【7】悪意の在り処

「どんな感じだ?」

「あんまり急かさないでよ。我慢できない男は女に嫌われるぞ?」

「……茶化すな」


 簡潔に進捗状況を訊ねる保田に、オードリーはからかうような言葉で返す。が、その声に普段の余裕は見られず、そして彼女自身もまた端末の操作に並々ならぬ集中力を注いでいるのが見て取れる。


「アイツは、大丈夫だろうか」

「紫狼くんが心配? どんな関係か知らないけど、少なくとも嫌ってる訳じゃなさそうだね」

「勝手な想像はするな。軽口を叩いてる暇があるなら、システムの修復に専念しろ」

「照れちゃって~……と、また怒られそうだから作業に戻るよ」


 ぼそりと呟いた保田の一言に、間髪いれずツッコミを入れるオードリー。微かに不機嫌そうな……いや、どちらかと言えば誤魔化すようにキツい口調になり返した保田に、オードリーは少し笑いながら作業の手を進めていく。

 つかの間、緩んだ空気は端末室に迫る人ならざる気配の接近によって緊迫したものへと変わった。


「敵さんの相手は任せるよ。……こっちをしっかりやれるように、ね」

「保証はしない。が、仕事に手を抜くことも有り得ない。頼むぞ、ACCS……!」


 言葉を交わし終わるのと同時に端末室の扉が勢いよく開き、何体もの暴走ホムンクルスが室内に飛び込んで来た。


****


 普段なら賑わっているフードコートに人の姿はなく、代わりにいるのは大量のホムンクルスたちの姿だった。


「次から次へと忙しいな!」


 飛び掛かってきた二体をMED・SWORDモードの刃で一閃し、打ち払いながらぼやく紫狼。

そのまま足の勢いを止めず駆け抜ける紫狼に、また別のホムンクルスが反応し動き出す。攻撃態勢に移るよりも早く間合いを詰め、一息にMEDの刃で斬り払った。


『紫狼、バッテリーのことも考えて戦闘して!』

「わかってるって、俺だってこれでも考えながらやってるんだよ!」


 モール内を埋め尽くすかのように群がるホムンクルス、それを全て相手していてはMEDのバッテリーが切れるのは言うまでもない。

 だが、戦闘を避けようにもここまで大量にひしめき合っていると、そう都合よくはいかせてくれない。紫狼はバッテリーの消耗を抑える為に、極力最小限の手数で障害となるホムンクルスを排除する戦い方をしていた。


「ってもこれだけの数だから、行動パターンも単純だ。このままなら何とか突っ切れる」


 暴走とは言え、元々ホムンクルスの行動パターンに設定されたプログラムはそれほど複雑なものではない。今の状態でも人に対しての攻撃を可能にするだけでも膨大な電力が要される以上、その行動パターンは正常な時よりも単純化されているのは間違いなかった。

 さしずめ一定距離に接近した人間を攻撃対象とする、それぐらいが関の山だろう。


『それならいいけど……でも、油断はしないでよ? これだけの事態となると、間違いなく……』

「あぁ。単なるエラーとかバグじゃない。黒幕がいるのは確かだ」


 不安があるとすればそこだった。偶発的な事故であるならばともかく、人の意思による暴走である以上は意図的なタイミングでこちらへの攻撃を、エスカレートさせる可能性がある。

もしそうなった場合、さすがに紫狼と言えども一人では切り抜けるのが困難なのは明白だった。


「そうならない事を祈って、このまま事務所に行くさ」

『それしか、ないね……頼んだわよ、紫狼!』


 アナスタシアとのやり取りをする間にも、接近したこちらに反応したホムンクルスを何体も打ち払いながら紫狼は進み。そして未だ厚く立ち塞がる敵の向こう側に、事務所へ通じる扉が視界に入ってきた。


「見えてきた、一旦通信を切るぞ」

『了解』


 そのまま駆ける速度を上げ、ホムンクルスたちの隙間をすり抜けるようにして扉の前まで近づいていく。紫狼の速さに遅れて放たれたホムンクルスたちの攻撃、その空を切って生じた圧が身体に伝わってきた。


