中編

 とある土曜日の午後三時。私はその日非番だった義父の自家用車で陽子と一緒に隣の清和町せいわちょうにあるディスカウントショップ「ウェンデルマート」に行った。地元には食料を売っている店が無いので、自動車で買い出しに行くか、移動販売車の訪問を待たなければならない。過疎地ならではの不便さである。


「父さんはクリーニング店に寄るから、先に買い物しといてくれ」


 義父はレシートを渡してきた。その裏に買うものがリストアップされている。


「む、こいつはカレーかすき焼きだな。どっちに当たるかな」


 というのが陽子の分析だ。今津家では二家族分をまとめて買うので、義父がどの具材をどの家に分配するかで今夜のメニューが決まる。


「でも、どっちに当たっても大当たりだね」

「だな」


 私たちは買い物カゴ二つをカートの上下に載せると、リストに書かれているものを次々に積み込んでいった。


「美月、肉は『2割引き』のシールが貼られているのを取れよー」

「わかってる」


 頭がアレな割には金銭感覚はきっちりしているな、と思う。値引きシールが貼られている、賞味期限が今日で切れるバラ肉と薄切りスライス肉を取って積み込むと、陽子は精肉コーナーで流れていた『お肉スキスキ』の歌を機嫌よく歌いだした。それを聞いた小さな子どもが「♪おにくスキスキ~」と真似をした。


「♪おにくスキスキ~」


 陽子も子どもに合わせてあげたら、子どもはキャッキャッと楽しそうに笑った。そのまま母親のところに戻っていったのだが、陽子はニコニコと手を振って見送ったのだった。子どもを相手にするなんて、普段の陽子の態度からして似つかわしくないことをしている。本当にわけのわからない姉だ。


「いやー子どもって可愛いよなあ。私も子どもの頃に戻りたいわ」

「ふーん、それでまた大勢の男子を泣かせるんだ」


 いやみったらしく言ってやったが、陽子は無視した。周りの雑音で聞こえなかったか、聞いてないフリをしているのか。


「それにしても叔父貴、おっそいなあ」

「クリーニング店のおばちゃんと長話してるんでしょ」


 買い物の量はとても多い。私たちの手持ちの金額を合わせたら立て替えることはできるだろうけれど、後で精算するのが少々面倒になる。


「美月、先にレジに並んでくれ。叔父貴呼んでくるわ」

「オーケー」


 レジカウンターに向かうと、土曜日とあってかどこもだいぶ列ができている。清和町も人口が少ないけれど、このウェンデルマートが町内で一番大規模な店舗なので買い物客が集中しているのだ。


 比較的空いてそうなところを選んで並ぼうとしたときだった。


「あ、今津さん」

「川田先生!?」


 ドクン、と心臓が跳ね上がる。私の前にいたイケメンは、紛れもなく川田優先生。そういえば先生は清和町住まいだった。


「結構買いこんでるね。家のおつかいで来てるの?」

「は、はい」


 川田先生の買い物カゴが店員さんの手に渡った。


「あ、レジ袋一枚ください」

「五円になりまーす」


 先生はマイバッグを持ってきていなかった。


 カゴの中には出来合いのお惣菜とか、インスタント食品とか、度数9%のチューハイとかが入っている。彼女がいるかどうかという質問の答えは有耶無耶にされたけれど、結婚はまだしていないと聞いている。一人暮らしの男性の買い物ってこんなものなのだろうか。


