海波月イサナという僕のともだちを紹介しよう。


 失恋をした。

 五年間片思いを続けた結果、ようやく勇気を出して告白したら、「引っ越しするから無理」とバッサリ。

 小学校一年生からずっと好きだった女の子は、小学校五年生の冬、煙のように僕の前から消え去った。

 

 

 

 

             ∞

 

 

 

 

「おーい、生きてるか」

 

 

 土曜日のお昼過ぎ、僕は誰とも遊ばず寂れた公園のブランコに座っていた。

 公園と言っても小さなところで、赤や黄色のペンキが剥れかけた鉄棒に、揺らすとギイギイうるさいブランコ。後は猫のうんこばかりの砂場。公園を区切るフェンスはところどころ子どもが通れるくらいの穴が空いていて、赤く錆がついている。

 この辺りは温泉街の外れの外れで、人がたくさん集まる時期でもあまり旅行客が来ない地域だ。たまにそんな雰囲気が好きだという物好きなお客さんもいるので、わざと寂れたままにしているのかもしれない。

 

 

「おっすー?」

 

 

 一週間前、この公園で彼女に告白してその場でフられた。

 彼女と出会ったのは小学校一年生の時。教室で初めて見かけた時は可愛い服を着てるな、くらいにしか思っていなかった。僕より少し背の高い彼女はチェックの長いスカートに、ひらひらの付いた白いシャツ。いつも他の女子よりおシャレな格好をしていたから、初めのうちは女子からも人気があったけど、裏では陰口を言われるようになっていた。


 事件が起きたのは五月に入ってすぐのこと。お嬢気質の委員長が彼女の服装をバカにして水を引っ掛けたら、彼女は文句一つ言わずにお嬢の顔面にグーパンを叩き込んだのだ。

 信じられなかった。女子同士のケンカなんてもっとジメジメして陰湿なものだと思っていたのに、変身ヒーローが怪人を思いっきりふっとばすみたいに、彼女は右手の腕力を頼ったのだ。そこからは取っ組み合いの大騒動で、職員室から担任の先生が飛んでくるまで、髪を引っ張りほっぺに爪を立てて、お互い泣きながらボロボロになるまで戦っていた。その後、彼女とお嬢は一番の親友になるんだから女の友情ってよく分からない。

 

 

「あれ、もしもーし」

 

 

 彼女と初めて二人きりで会話をしたのは、夏休み前の大掃除。先生からワックスを受け取るために二人で職員室に向かっている時のこと。「お前、強いよな」って声をかけたら、彼女は笑って「でしょ」って答えた。多分、この時彼女を好きになったんだと思う。


 それから彼女とよく話すようになって、知らない一面を見るたびにどんどん好きになっていった。

 本当はひらひらとした洋服は嫌いなこと。でも母親がそういう服が好きなので仕方なく着ていること。お嬢とケンカして服をボロボロにして以来、学校には地味で頑丈な服を着ていけるようになったこと。本当はそういう動きやすい服が大好きなこと。そのことでお嬢にお礼を言ったら顔を赤くして照れてたこと。

 家が遠くて休みの日は遊べないのが残念だけど、学校に行けば彼女と会えるのが嬉しくて、それから五年間はずっと皆勤賞だった。


 学校にいても家にいても、いつでも彼女のことを考えてしまう。だから、思い切って告白することにしたのに、彼女はあっさり転校していった。後で知ったことだけど、彼女の転校を知らないのは自分だけだった。お嬢はもちろん、クラスの女子も男子も担任も、俺以外は全員彼女の転校を知っていた。

 俺だけが除け者にされていたんだ。

 それで心がぽっきり折れた。

 

 

「風邪引くぞー?」


「さっきからうっさいな! 誰だよあんた」


「おっすー、ボクは海波月みなづきイサナだぞ」

 

 

 ブランコに座ってぼんやりと彼女のことを思い出していたら、不審者に声をかけられてしまった。

 観光客らしい大人の女性。ウェーブのかかったミディアムショートは日に照らされて珊瑚のように明るく光り、着崩した赤いだぼだぼのセーターからは左の肩がはみ出している。変な模様のロングスカートを膝裏にはさみ込んで、海波月イサナと名乗ったおっぱいの大きいお姉さんは、ブランコの前にしゃがみこんでにっこり笑っていた。

 

 

「不審者を見かけたら通報しないと」


「それは勘弁してくれなー。少年はお名前なんてーの?」


「不審者に名前を教えてはいけませんって言われてる」


「じゃー、少年くんな」

 

 

 おかしな人だった。初対面の小学生にニコニコしながら声をかけるなんて、やってることは学校の先生が言っていた不審者のジアンそのものだ。だけど、柔和な笑顔か、雰囲気か、不思議と警戒心は湧いてこない。

 イサナと名乗る女性は隣のブランコに腰掛けて、ギイギイと音を立てて漕ぎ出した。

 

 

「ボクは温泉旅行にきたんだけどな。思ったより早く着いたから散歩してたら、いかにもしょんぼりしてる男の子を見かけちゃったからつい声をかけちゃったんだ」


「別にしょんぼりしてないし」


「本当かー? 遠目で見て分かるくらい落ち込んでたぞ」


「うっさいなー」

 

 

 本当は今すぐ泣き出したいくらい落ち込んでいる。だけど、女の人の前で泣くなんてみっともない真似はできやしない。

 歯をグッと噛み締めて、拳をギュッと握り込む。

 頑張れ俺、泣くんじゃない。

 しばらく無言でブランコを漕いでいたけど、イサナはにっこり笑顔のままずっと黙っていてくれた。

 

