【10】悪夢の連鎖、恐怖の到来
「おいおい、勘弁しろよな……マジで」
フロア内を埋め尽くすように存在するホムンクルスの群れ。それらの姿が野間の号令と共にブレ始める。
人型をしていたのが形を歪め、そしてノイズブロックを纏いながら大きさを増していった。
「ある意味、レアな光景と言えなくもない……な」
紫狼の洩らした減らず口は、しかしその表情と同様に一切の余裕も感じられないものだった。視界に映るのは絶望の景色。
『消費電力、限界だよ!』
『どうにかならないのか!?』
ヘッドセットから聴こえて来たのはオードリーと保田の、切迫した悲鳴にも似た焦りの声。それに何かを言うことすら、今の紫狼には出来ない。
それほどに目の前で起きている事態は、絶望的なものであった。
「……ま、黙ってやられるのも性に合わないしな。やれるだけの事はしますか!」
右手の中のMEDに目を落とし、バッテリー残量を確かめて呟く。例え一撃で仕留めたとしても、全てを処理するには程遠い量しか残されてはいない。
いや、仮にバッテリーがフルだったとしてもこのホムンクルスの群れの多さでは、それは不可能なことだった。
戦う以外の選択肢と言えば出口を目指して包囲網の一点を突破する、というものもあるがそれも極めて難しい状況。例えそれがうまく行ったとしても、モールを離脱するよりも前に電力の過剰稼働によって施設が未曾有の破壊を起こすのが先だろう。
もはや紫狼に残されたのは、ただ黙って変異ホムンクルスにやられるのを待つか、或いは無駄だと知っていても戦い一矢報いることぐらいのものだった。
「そうと決まれば……オラァッ!!」
気合いの一声と共に床を蹴り、変異途中のホムンクルスへと飛びかかる。全身から力を奪い去ろうとする絶望感を、野間への怒りで振り払いながら。
****
「どうにかならないのかっ!?」
「ダメっ! 完全に弾かれる!!」
同じ頃。オードリーと保田のいる端末室もまた、絶望が訪れようとしていた。
待っているのは最悪の結末しかないと理解しながらも、可能な限りのコマンドを打ち込み続けるオードリー。だが、無情にもシステムはその全てを拒絶し弾いてくるばかり。
機器の立ち並ぶ室内、決して広くはないスペースを埋めるように佇んだホムンクルスたちが次々に変異を進めていく。
「コイツらにやられるのが先か、モールが吹っ飛ぶのが先か……どっちにしろロクなもんじゃないなっ」
けたたましく鳴り響く警告音に眉をしかめ、吐き捨てるように保田。それでもACPS隊員のプライドからか、終局を座して待つ気は微塵も無かった。
バッテリー残量の僅かな銃を、肥大化しナメクジのシルエットを取りつつあるホムンクルスへと向ける。
「くっ、施設の電力供給が臨界突破する……っ!!」
ホムンクルスの変異に合わせて、あり得ない勢いで上昇する供給電力量のゲージを見つめながら、オードリーが嘆きの声を吐き出した。まだ何か手はあるんじゃないのか、その頭脳を限界まで巡らせて可能性を探すが出てくるのは無力な結論だけ。
「くそったれぇぇぇぇっ!!!」
せめてもの抵抗。咆哮を上げて保田がホムンクルスに向かって駆け出す。それに何の意味もないことをわかりながら、それでも人間らしくありたい。その思いに突き動かされての行動。
心を染めていく諦念の塊、それを押し退けなおも端末を操作する手を止めないオードリー。
衝撃が二人の動きを静止させたのは、その時だった。
****
「なっ!?」
変異を完了させようとするホムンクルス・ラグスに向かって放った斬擊。それが空を斬ったのと同時に、紫狼の口から驚愕の声が洩れる。
攻撃しようとしたホムンクルスが、前触れもなく唐突に消滅したのだ。動揺しつつも態勢を整え、周囲を見渡せば他のホムンクルスも次々にその姿を消滅させていくのが見える。が、消えるのは全てではなく、変異を完了させたラグスも確認できた。
「少しはボクも遊ばせてもらわなきゃね!」
不意に背後から聴こえたのは、幼さを感じさせる無邪気な声だった。振り返る暇もなく、紫狼のすぐ横を鋭い風が追い抜いていく。
遅れて風の行き先に目をやった紫狼が見たのは、ラグスを右手で貫いた小柄な人の姿。
「まずは一体っと」