「悪いな、お前らの相手してる暇はないんだ」


 扉の前、佇む二体のホムンクルスの姿。素早くそれらを斬り倒し、紫狼は扉を開け中へと飛び込んだ。後ろ手に扉を閉めると、閉めた扉に何かのぶつかる衝撃と音が鳴る。


「うわぁっ」

「ひっ」


 同時に室内から届いたのは、恐怖にひきつった悲鳴が二つ。声の出所に目を向ければ、事務所の奥側の隅に小さくなって震える職員の姿があった。

まだ若い男性と女性の二人が、身を寄せあってこちらへと怯えた顔を向けている。


「落ち着け、俺はACCSの人間だ。助けに来た、大丈夫か?」

「ひぃぃ……えっ?」

「助けに……?」


 MEDを待機モードにして静かな口調で訊ねながら近付く紫狼に、怯えた職員二人は一瞬の間を置きぽかんとした顔に変わる。

彼らの気が落ち着くまでの僅かな間に、室内に視線を巡らせる紫狼だったが他に人の姿は見当たらなかった。


「助かった……?」

「いや、まだそうとまでは言い切れないが……けど、ちゃんと無事に帰すから安心してくれ」

「ま、まだ……なんだ……」


 一瞬、安堵しかけたものの紫狼の言葉を聞いて再び悲痛な声に変わる。女性の方は目に涙を浮かべている。


「ところでここにいるのは、あんたら二人だけか?」

「え? あ、あぁ……そうだけど」

「って事は、野間さんは戻ってないんだな?」

「野間課長は、さっきあなた達と行ってそれっきりですけど……」

「……そうか」


 姿の見えなくなっている野間がここに戻り、無事でいることを期待していた紫狼の思惑は完全にハズレだった。内心に膨らむのは彼の安否、そして少し前から湧いていた嫌な予感が、強まる不快な感覚。

 扉からは引き続き、外のホムンクルスたちが叩いてくる音が響いていた。


「とりあえずあんたらは大人しくしていてくれ」

「だ、大丈夫なのか……?」


 ひとまず残っていた職員の保護を果たしたものの、状況は依然として緊迫していることに変わりはない。頼れるのはオードリー、彼女の働き次第だ。左手でヘッドセットを操作し、彼女へと呼び掛ける。

 外からの圧力は秒読みでその強さを増しているのが、事務所内にいても感じ取れていた。


****


「ごめん、出てくれるかな!」

「……えっ? あ、あぁ」


 通信機のコール音が鳴ってすぐ、端末に向き合ったままでオードリーは保田へとそう告げる。不意を衝かれた保田は呆けた声を返し、一瞬遅れて言葉の意味を理解した。

慌ててオードリーの後ろの床に放り出されていたヘッドセットを拾い上げ、手で顔の横に押し付けながら通話状態にする。


『そっちの状況はどうだ!?』

「……まだ作業中だ」

『げっ』

「なんだ、その反応は? 彼女が手が離せないから仕方なくだな……」


 応答した途端の嫌そうな紫狼の反応に、苦虫を噛み潰した表情で返す保田。その、緊迫した状況には不釣り合いなやり取りに、オードリーがくすりと笑った。


「それよりお前の方はどうなんだ? 取り残された職員は?」

『とりあえず事務所にいた二名は保護した。が、もう一人の行方が不明だ』

「なんだと?」

「紫狼くん、なんだってー?」


 紫狼の言葉に険しい顔を浮かべる保田に、オードリーが肩越しに顔を向け問い掛ける。それによって好ましくない報告に、思わず声を張り上げそうだった保田はそれを思い止まった。


「……職員二名は保護したが、一人はまだ行方がわからないらしい」

「もう一人……って事は、野間氏かな。ちょっと確認して」

『ご名答。違うところに逃げた……ってのも考えられるけど』


 遅れて到着したせいもあり、状況をあまり掴めていない保田はそんな二人のやり取りに、自分だけ蚊帳の外に置かれたような気分になってしまう。


「あー、ごめんごめん。外部スピーカーに切り替えてもらえる? その方がわかりやすいし」

「あ、あぁ……これか」


 そんな保田を気遣って、オードリーはハンズフリーで会話の出来る状態にするよう、彼に促す言葉を掛けた。

若干、手間取りながらもヘッドセットを操作するとすぐに音声出力が外部スピーカーへと切り替わる。


「紫狼くん、聴こえる?」

『オッケー。この方が話しやすいな。誰かさんも拗ねなくて済むし』

「! 誰がっ!」

「はいはい、じゃれあうのは後にしてねー」


 スピーカーから紫狼の声が響き、茶化すような一言に保田が語気を荒げそうになるが、それをオードリーがいさめて事なきを得る。納得の行かない表情は浮かべながらも、保田はそれ以上は口をつぐんだ。


