盟が創設したこの制度は、各地に連盟と隔絶した区域を置き、一切の干渉をしないことで新たな信仰、文化を誕生させようとしています」

 今や連盟の勢力圏は星系単位。原住保護区という、連盟と隔絶されたエリアも惑星単位で管理されており、一般民には立ち入りが一切認められていなかった。

「よろしい。つまり、保護区の文化、文明の成熟度を計るために派遣されるのが調停官とオペレーターであり、原住保護区に立ち入れる唯一の例外である。そしてここで重要なのは、災害や飢饉など、なにがおきようと、私達は観察者でなければならないということである」

 それが原住保護区であり、調停官とオペレーターとの関係だ。

「保護区の規模や性質により派遣人数は異なるが、ことこの保護区は私が一人で担当してきた。私は特等調停官であるから、調停官兼オペレーターとして赴任しているわけだ。これから君達の監督官も兼任する。あらためてよろしく頼む」

 切れ長の目で順繰りにサクとエレナを眺めたシドウが頭を下げる。サクとエレナも頭を下げた。

「君達がこれから触れるのは、信仰が生き、神が存在する世界。覚悟と決意を持って臨んで欲しい」

 【第八原住保護惑星、極東地域第六原住保護区、狐人里コトリ】。そこが、これからサク達が触れる世界だった。

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