 

「……好きな子に告白したらフラれた。引っ越しするからって」


「それは、……ショックだな」


「だろ、五年間ずっと好きだったのに、引っ越しのことも教えてもらえないくらいの仲だったんだ」


「うーん、それはどうだろうな」


「だって、あっちも俺のことが好きなら隠し事なんかしねーじゃん。林間学校のときだって、初詣のときだって、いつでも話す機会なんてあったのに」


「あー、そう思っちゃうか」

 

 

 二匹の魚が泳ぐ前髪を軽くかき上げ、イサナは笑いをこらえている。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じたけれど、イサナはすぐ「ごめんごめん」と謝って大きく白い息を吐き出した。

 もっと人気のある温泉街までいけば、あちこちから湧き上がる湯気と熱気で暖かいけど、少し寒そうにしていたイサナに温いカイロを乱暴に差し出すと、「あんがとな」と微笑んで受け取った。

 

 

「少年くん、彼女がお別れする時、最後になんて言っていたか覚えてるかい」


「なんでイサナにそんなことまで言わないといけないんだよ」


「いいからいいから」


「……覚えてない」

 

 

 嘘だ。

 本当は一言一句覚えている。

 夕暮れ時の公園で、夕日を背にした彼女は言った。

 「ごめんね。秘密にしてたけど、わたし遠くに引っ越すんだ。だから、さよならね」って、振り返りもせず帰っていった。


 その時のことを思い出して、自然と涙が流れてきた。腕で乱暴にぬぐっても、次から次へと溢れてくる。両手で顔を押さえつけ、必死に鼻をすすって声を抑える。女の人の前で泣くなんて格好悪い。だから、せめて泣き声を上げないように、必死で唇を噛み締めた。

 そんな惨めでダサい自分を、耳馴染みのいいイサナの声が包み込む。

 

 

「ごめんね、って言われたかい」


「言われた」


「さよなら、って言われたかい」


「言われた」


「それじゃあ、嫌いだ、っては言われたかい」


「……言われてない」

 

 

 その瞬間。

 泣くのを我慢して顔を押さえていたから全然見えはしなかったけど、イサナがにっこり微笑んだのが分かった。

 

 

「お節介かもしれないけれど、まだ彼女のことは好きかい」


「大好きだよ」


「うん、真っ直ぐな少年は格好いいぞ。なら、ちょっとお手伝いしてしんぜよう」

 

 

 頭をポンポンと叩いたイサナは、子どもに見たいに無邪気な笑顔を浮かべて立ち上がる。

 そこからの行動は早かった。僕に学校を案内させると抜き足差し足忍び足で職員室に忍び込もうとし、犯行現場を目撃したお嬢を人質に取って彼女の引越し先と電話番号を聞き出す始末。

 まるで台風の中、田んぼに様子を見に行く老人の如く、右へ左へイサナに振り回されて、気付けば彼女に電話し遊びに行く約束まで取り付けていた。


 何が起こったのかまるで分からない。まるで夢のようだったけれど、電話口の彼女は驚きながらも喜んでいた気がするから、きっと悪夢ではないんだろう。

 気付けば時刻は日暮れ前。少しずつ暗くなる温泉街をイサナが泊まる旅館まで道案内する道中で、一つだけ気になっていたことを聞いてみる。

 

 

「なぁ、なんでイサナはそこまでしてくれるんだ。大人のくせに僕より楽しそうだったし」


「ふっふーん、ボクは大人である前に少年くんのともだちだからさ」


「いつ友達になったんだよ!?」


「だって、さっきからボクのこと名前で呼んでくれてるだろ」


「うっさいバーカ! バカイサナ!! ……あんがとな」

 

 

 夕日と夜の境界線、黄昏時の夜景の中で、顔だけ振り返った海波月イサナともだちは綺麗に大きくにっこり笑った。

 

 

 

 

             ∞

 

 

 

 

「へー、その人が噂の恋のキューピッドさん?」


「うるせーな、アルバムなんて見せるんじゃなかった」


「だって、この人いなかったら今の私たちってありえなかったんでしょ。なら私も感謝しなきゃ」


「だから教えたくなかったんだよ」

 

 

 あれから色々あったけど、大人になった俺と彼女はいま一緒に暮らしている。

 イサナとはあれ以来一度も会っていないけど、俺は一度も忘れたことはない。小学五年のあの冬の日、公園で声をかけてくれたお節介な海波月イサナともだちは、きっと今でも友達を増やして楽しくやっているんだろう。

 

 スマホをポケットにしまって、すっかり暗くなった温泉街を二人で歩く。

 明日は彼女の実家に挨拶にいく日だ。コスプレ好きな母親は問題ないが、あの目付きの鋭い親父さんを相手にするのはちょっと勇気が必要だ。

 よし、と気合を入れたところで彼女に袖を引っ張られ、ぶつかりそうになっていた正面の人を慌てて避ける。相手もスマホを見ながら歩いていたようで、慌てて「ごめんなさい」と頭を下げて、スマホをしまって無線のイヤホンを取り出す。

 その一瞬、どこからか懐かしい声が聞こえた。

 

 

「おっすー、今日もやっていこうな」

 

 

 時刻は夜の二十一時ちょっと過ぎ。

 久しぶりに聞こえたともだちの声に、俺は彼女の父親ラスボスから大好きな人ヒロインを奪いに行く覚悟を決めたのだ。

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