本山らのと風月澪は油揚げが大好きなお狐である
祭りの前日、父が倒れた。
「いやー、すまんすまん。腰やっちまってな」
「すまんじゃないよ! 初午祭りのいなり寿司、どーすんのさ!」
地元の神社は、小規模ながら初午の日には催事を行っている。参詣者にはいなり寿司が振る舞われるので、近所の人たちにとってはちょっとしたお祭りのようなものだ。
私の家は小さな定食屋だが、父と神社の神主さんが幼馴染らしく、行事ごとのお弁当などはいつもうちに注文がくる。父はその打ち合わせと称して昼間から神社で酒盛りした後、帰る途中に神社の階段で足を滑らせ、数十段の石段を尻で滑り降りたらしい。
我が親ながら馬鹿としか言いようがない。
転倒音と父の悲鳴に気付いた神主さんがすぐ救急車を呼んでくれたので大事には至らなかったが、検査も含めて三日は入院することになったのだ。父の怪我は自業自得なのでどうでもいいが、問題は神社から注文を受けたいなり寿司だ。
我が家は料理の父に裁縫の母、その他の私という完全分業制になっており、父も母も得意分野以外はかなりのポンコツだ。それを見かねた祖母は、私に対して厳しい教育を施してくれた。当時は恨みもしたが、今となっては祖母の彗眼に感謝の言葉もない。
つまりどういうことかと言うと、我が家でお稲荷さんを作れる人がいないのだ。
「母さんが料理できないのは知ってるでしょ。この前なんかお味噌汁を鍋ごと爆発させてたじゃん!」
「あれ、出汁入れてなかったから爆発してなくても失敗だったけどな」
「分かってたなら何で止めないの!」
「だって、俺のために苦手な料理を頑張ってくれる母さんが可愛かったから」
そう言って頬を赤らめる中年親父。
あぁ、殴りたい。
この場に母さんがいなくてよかった。母は私と入れ替わりで父の着替えを取りに家に戻っている。もしこの場にいたら、いい歳して頬を赤らめる奴が二人になっていたこと間違いなしだ。
「まぁ、この時期は店でもよく出すから材料は多めに仕入れているし、何とかなるだろ」
「材料だけあってどうするのさ。作る人がいないって話してるんだよ」
「作る人ならいるじゃないか」
「どこに!? この時期はどこも忙しいから応援なんて呼べないって父さんが言ってたじゃ……」
「俺の目の前に」
「……はぁ?」
よろしくな、と無茶振りしてきた父を病室に残し、家に向かう。
このまま家出してやろうか、とも思ったが、神社の人に迷惑をかけるわけにはいかない。
父のように美味しく作れる自信はないが、やるしかないのだ。自分がやるしか。
頬を膨らませながら病院の正面玄関を抜けたところで、大柄な男とぶつかった。
「痛っ、あ、ごめんなさ……、何だあんたか」
「ひどい言い草だな、おい」
ぶつかったのは神主の息子だ。
小中合わせて七回は同じクラスになったことのある腐れ縁で、今通っている高校でも同じクラスだ。身長は百八十を越えており、全身筋肉のスポーツ馬鹿。高校に入って丸刈りになったので、たぶん部活は野球か剣道でもやっているんだろう。
珍しいところで合うものだと思ったが、手に持っているフルーツの詰め合わせを見て合点がいった。
「もしかして父さんのお見舞い?」
「あぁ、親父が行きたがってたんだけど、明日の準備で難しそうだから代わりに」
「別に気にしなくてもよかったのに、あんがとね」
「……なんか急いでたみたいだけど、そっちは大丈夫か? 困ったことあったら何でも言えよ」
「あんたのとこのいなり寿司で困ってるんだ!」とは流石に言えず、幼馴染を一睨みして家路を急いだ。
∞
いなり寿司は簡単なようで奥が深い。
まず油揚げを縦に切るか、斜めに切るかで完成形が違ってくるし、出汁の濃さ、中に詰める具材の選定にも気が抜けない。が、今回作るのはオーソドックスな関東風だ。
正方形の油揚げを中央から切って長方形に。ゆっくりと中を開いたら油抜きのためお湯に沈める。
時短したい時は省いてもいい工程だけど、私はこういう作業が結構好きだ。正直、私の貧乏舌だと出来上がりに大きな差は感じない。でも、手は抜かなかったという事実が食べる時の満足感に変わるのだ。
数分茹でたらザルに上げて、水を溜めたボールに投入。あら熱が無くなったら一枚取り出して左の手のひらに乗せ、右手の指を押し付けて水気を切っていく。こうすることで普通に水気を切るより水分を搾り取れる気がするのだ。
次はいよいよだし汁の出番。
砂糖と醤油を混ぜただし汁に油揚げを一度浸して、鍋の底に並べていく。普通に並べてから最後にだし汁をかけてもあまり変わらないと思うが、ここも私のこだわりポイントだ。
曼荼羅の如く幾何学状に並べられた油揚げに落し蓋を被せたら、後は弱火でじっくり炊くだけだ。
料理はこの時間が堪らない。火にかけられた水分が匂いとなって鍋から逃げ出す。その瞬間は、料理をしている人だけが体験できる至福の時間だ。香水なんて制汗剤くらいしか縁がないから知らないけど、甘辛じょっぱいこの匂いを香水にしたらきっと流行るに違いない。
十分ほど炊いたら落し蓋の横に箸を突っ込んで、だし汁の煮詰まり具合を確認し、数分ほど微調整。満足のいく濃さになったら火を止め、冷めるのを待てばいなり寿司の皮は完成だ。
と、思っていた。
「なんか違う」
冷ました油揚げに酢飯を詰めて完成させたが、どうも美味しく感じない。
油揚げも酢飯も、単品で食べるとそんなに問題はない。だけど、二つを合わせると、口の中で皮と中身が喧嘩をするのだ。吐き出すほどでは無いが、お店に出していいレベルじゃない。
時計を見ると午後八時を過ぎていた。病院から帰ってすぐ父親のレシピ通りに試作してみたが、このままではちょっとまずい。
だし汁の比率?
