風月澪のことはれぇピって呼べよなぁ~!

 

「ありあとあっしたー」

 

 

 午後の十六時過ぎ、ようやくコンビニで昼飯を買えた。

 社内での出世競争に敗れて早幾年。

 転職する勇気もなくうだつの上がらない生活を続けていると、周りからも何となく覇気がないことが分かってしまうのか、会社でもどんどん隅に追いやられ、挙句の果てに誰も行きたがらない田舎への出張を押し付けられてしまった。


 

 朝一で新幹線のチケットを渡され「よろしく」の一言で社外へ追いやられた。慌てて駅に向かい、現地に着いたのがお昼過ぎ。

 もちろん宿泊代が経費で落ちるはずもなく、日帰り命令された兵隊はすぐに取引先に向かうしか無い。

 取引先の社長が長々と自慢話するのをヨイショして、何とか無事に仕事は完了。その代償として、俺のランチタイムはこんな時間までずれ込んでしまったのだ。

 

 

 立ち寄ったコンビニにはイートインスペースが無かったので、パンとレジ前の惣菜を何個か購入。

 どこかベンチでも探して食べようと思っていたら、突然天気が崩れ始めて大粒の雨が降り出した。

 あぁ、なんてツイていないんだ。

 

 

 雨の勢いは強く、コンビニの軒下くらいでは雨宿りもできやしない。

 またコンビニに入って傘を買おうか迷っていたら、運良くタクシーが店の前の通りがかったので、もう駅まで戻って新幹線の時間まで暇をつぶそう。

 


 タクシーに乗って「駅まで」と告げると、運転手は言葉少なめに車体を発進させた。

 こういう寡黙な人は好きだ。

 タクシーと理髪店は客と会話することが仕事だと勘違いしている奴らが多いが大きな間違いだ。



 会話ってのは本来物凄いエネルギーを使う行為なのだ。

 相手の意図を汲み取り、適切な返答を考え、如才なく受け答えする必要がある。

 仕事でもないのにそんな疲れることをわざわざしたくはない。

 

 

 そんな自分でも、さすがに見て見ぬふりをできないものがある。

 後部座席にもたれかかってぼんやりと窓の外を眺めていると、篠突く雨の中、ずぶ濡れで歩いている人影があった。

 町と街をつなぐ山中を通る道路、自分ら以外は一台も車が通っておらず、半径数キロ以内に雨宿りできそうな場所もない。

 


(あぁ、窓の外なんて見てるんじゃなかった)

 


 そう思いながら、運転手に声を掛けて、雨中行軍をしていた人影のそばで一度車を停めてもらった。

 

 

 


                  ∞




 

「いやー、あんがとねー」

 

 

 人影の正体は女子高生だった。

 鮮やかな金髪のセミロング。学校の制服にピンクのカーディガンを重ねて、胸下のリボンはゆるく緩められている。

 いかにも、今どきの女子高生という風情だ。


 

「まぁ、困った時はお互い様だしね。でも、あんなとこで何してたの」


「ちょっとね。あたしにも色々とじょうじ、……じょじじょ? じじょう! ってのがあってね。

 実はバイト先から帰る途中、自転車の鍵落っことしたことに気付いちゃって。

 どーしよーかなー、と思ったんだけど、歩いて帰ればいいか、って思ったの」

 

 

 どんな複雑な事情が、と思っていたら物凄いどうでもいい理由だった。

 というか、歩いて帰るにしても歩道もない山中の道路を通るとは、この女子高生アグレッシブが過ぎないだろうか。



 しかし、妙なことになってしまった。

 期せずして相乗りとなった女子高生はお喋りが好きなようで、こっちが相槌を打たなくても延々と喋り続けている。

 

 

 バイトの話、ゲームの話、お菓子の話、友達の話、癖の話。

 代わる代わる話題が入れかえ立ちかえ、よくもまぁこれだけ話題が尽きないものだと感心さえしてしまう。

 ハキハキとした聞きやすい声に、時折交じるハスキーボイス。

 彼女の声を聞いていると、つい心地よさに微睡んでしまいそうになる。

 

 

「おじさん、顔が疲れてるね」

 

 

 突然、少女が顔をずいっと近づけて瞳の奥を覗き込んできた。

 雨で濡れそぼった体から立ち昇る匂いを感じるほどの至近距離、完全にパーソナルスペースが侵された状態で、妙に不安になってしまう。



 少女の両眼が紅く、碧く光る。おかしい、少女はいつのまにオッドアイになったんだろうか。

 髪を後ろでまとめる赤いリボンの跳ね具合がまるで曼珠沙華の花弁を思わせる。喉元からチラリと覗く赤い入れ墨。

 少女は、最初からこんな格好だっただろうか。

 それでもなんとか平静を装って、少女に返答した。

 

 

「あぁ、大人には色々あってね」


「へー、大人になりたくないねー」


「……色々あるから、楽しいことだって、もちろんあるさ」

 

 

 自分が言った言葉にハッとする。

 そうだ、今でこそやる気もなく転職もせず、社内でうだつの上がらない日々を過ごしてはいるけれど、楽しいことだって確かにあったはずなのだ。


 初めて契約を獲った時、社内コンペで自分の案が採用された時、部署の予算を達成できた時なんかは部長の奢りで高い焼き肉を食べに行った。

 それに、さっきまで話していた取引先の社長が「こんな遠くまでわざわざ足を運んでくれてありがとうね」と契約更新の判子を押してくれた時なんかは、思わず嬉しくなってしまった。

 そうだ、辛いことばかりなんかじゃなかった。楽しいことだって、たくさんあったはずなんだ。

 

 

 ふと、憑き物が落ちたかのように体が軽くなるのを感じた。

 雨の山中で女子高生を拾うなんて、逆に憑かれそうなシチュエーションなのに、なんてことを考える余裕すらあった。

 少女はそんな心境を知ってか知らずか、名案を思いついたとばかりに手を叩く。

 

 

「んー、助けてくれたお礼にさ、いいこと教えてあげる」


(いいこと!? それは、つまり、その、いわゆるイイコトなのでは?)


「ほい、今日の21時くらいからだから、よかったら見てみてね」

 

 

 自分の不埒な妄想を余所に、少女は一枚の小さな紙片を差し出してきた。

 名刺のようなカードにはデカデカとQRコードが印刷されている。

 「これは」と聞こうとしたところでタクシーが止まった。

 窓の外は駅前。雨のカーテンで気付かなかったが、いつの間にか目的地まで到着していたらしい。

 


「そんじゃーねー」

 


 あっ、と思った時にはもう彼女は車から降りていて、駅の中に駆けていくところだった。

 

 

 

 

            ∞

 

 



「いーよぉ~。今日はだらだら雑談やってくよー」

 


 二十一時、スマホで例のQRコードを読み込むととある動画サイトの配信ページに繋がった。

 画面の中では、オッドアイに狐耳二尾の少女がひらひらと手を振っている。

 昼間に出会った女子高生と似ている、ような気がした。

 いくら思い出そうとしても、霞がかったように彼女の顔形が思い出せない。

 

 

「今日は初めましてのやつもいるかもしれないから、改めて自己紹介しておくね

 れぇはきつね系JKの風月澪だぞ、れぇピって呼べよなぁ~!」


 

 彼女の正体が昼間の女子高生だろうが、本当は人を誑かす化け狐だろうが、もう正直どうでもよかった。

 ただ、耳心地のいい彼女の声を聞くだけで、明日への英気を養えそうなのだから。

 

 



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