紫狼の頭がそれをはっきりと認識する。ラグスを貫きながら楽しげな声を口にしたのは、まだあどけないとしか形容の出来ない少女だった。それはこの場にいるには、あまりにも異常な存在に思えた。
「お前は……!?」
「ん?」
無意識に出た問い掛けに、少女が振り向く。その姿はまるでイベントに登場したアイドルか、或いはコスプレ趣味の行き過ぎたものか。
ヒラヒラとした装飾の多い、ゴシックロリータの服を着た少女だった。
「あ、ACCSの人だね。危ないから下がって……」
暢気な口調で紫狼にそう告げかけた少女に、まだ残っていたラグスが一斉に突っ込んでいった。普通に考えれば、それは最悪の結果にしかならない状況。
だが紫狼の視界の中で起きているのは、何かに阻まれ動きを止めたラグスたち。
「やだなー。ボクが話してる途中なのに邪魔しないでよ」
そして耳に聞こえてきたのは、少し不機嫌そうな口調の少女の声だった。次の瞬間、少女に群がっていたラグスたちが一斉に消滅する。
「あーあ。なんか興醒めしちゃったな。さっさと終わらせちゃおっと」
虚空に霧散していくラグスだった粒子の奥から、先程までとは打って変わってつまらなさそうな表情の少女が姿を現した。埃を払うように両手で服をポンポンっと軽く叩いてから。
その姿が突然、その場から消える。
「っ!?」
事態を飲み込めず困惑する紫狼の視界の中で、まだ残っていたラグスが一瞬にして霧散していく。それが、目で捉えきれない速さで動く少女だと理解したのは、最後の一体が消滅した時だった。
「はい、終わりっと。あーあー、ボクの方は終わったよー。そっちはー?」
『愚問』
「相変わらず素っ気もクソもないよね、ガブちゃん」
『無駄口は不要だ。さっさと片付けるぞ』
独り言のように話す少女に、どこからか落ち着いた感じの男の声が返ってきた。簡潔すぎるその言葉からは、神経質そうな印象を感じ取れる。
交わされる内容から、別の場所でもここと同じような事が起きていることを紫狼は理解した。
「! オードリー、そっちはどうなってる!?」
『……信じられないけど、たぶん紫狼くんの想像通りだよ』
「って事はやっぱり、今のは……」
『うん、ここにいる』
紫狼の呼び掛けに一瞬の間を空けて返ってきたオードリーの言葉、それは何となく予想していた通りのものだった。最悪へ一直線の絶望は、唐突な介入者の手によって一瞬にして終わりを迎えようとしていた。
****
「バカ……な……っ、何が起きたんだっ!?」
モールの上階、モニタールームで全てを見ていた野間の口から漏れたのは、驚愕の声だった。想定外に彼の邪魔をしたACCSとACPSに引導を渡そうとした瞬間、勝利の悦びにほくそえんでいた目に信じがたい光景が飛び込んできた。
「アイツらは、いったい……?」
まるでそれはたちの悪い冗談のような展開。あまりにも現実感の薄い、冗談のような出来事に呆然と野間が呟く。
理解の範疇を越えた事態に、思わず口にした言葉はスピーカーを通してモール内に響き渡っていた。
「!?」
そして、野間が息を飲む気配が伝わる。それは紫狼のそばにいる少女と、端末室にいる男が野間の見ているモニターに顔を向けた時の事。
野間の背筋を悪寒が走り抜ける。慌てて目の前に並んだコントロールパネルを操作し、状況の打開を図ろうとするが……
『無駄ですよ、野間くん』
不意に耳に届いた、穏やかで透き通るような声に弾かれたように野間が顔を上げる。モール内の各所を映し出していたモニターはしかし、今は全てを繋ぎ合わせるように大きな顔を映すだけだった。
「ノ……ア……」
『残念ですよ、野間くん。君がこんな事をするとはね』
映し出された整った顔立ちの青年を凝視し、掠れた声で呟く野間。青年は心底残念そうな、悲しそうな表情と口調でそう告げる。
野間が口にしたのは、モニターに映し出された青年の名前。それはこのArksーCityの全てを管理する者の名前だ。
「なぜ、だ……? システムは完全に私が掌握している、はずなのに……!?」
『あらゆる事態を想定して、あらゆる対応が出来るようにしているんですよ。この都市にある全ての施設で』
「そん、な……どうやって……」
『機密情報、とだけ。ではそろそろ終わりにしましょう。君のように優秀な人材を処分しなければいけないのは、本当に惜しいですがね』
「!! ま、待ってくれ!!」