それとも煮詰める時間の問題?
原因が分からなければ一つずつ試してみればいいだけなのだが、一回の試作で三十分から一時間弱はかかってしまう。神社には明日の十時までに配達しないといけないが、その数百人前。徹夜を覚悟したとしても、試作にはそんなに時間をかけれない。
どうするべきか悩んでいたら、店の扉を叩く音がした。
「すみません、どなたかいらっしゃいますか」
「えっと、お客さんですか。すみません、今日は臨時休業になってしまって」
「そうなんですか!? お稲荷さんの予約をお願いしていたんですが、どうしましょう」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください」
注文表を張っておくスペースには何もない。
もしやと思って店の電話台を調べてみると、確かに今日の日付でいなり寿司の注文が書かれた紙が置かれていた。
(あんのクソ親父!)
文字の特徴と受付時間から、おそらく電話で注文を受けたのは父親だ。神社に酒盛りしにいく前に注文を受けて、帰ってきたら作ろう思っていたのだろう。そして石段スライダーからの入院コンボで注文のことをすっかり忘れていたのだ。
「すみません、うちの不注意で、ご準備ができていません。本当に申し訳ありません」
「ふんふん。匂いはするのでいま作っている途中ですかね。大丈夫ですよ、急いではいないので、少し待たせて貰ってもいいですか」
「あー……、実はですね」
身内の恥だが、背に腹は代えられない。このお姉さんなら見た目も優しそうだし、事情を伝えて誠心誠意謝り倒せばきっと許してくれるだろう。
そういう打算も込みで事情を話すと、丸眼鏡のお姉さんはテーブルに並べていた試作品を一つ手にとって、ひょいと口の中に放り込む。
あまりの早業に止める暇もなかった。
「むぐむぐ。なるほど、ちょっとお揚げとお米が喧嘩しちゃってますね。
去年食べた時は、もっとこう、長年連れ添った熟年夫婦のような味がしたので。もしかして、お醤油とか変えました?」
「醤油? いえ、特に、は。 っ!? ちょ、ちょっと待っててください!」
だし汁に混ぜた醤油。そういえば夕ご飯をつくる気分で市販の醤油を使っていたが、お店で出す料理の幾つかは父秘伝の醤油を使っていたはずだ。興味もないので事ある毎に秘伝秘伝と自慢してくる父親を無視していたが、たしか調理場の隅にデカデカと「秘伝」と書かれた壺があったはずだ。
改めて油揚げを作り直す。手順は同じだが、今度はだし汁に混ぜる醤油を秘伝の壺から投入。
冷ましている間に先程余った酢飯を成形しておき、熱が取れたところで酢飯を皮にくるんでいなり寿司の完成。
一口食べて、すぐ厨房から店内にダッシュした。
丸眼鏡のお姉さんは突然待たされたことに怒った様子もなく、ニコニコしながら文庫サイズの本を読んでいた。
「あの、これ!」
焦って言葉が上手くでない。
でもお皿に乗せたいなり寿司を見たお姉さんは合点がいったようで、一つ摘んでひょいと口の中に放り込んだ。
あぁ、言葉にしなくても、その幸せそうな笑顔を見たら分かる。これが、正解だったんだ。
∞
いなり寿司を持ち帰り用のパックに詰めて丸眼鏡のお姉さんに手渡す。
注文を忘れていた上に失敗作を食べさせて、しかも一時間近く放置してしまったのだ。お代は結構ですと断ったのに、「美味しいものを食べさせてくれたお礼です」と言ってお姉さんは支払いを譲らなかった。大人はこういうところがずるいのだ。憧れるほどに格好いい。
「初午に間に合ってよかったです。あと、お節介かもしれませんが、こちらもどうぞ」
丸眼鏡のお姉さんは代金と一緒に二枚の御札を小銭受けに置いて店を出た。
黒髪ロングのストレートで、和服の似合いそうな人だ。ああいう人が巫女服とかを着たらきっと人気が出るだろうな、と思いながら御札に目を向けると、病傷快癒と縁結の文字。