「はは、先生は情けないことに米を炊くぐらいしかできないんだよ」


 私がマジマジとカゴの中身を見ていたのに感づいたらしい。


「あっ、いや、別に情けないことではないと思います。仕事しているとなかなか料理する時間は取れないですよね?」

「そうだね。休日に料理の練習しないといけないと思っていても、やっぱりゆっくりしていたいんだよね」


 実に正直な答えで、私はつい笑ってしまった。


 店員さんが代金を告げると、川田先生はお金を店員に渡した。きっかり一円単位まで出してお釣り無しだった。


「じゃあね、今津さん」

「えっ、あっ……」


 肩をぽんと叩かれた。血管が破裂しそうなぐらい、全身に勢い良く血が流れていくのがわかる。私はさようならの一言も言えないまま、先生の後ろ姿を見送った。


「すまんすまん、つい話が長引いてしまった」


 パンチパーマにサングラスという、どう見てもその筋の人にしか見えない義父がレジカウンターに入り込んできた。せっかくいい気分でいたのに台無しだ。


「ん、どうした。ボーッとして」

「い、いや、別に……」


 私たちは二家族分の具材を三箱のダンボールに分けて詰め込んで、一人一箱ずつ持ち出して車に積み込んだ。当然、川田先生の姿はもう見えなかった。


 帰りの車の中でもずーっと川田先生のことばかり考えていた。この甘く切ない気持ちは、一人で抱えるには重たすぎる。


 帰宅して陽子の一家と具材を分けあった後、私は陽子に話しがある、と伝えて陽子の部屋に向かった。本棚のラインナップはがらりと変わっていた。


『カルト教団が出来るまで』

『宗教家になろう 新興宗教立上げマニュアル』

『カリスマ教祖たちの秘密』...etc


「なに、これ」

「最近、私の中でカルト宗教に対する熱が上がっているんだ」


 陽子は不敵な笑みを浮かべる。さっきまで子ども相手に微笑ましい光景を繰り広げていたのに、やっぱり相も変わらずおかしいヤツだった。


「で、いったい何の用かね? 我が妹君」


 大層なしゃべり方だった。


「実は私、好きな人ができたんだ」

「ほう」


 陽子は椅子の上で後ろ手を組んだまま、別段驚く様子を見せない。


「相手は誰よ? 飯塚? 近藤? 松井翔太? 松井雅紀? 藤尾は無いな。あいつすんげーブサイクだし」


 何せ狭い田舎だから、陽子は三学年下の私の同級生の男子のこともよく把握している。全員の名前を矢継ぎ早に上げていくけれど、私はどれも違うと否定した。


「じゃあ誰だよ」

「担任の川田先生」

「!?」


 私はこのとき、陽子が目をひん剥くのを生まれて初めて見たのである。


「お前、よりによって教師かよ」

「て言ってもまだ二十代半ばで若いんだよ。めっちゃイケメンで優しいし。それで……」

「このドアホが」


 私が言い終わる前に、陽子はきつく罵った。


「なっ、ど、ドアホ……!?」

「ああ。ドアホだお前は。教師が小学校出たての教え子とお付き合いしてみろ。バレたら懲戒免職だ。そう地方公務員法で決められてるんだ。知らんのか」


 常識的な考えからは程遠い姉の口から法律を持ちだした常識論が飛び出したものだから、さっきの暴言と相まって急激に頭にカーッと血が上った。


「あっ、あんたなんかに言われたくないわ! 恋愛経験ゼロのくせに!」

「ほざけ。つかお前、わざわざ自慢しに来たのか?」

「違う!」


 緑葉女学館では同性相手とはいえ、恋愛が盛んに行われていると陽子から聞かされたことがある。例え陽子に恋愛経験が無くても、周囲はどうやって恋人関係にまで持ち込んだのか、恋人としてどう振る舞っているのかを知りたくて相談をもちかけたのだ。なのに姉妹喧嘩になってしまうなんて。


 だけど陽子は、私を余計に苛つかせるぐらいに冷静だった。


「よく考えなおせ。こんなドがつく田舎で教師と秘密の恋愛なんかできるわけがない。教師とデキてますって周りで噂されたら結局はお前が一番しんどい目に遭うんだぞ。一生後ろ指差されて生きなきゃなんないんだぞ」

「ごちゃごちゃうるさいっ!!」


 これも生まれて初めて、姉を怒鳴りつけた。はっと気づいたときには遅かった。陽子は怒りというより、何と言葉にしていいのかわからないぐらい恐ろしいほどの冷たい感情を含んだ瞳で私を睨んできた。私は気圧されて後ずさりしかけたが、ビビっていると思われないように精一杯虚勢を張る。


「……もういい、あんたに話したのが間違いだった。全部忘れて。帰る」

「ああ、勝手にしろ。クソが」

「ふんっ!」


 ドスドスと大きな足音を立てて階段を降り、家を飛び出した。何がクソだ。クソ陽子。


 帰ると捨て台詞を吐いたもののその足で自分の家に帰らずに、駅前の大通りの方に出ていった。何でそうしたかはわからない。


 大通りといっても幅は二車線もないし、左右にある個人店舗の大半はとっくの昔に潰れていて寂れに寂れている。かつてはこの地に炭鉱用の爆薬製造工場があって活気があったという。だけど昭和の半ばに炭鉱の閉鎖が相次ぎ、その煽りを受けて工場が撤退してから急激に寂れてしまい、今のようになってしまった。そう小学校の地域学習で教わった。


 住民を失い荒れ果てた建物は普段から見慣れている。だけど今は、まるで私の心境を具現化したものに見えて仕方がなかった。


 あてもなくウロウロと町内を歩きまわるうちに昂ぶった感情はクールダウンしていき、川田先生のことを考える余裕が出てきた。あの顔と性格、他の女子だって狙っているかもしれない。早めに動かないと。よく考えなおせ、などというおせっかいな忠告は無視するに限る。


 私は休み明けの月曜日に行動に出た。

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