第3話「米計画(ライスプロジェクト) ~ライス兄弟の野望~ 中編
「ガーリック」
「へえ」
「チャー・ハン」
「ハイ」
カーリーは跪く男ふたりに声をかけた。
ガーリックは琥珀亭にハッシュドと共に米を売りにいった大男である。だらしなく笑った顔が、この男の頭が少々足らないことを証明していた。
それに比べ傍らの小さな小男。といっても確かに小さいが、がっちりとした体つきである。そして、のっぺりとした顔つきは明らかにこの地方の顔だちとは違う。
それもそのはず、このチャー・ハンという男、ライス兄弟を飢えから救ってくれたあの女アン・ニンと同じチュウカ帝国の出身なのだ。
だが、表情豊かな彼女とはまた正反対の、いったい何を考えているのかわからない無表情な男であった。
「ん?」
すると、カーリーは眉をひそめた。
「バターはどうした?」
「すぐに来るから先に始めててって言ってたよ、バターは」
ハッシュドが慌てて報告した。
「まったく…あいつは単独行動が目立っていかんな。後できつく言ってやらんと」
ぶつぶつと呟くカーリー。
だが、すぐに傍らのサフランに目を向ける。
「じゃあサフランはオレと来い」
「ええ、わかったわ」
サフランは紅い唇をニッとさせると、長く艶やかな黒髪をさっとひるがえらせた。
「ガーリックとチャー・ハンはハッシュドを手伝え」
「へぇ、わかりやした!」
「ハイ」
大喜びのガーリックと顔色一つ変えずに短く答えるチャー・ハンが対照的だ。
「行くぞ!」
リーダーの声にみなサッと二手に散った。
暗闇は彼らにとって好都合、大いなる味方であった。
ほどなくしてまたもや火の手が上がることだろう。
それからすぐのこと。
「王宮か……」
カーリーは、離れてはいるが圧倒的な異彩を放つ宮殿を凝視した。
「愚かな王だ。魔族を排除したとしても結界は人間にはきかん。邪教徒どもはホイホイ侵入してくるぞ。そうしてこの平和な国もいつの間にか邪教で染まってしまうのだ」
憎々しげににらみつけるカーリー。
「だから清浄なる米を体内に取り込むことによって邪教から身を護るのね」
「そうだ」
傍らのサフランに頷いてみせる。
「麦など食べるからこの大陸は邪教に冒されるのだ。あれは魔の食物だ」
厳しい目つきでそう言うカーリー。
すると───
「なぁーにをむちゃくちゃなこと言ってるんだ、いいかげん聞いてて恥ずかしいぞ」
どこからともなくあざ笑う声が───
「なにぃっ!」
驚愕して振り返るカーリー。
「頭悪いって言ってるんだ。米食べたからって邪教徒にならんわけないぞ。米を主食とするチュウカ帝国にだって邪教徒は存在しているのだ。お前の言うことには信憑性がまったくない」
そこには腕を組み、尊大な態度で立っているジュリーがいた。
唇には不敵な笑いを浮かべているが、カーリーを見つめる目は厳しく容赦がない。
相変わらず派手な恰好だ。
闇夜とはいえ、まったくの暗闇というわけではない。その仄かな明るさの中、ジュリーはゴールドの髪に宝石の粒でできた紐で髪を括り、見事な巻き毛を背中に垂らしていた。
衣装も真っ白でゆったりとしたズボンに短めのぴっちりとした上着、そして、キラキラと輝くシルバーのマントをこれ見よがしにまとっている。それは誰が見ても、少々趣味が悪いと思わずにいられないくらいの派手派手しい恰好だった。
「なにこの派手な男」
呆気に取られてサフランが呟く。
すると、それを聞きつけたジュリーが彼女に目を向けた。
そして、たちまち破顔した。
「これはこれは美しいお嬢さんだ。悪の手先にしておくには何とも勿体ないことだ。どうだ、そんな男見限って俺に乗り換えんか?」
「なんですってぇ?」
びっくり仰天の表情で叫ぶサフラン。
しかし、すぐに表情を引き締めこの失礼な男をにらみつけた。
「お前などよりもカーリー様のほうが何倍も素晴らしい人よ。おととい来やがれっ!」
行儀悪くベェッと舌を出す。
「おやおや」
それを見たジュリーは肩をすくめた。
「そんな下品な言葉を使うもんじゃないぜ」
「お前はいったい誰だ?」
反対に、カーリーは油断なくジュリーをにらみつけ誰何した。
「俺? 俺はこの国じゃちょいと知られた男ジュリー、ただのしがない遊び人さ」
「遊び人ジュリーだとぉ?」
大いに胡散臭そうな目をするカーリー。
「そう。このジャミー王国の秩序と治安を守る影の仕置き人ってとこかな?」
胸をそらせて言い切るジュリー。
「こいつ、バッカじゃないの?」
サフランはそっとカーリーの耳に囁いた。
だが、カーリーはそんな彼女の囁きにも全く関心がないかのようだった。
なぜか真剣な面持ちで、この不遜な言動の男をじっと見つめている。
(ただ者ではない?)