病傷快癒は入院した父親のためだと思うが、縁結とはこれいかに。年頃の少女だからと気を使ってくれたのだろうか。
時刻はすでに午後九時を過ぎている。いなり寿司不味い問題は解決したとはいえ、これから百人分のいなり寿司を作らなければいけないのだ。縁結びというなら戦力が欲しいところだが、無い物ねだりしても仕方がない。
大量の酢飯を扇ぎながらかき混ぜる重労働のことを考えて凹みかけた心に喝をいれ、調理場に戻ろうとしたところで店の扉がまた開いた。
お姉さんが忘れ物をしたのかと思って振り返ると、そこには米俵を肩に担いだ筋肉馬鹿が立っていた。
「え、押し売り? それとも強盗?」
「ちげーよ。親父さんに聞いた。うちが注文したいなり寿司作らないといけないんだろ。だから手伝いにきた。これは差し入れ」
「よっしゃ戦力ゲット! なに、あんた料理できるの?」
「できない。でも力仕事ならやってやるから、何でも言ってくれ」
「使えねー。まぁ重労働は全部任せればいいか。とりあえず、それ厨房まで運んで」
「おう」
「それにしても、神主さんも粋なことしてくれるね」
「は? 親父は関係ないだろ」
「ん? 神主さんが手伝いに行けって言ってくれたんじゃないの?」
「……お前が困ってると思ったから来ただけだ」
「それは、えーっと、ありがとう?」
コンロの前に立って、油抜きのためお湯に油揚げをどんどん投入していく。
違う。違う違う。私の頬がこんなに熱くなっているのは、決して赤くなっているからじゃない。熱い熱湯の湯気を浴びているからだ。こんな全身筋肉で馬鹿で無愛想で無口で一途で人から誤解されやすい奴のことなんて、全然ちっともこれっぽっちも何とも思っていないんだから。
それ以降はお互い口数少なく、午前三時に百人前が完成するまで最低限のやり取りしかできなかった。
∞
「いーよぉ~。らのちゃんお待たせー」
「れぇちゃん、おはらのー」
JDとJKが鳥居の前で挨拶を交わす。
丸眼鏡の黒髪少女と虹彩異色の金髪少女は厚着にマフラー、頭には帽子を被って耳を隠し、お忍びで人間界を歩いていた。
今日の目的はいなり寿司。
先日のお狐会でフォックストークが盛り上がった際、黒髪少女が初午の日に美味しい油揚げを食べたと言って、金髪少女が羨ましがったのが事の始まりだった。
「やっぱらのちゃんは神社とか似合うよね」
「れぇちゃんだって似合うと思いますよ。そもそも、巫女服が似合わない女の子など存在しないのです!
例えばですね、『境界線上のホライゾン』ではれぇちゃんみたいにオッドアイのズドン巫女が登場しますし、『とある魔術の禁書目録』でも御坂美琴ちゃんよりも先に巫女服ヒロインの姫神ちゃんが2巻でヒロインやってますし、ライトノベルと巫女服ヒロインは切っても切れない縁があるんです!」
黒髪少女が美味しい油揚げを出すお店を案内するとのことで、近くの稲荷神社で待ち合わせをして二人は散歩がてらお店を目指してた。
その道中、高校生の初々しいカップルが横を通り過ぎていく。
「ちょっと、歩くの早い」
「お前が歩くの遅いんだよ」
「今日はあんたに付き合ってあげるんだから、ちょっとは私に合わせてよね」
「ちょっと待て、誘ってきたのはお前だろ」
「うっさいバカ! ハゲ! 筋肉! この前のお礼ってだけだからね」
青春ですねー、と思いながら二人を見送ると、お目当てのお店が見えてきた。
見た目は普通の定食屋だが、その筋では有名な知る人ぞ知る名店だ。こだわりの職人である店主の秘伝である醤油を使った料理は特に人気で、お狐界隈ではこの店が作る油揚げが有名だ。
狐耳を隠した二人は店に入り、声を揃えてお目当ての料理を注文した。
「いなり寿司ときつねうどんをお願いします」
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