「で、紫狼くんとしては野間氏を疑ってる……ってとこかい?」

『なんだ、オードリーも同じことを考えてたのかよ。……ここにいてくれれば、そうは思わなかったんだけどな』

「まーね。色々とタイミングが良すぎるし……」

「待て、いったいなんの話をしてるんだ?」


 紫狼とオードリーの交わす話に、怪訝な顔で保田が問いかけの言葉を投げてくる。やり取りが聞こえれば聞こえたで、より知りたいと思うのは人の性と言うものだ。


『単刀直入に言えば、俺たちに依頼をしてきた野間って職員がこの件の犯人ってことだ』

「なっ……!?」


 あっさりと返ってきた紫狼の言葉に、保田は言葉を失う。また茶化されるか、からかわれるかと構えていたところに来た意外すぎる答えは、保田を大きく動揺させるには十分すぎるものだった。

 それでもどうにか気を取り直して、保田は疑問を口に出す。


「だが聞いた話だと、騒ぎの始まりがその野間と言う職員の悲鳴からだろう?」

『俺とオードリーを引き離すのが目的の狂言だろ、それは』

「実際、アタシもついさっき襲撃されたしね。単なる暴走なら、この辺りには元々ホムンクルスなんて配置されてないと思うし」

『こっちも俺が来るまで全く大きな被害になってないのは、かなり不自然なんだよ』

「なんてことだ……」


 二人の話す考えを聞き、苦渋の色を顔に浮かべ重苦しい口調で言う保田。いつもより規模の大きいだけの事故と考えていた彼にしてみれば、こうも根深い事態であることはあまりにも想定外だった。


『しっかりしろよ、ACPS。ただ目の前の事態を収めるだけがお前のやることじゃないだろ?』

「……なに?」

『俺は確かにそんなACPSの体質に嫌気が差して、そこを逃げ出したけどよ。お前がいるから希望は持ってたんだ』

「まったく、勝手な男だな。相変わらず」


 紫狼の言葉にハッした顔になり、それから保田は口許に笑みを浮かべてそう言った。その顔に感じるのは、どこかスッキリとした物とそれまでよりも力強い雰囲気。


「お前の仲間がシステムの修復を終えるまで、そっちはなんとか持ちこたえろ。俺が彼女の安全は守る、ACPSだからな」

『オーケー。じゃあ任せたぜ、なるべく早く頼む』

「あーい。そっちの攻撃が激しくなるだろうけど、信頼してるからね」

『了解した!』


 互いに口にした信頼の言葉を最後に通信を切る。オードリーは深呼吸一つ、それまでよりも研ぎ澄まされた表情で端末の操作を再開した。

 保田もまたホムンクルスの襲撃に備え、気力を全身から漲らせる。手にした対ホムンクルス用の銃を胸の前で構えて。


****


「まだもうしばらくここで我慢してくれよ。俺が必ず、あんた達は守るから」

「わ、わかりました……」

「信じます……」


 通信を切り、相変わらず部屋の隅に身を寄せ合い震える職員二人へと、声を掛ける紫狼。

この二人、もしかして恋人同士とかだったりするのか?

そんな事を考えつつ、未だにガンガンと音を立てて揺れる扉へと向き直る。

 ホムンクルスたちの幾度もの衝撃によってすでに扉の形は歪なものへとなり、そう長くは侵入を防ぎ続けられないのは明白だった。


「それにしても、野間さんが……」

「……いや、あり得なくはないな」


 先程の紫狼とオードリーの通信を聞いていたからだろう、女性職員が沈んだ面持ちで呟きを漏らす。もう一人の男性職員は、それに対し目を伏せながらそう答えた。

 あながち俺の推測は間違いではないな。思い、より詳しく話を聞きたい気持ちになった時、状況に変化が起きた。


「来るぞ!」


 乾いた音と共に蝶番が外れ、扉が室内の方へと傾いて来た。同時に強い口調で紫狼が声を上げる。

次の瞬間、扉を押し倒しながらホムンクルスが事務所内へと押し寄せて来た。

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