「お前は誰なんだ?」
彼はその容姿に似合わず、少々の不安を感じた。
すると───
「アンドリュシアンテクニスマレネス・ドードリアスカタヘルナ様、このジャミー王国の第二王子であらせられる」
「なに?」
「え?」
突然の声にカーリーとサフランは驚いて叫んだ。
「ムスターファ!」
ジュリーは不機嫌な声を張り上げ、声のした方向に顔を向けた。
そこにはいつのまにか、真っ黒な装束に身を包んだ影のような人物が跪いて頭を下げていたのだ。
「その名前は言うなと言ってあるだろう」
「ですが、貴方様のご本名でございます」
間髪をいれず答えるその男は、ゆっくりと顔を上げた。
「!」
カーリーとサフランは今までで一番驚愕したかもしれない。
ムスターファと呼ばれたその男の顔は闇のように真っ黒だったからだ。
時が移る───いつのまにそれほどの時が過ぎていたのだろうか。東の空がぼんやりと明るさを取り戻してきていた。
その仄かな明るさの中、ムスターファの顔の黒さがだんだんと異様に目立ってくる。
見ると顔だけでなく、首から手と、衣服から出ている肌すべてが黒光りしていたのだ。
長く垂らされた髪も艶やかな色の黒色で、なでつけ、額をくっきりとあらわにし、うしろできちんと括ってある。ジュリーのゆるやかで大雑把な結び方とは対照的だ。そのくくりつけ方でその人物の性格が何だかわかってしまいそうである。
「それより、取り押さえたんだろうな」
「御意」
丁寧なのかそうでないのかわからない受け答えである。
真っ直ぐに主人を見つめる目には、一見すると尊敬も何も窺い知ることができない。それほどこの黒い男は、まるで身分が下という感じがしないのだ。
「く…黒の種族……ほんとにいたんだ」
「…………」
カーリーはサフランの震える声にも答えることができず、ちまたでの噂話は本当であったかと思い知らされた。
黒の種族はかつてこの地に栄えたといわれているニグロリアン帝国の末裔なのである。
ニグロニアン帝国の人民は白の種族に一掃され滅んでしまったと言われていた。だが、どこかで細々と生き残っているのではないかということだったのだ。
そして、ジャミー王国が近隣諸国に注目されていたのは結界士を召し抱えているだけでなく、この黒の種族を部下として手足のように使っているのではないかという噂があったこともその原因であったのだ。
「これへ」
ムスターファが一言。
──ザザザ……
すると、何人かの者どもにはがい締めにされたハッシュドたちが連れてこられた。
「ハッシュド!」
叫ぶ兄カーリー。
「兄さん!」
泣きそうな表情で答える弟ハッシュド。
「くそぉぉ……これまでか……」
カーリーは悔しそうに唇をかんだ。
「残念だったな。ま、お前たちにとって幸運だったのは死人が出なかったことだ。改心しだいではすぐにでも放免されることだろう」
「…………」
人懐っこく笑いながらそういうジュリーをカーリーは怪訝そうな目で見つめた。
「何か申し開きがあればここで言ってみろ。事と次第ではこのまま放免してやってもいいぞ。宮中の奴らに引き渡してしまうと、軽い刑も軽くならん場合があるからな」
(なんだ、この男は)
カーリーは訳がわからず混乱していた。
彼が今まで出会ってきた人間たちと、このジュリーという男は違うような気がする。
特に身分の高い者といえば、すぐに極刑だ何だと言いだすのに、この男は一応自分たちの権利を尊重してくれている。
まったくもって奇妙な男だ。
しかもこの男は王族の中でもトップの地位にある第二王子であるのだ。
だが、元来何事にも疑り深い彼のこと。すぐにこの奇妙奇天烈な男を信じるということができずにいた。
と、その時!