冷たく言い放つノアに、狼狽しながらも野間が食い下がろうとして。
「次世代社会のモデル都市、それがArksーCity。知っているはずだが?」
「ひっ!?」
「完全管理社会で、それを逸脱したらどうなるかなんて……ボクたちに言われなくてもわかるよね?」
背後から聞こえた二つの声が、野間を凍り付かせる。
いつの間にやって来たのか。震えながら振り向いたモニタールームの入口に、ゴスロリ姿の少女と黒い背広姿の細身の男が立っていた。
「や、やめっ……殺さな」
命乞いの言葉はしかし、最後まで紡がれることはなく。絶望をその顔に張り付けたまま、野間はそれっきり動かなくなった。
「ごめんねー? 言い訳なんて聞く気、ないからさ」
野間の左胸に右の手の平を当てながら、ゴスロリ少女がそう言った。どうやったのか、何をしたのか。何が起きたのかすらも知らないままに、この事件の首謀者の命運は尽きた。
『二人とも、ご苦労様でした。あとの処理はACPSに任せましょう』
「了解。では、我々は速やかにバベルに帰還いたします」
「帰ったら頭撫でてね、ノア様!」
モニター越しに交わされる淡々としたやり取り。そこへ紫狼と保田、そしてオードリーの三人が姿を現した。
****
『ACCSの紫狼、オードリー。そしてACPSの保田ですね。あなた方もご苦労様でした、無事で何よりです』
駆け付けた三人に向けて送られる、モニターに映し出されたノアからの労いの言葉。それまでの緊迫した状況とはまるで裏腹のその雰囲気に、思わず立ち尽くす三人。
「あんたは……?」
「野間は……っ!?」
モニターに向かって誰何の声を出す紫狼と、事件の元凶を探し、床に倒れて動かない野間を認め愕然とする保田。オードリーはモニターに映るノアを見つめ、何とも言えない表情で固まっていた。
「遅かったねー? もう終わったよ、こっちは」
「事後処理については既にACPSに指示を与えてある。諸君は帰還し、身体を休めることだ」
「……野間を、どうしたんだ?」
「処分した」
あっけらかんと言う少女と、厳かな口調で告げる男。訊ねた保田の言葉に返ったのは簡潔で、そして無情な答えだった。
「奴はテロの主犯だ、捕らえて法の裁きを与えるべきじゃないのか!?」
「やだなー、ここは次世代社会の試験モデルだよ? 外とは違うんだってば」
「ラフ、言葉には気を付けろ。野間は危険な状態だった、これ以上モールに危害を与えるようなことがあってはいけないと判断しての処置だ」
「だが……」
保田を茶化すように言う少女を遮り、男が淡々とながら理路整然と述べる。筋の通った説明に、しかし保田は反論しようとして。
『詳しい話はまた後日としましょう。今はとりあえず、事態の収拾が最優先ですので』
「……くっ、わかった」
『自己紹介が遅れましたが、私はノア。ArksーCityの管理責任者、といったところです』
モニターの青年が口にした言葉に、思わず三人が息を飲む。その名前はArksーCityで過ごす者ならば誰でも知っているもの。
だが、実際にノアを目の当たりにするのは、通常ならばあり得なかったからである。
「で、そこの二人は?」
『私の秘書のようなもの、とでも理解してもらえれば』
「ボクはラファ、よろしくね!」
「ガブと覚えておけばいい」
「秘書、ねぇ……」
思わぬ出会いに気後れしながらも、口を開き訊ねる紫狼に二人がそれぞれ答える。まるで正反対の印象ながら、二人に共通するのは緊迫した状況とはあまりにもかけ離れた……人間味を感じられない嫌な感覚だった。
『では我々はこれで失礼させていただきます。連絡は追ってまた』
「あぁ、了解した……」
ノアの言葉に、渋い表情で頷く保田。そしてラファとガブの二人が歩を進めた。三人の横をすれ違うその瞬間だった。
「キミ、なかなかカッコ良かったよ? ボク、少し興味あるな」
「そりゃどうも」
ラファが悪戯っぽい笑みを浮かべながら、紫狼にそう言ってきた。それをどう解釈すればいいかわからず、紫狼は顔をわずかにしかめつつ、それだけ返すのが精一杯であった。
虚実都市【ディストピアーク】 光樹 晃(ミツキ コウ) @cou-mitsuki
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