「カーリー様たちを開放しろ!」
あまり気持ちのよいとはいえないキイキイ声が上がった。
「バター!」
少し離れた場所に脂ぎった顔をてからせた小男を見つけたカーリーが叫んだ。
どこから連れてきたのか、なんとバターは一人の女を楯にしていた。
首筋にナイフを突きつけた恰好で彼はさらに怒鳴る。
「この女が死ぬことになるぞ!」
「フィレネー!」
ジュリーのただならぬ声が上がった。
それもそのはず、涙にぬれ、あまりの恐怖に声も出せない様子のその女は琥珀亭の娘であるフィレネーだったのだ。
「よくやった! バター!」
すぐさま事態を把握したカーリーはサフランを従え、さっとバターの側へと移動した。
「動くなよ、女の命はないぞ。オレは本気だからな」
バターの声は武者震いからか微かに震えていた。
「うぬぬぬぬ……」
悔しそうに拳を握りしめるジュリー。
それに対してカーリーは顎をそらし、命令する。
「さあ、ハッシュド、ガーリック、チャー・ハンを開放しろ!」
ほんのしばらく沈黙が流れたが、ジュリーは重々しく口を開いた。
「やむを得ん。ムスターファ」
すると、この黒い男ムスターファはそっと主人に囁いた。
「憚りながら…お任せいただければ……」
「控えろ!」
途端に叱責の声が。
だが、すぐに柔らかな声音で、しかし緊張をはらんだ言葉が続く。
「お前を信頼していないわけではない。だが事は重大だ。もしも、ということもある。俺にとって彼女の命は、己の命に代えても最優先にしなければならんのだ」
「御意」
微かな不服のニュアンスが漂ってはいまいか───しかし、ムスターファは頭を下げてしまったので、誰にも彼がその胸の内に何を秘めているのかわからない。
それは、だが、この場合安易に想像できるというものだ。
いったい誰が、自分の主君とたかが町娘の命とを天秤に掛ける者がいようか。
ムスターファは頭を下げたままで控えている男たちに頷いてみせた。
男たちはムスターファとは違い白い顔をした普通の者たちだ。
彼らははがい締めにしていたガーリックとチャー・ハン、そしてハッシュドを自由にすると、さっとその場から離れた。報復を恐れてのことである。
開放された三人は、急ぎ自分たちの味方のもとへと走った。
それを見届けてからジュリーは叫ぶ。
「さあ、フィレネーを放してもらおう!」
「だめだ」
「なに?」
非情な言葉に色めき立つジュリー。
それを発したカーリーの顔をにらみつける。
「オレたちの安全が保証されるまでは開放するわけにはいかない。それと条件がある」
「条件?」
ジュリーは怪訝そうにその整った眉をひそめた。
「そうだ。お前がこの国の王子ならば話が早い。王に伝えよ。これからこの国では麦を排除し、米を主食とすること。でなければこの女の命はないと思え」
「米だと?」
ジュリーが何事かさらに言おうとするのをカーリーは遮る。
「口答えは許さない。これ以上はもう話し合いもしない。早急に回答を出し、もしこちらの言い分を飲むならば王宮の一番高い塔からこの印の入った旗を上げろ」
カーリーは自分の身につけている衣服の胸に描かれた不思議な文字『米』を見せた。
「それは…?」
さらに訝しげな表情を見せるジュリー。
「これはチュウカ帝国の属国であるジャッポンという島国でしか使われていない文字で、コメという意味がある。オレたちにとっては神聖な文字なのだ。一日だけ待ってやる。この文字の入った旗を必ず掲げろ、いいな!」
そう言い残すと、カーリー一味はすみやかにその場から去っていった。
「どう思う、ムスターファ」
しばらくしてジュリーはぼそりと呟いた。
「人質はおそらく大丈夫であるとわたくしは思います。もしご心配であるのなら、誰かをつけさせますが」
「いや…お前がそう言うならば本当に大丈夫なのだろう」
やや憮然とした顔ではあったが、まだ何かいいたそうなジュリーであった。
「アンドリュシアンテクニスマレネス・ドードリアスカタヘルナ様」
「お前…俺のこと苛めてないか?」
ジュリーは声に怒気をこめて言った。
「何をおっしゃいます。このような素晴らしいお名前を蔑ろになさる貴方様のお心の方がわたくしには理解できませんが」
至極真面目な表情できっぱりと言い切る忠実なるムスターファ。
だが、その主人であるジュリーは何かを見つけようとするように己の部下の顔を窺う。
「恐れながら……」
それに気づいたのかどうかわからぬが、この黒い顔の精悍な男は全く「おそれながら」という感じでもない声音で言った。
「それほどあの男、悪人という気がいたしません。筋道の通った説得で簡単に懐柔できると存じますが……」
「俺が説得するのか……」
ジュリーは考え込む。
それをじっと見つめるムスターファ。黒い顔のためにその白目は鮮やかな輝きを見せている。
「正直な気持ちをぶつけてみては如何でしょう」
「正直な気持ちだと?」
少々驚いて聞き返すジュリー。
「左様です。あのようにひとつの事柄に固執する者でございますから、それを崩してやればよろしいかと……」
「ふむ……」
ムスターファの言葉に再び考え込む。
「よくはわからんが、正直に伝えればいいんだな……」
「…………」
微かに───ほんの微かにムスターファの薄い唇が動いたようだった。
それはまるで思わず浮かんでしまいそうだった微笑みを無理やり封じ込めた、という感じがしないでもない。
「今お前、笑っただろう」
めざとくそれを見つけたジュリー。
「何をおっしゃいますやら」
「いや、ゼッタイ笑った!」
澄まし顔のムスターファをギロリとにらみつけるが、まったく相手にならない。
「アンドリュシアンテクニスマレネス・ドードリアスカタヘルナ様」
「その名前を言うな!」
ジュリーは両手で耳を押さえて叫ぶ。
「アンドリュ……」
「わかった、わかった! もう笑ったとは言わん。だからやめてくれ」
「…………」
とたんに黙り込むムスターファ。
それを恨めしそうな表情で見つめ呟くジュリー。
「まったく……その名前を言っていいのは兄上だけだ………」
「ごめんね」
ハッシュドは縛られたフィレネーに声をかけた。
彼は例の「おにぎり」を大きな葉っぱにのせて彼女のために持ってきたのだ。
「これ食べて。縄をほどいてあげたいけれど兄さんに叱られちゃうから、僕が食べさせてあげるよ。ほんとごめんね」
「…………」
フィレネーは後ろ手で縛られ小屋の隅に縮こまって座っていた。
泣きはらした顔をハッシュドに見せている。
「かわいそうに……」
彼は思わず呟いた。
痛々しくて見ていられない。
「あなた……名前…」
だが、思いのほか彼女の声は落ちついていた。
呟くようなその声にももう取り乱した感じはなかった。
「僕はハッシュド、ハッシュド・ライス」
ハッシュドは半ばホッとして答える。さらに兄の名前までも。
「兄さんはカーリーっていうんだ」
「どうしてこんなことするの?」
すると、とたんにフィレネーは声を荒らげた。
それに対し、ハッシュドは悲しそうな顔を見せた。
「これ……」
彼の視線は手元の「おにぎり」に向けられた。
フィレネーもそれに目を向ける。
「これ、おにぎりっていうんだ……。僕たちはお米で作るこのおにぎりに命を救われたんだよ。厳密に言うとおにぎりを食べさせてくれた人に救われたんだけどね。僕たちは麦を食べてる人たちに苛められたから…ううん、それだけじゃない。麦を食べてる人たちには邪神教徒が多いから……だからみんなお米を食べるようになれば邪教に身を投じることもなくなる……だから、兄さんはお米の素晴らしさを広めるために働いてるんだ」
「でも、それにしてはやり方があまりにも乱暴すぎない?」
フィレネーは優しく、だが少し非難まじりに言った。
「もっと平和的に広めることだってできるはずよ」
「僕…僕にはよくわからない。子供のころから兄さんのすることは間違ってないって思ってたから……」
ハッシュドは手を震わせた。それをじっと見つめるフィレネー。
「ねえ、ハッシュド。あなたいくつ?」
「え……十八になったけど……」
彼は首を傾げて答えた。
彼女はいったい何のつもりで年など聞くのだろう。
「じゃあ、私のほうがひとつお姉さんね」
すると彼女はにっこり微笑んだ。
「ねえハッシュド。もう十八といったら立派な大人よ。兄さん兄さんと、いつまでもお兄さまの後ろをついていくもんじゃないわ。あなたはあなたの考えを持つようにしなくちゃね。そこで聞くわ。あなたはどう思うの?」
「え? どう思うって?」
ハッシュドはびっくりして聞き返した。
「お兄さまのやり方は本当に間違っていないと思っているの?」
「え……あ…うん……」
ハッシュドは真剣に考え込んだが、すぐに頭を振った。
「やっぱりよくわかんないよ。でも、僕、あなたのことどうにか兄さんに頼んでみる。かわいそうだもん。あなたにはお父さんとかお母さんいるんでしょ? とってもあなたのこと心配しているだろうね。早くあなたを帰らせてあげたいよ。ご両親が悲しむから」
「まあ、ハッシュド!」
彼女の顔がパッと輝く。
声の調子には明らかに同情が浮かんでいた。
「私、約束するわ。絶対逃げないから縄をほどいてくれる? そのとてもおいしそうなオニギリを自分の手で食べてみたいのよ」
「うんっ、いいよ!」
ハッシュドは有頂天になった。
「じゃあ、一緒に作ってみようか。僕上手なんだよ、おにぎり作るの。これだけは兄さんよりも上手だって言われたんだ。まん丸にしたり、たわらの形にしたり……でね、きれいな三角形をつくるのが一番難しいんだよ」
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