【6】悪夢の片鱗

「ここは任せる!」

「あいよ、紫狼くんも気をつけて!」


 互いに一声掛け合って、紫狼はシステムルームを飛び出していった。ドアを開け、長い廊下に野間の姿を探すがどこにも見当たらず。

代わりに一体のホムンクルスとおぼしき、モールの制服姿の男性が目に入った。


「早速かよ」


 ありがたくない出迎えに呟きながら、悲鳴の主を探すがやはり周囲にその気配は感じられず。そうこうしている内に、視界の中のホムンクルスが紫狼の姿を認識し動き出した。

攻撃に備えて腰の後ろに収納したMEDに手を伸ばしたところで、ヘッドセットからオードリーの声が聴こえてくる。


『紫狼くん、気を付けて。何かおかし』


 オードリーが最後まで言い終わる前に、廊下が闇に包まれた。ヘッドセットの向こう、オードリーも突然の出来事のせいか言葉を失う。


「何があった!?」


 施設内の電源が落ちたのだと速やかに認識し、オードリーに呼び掛ける紫狼。息を飲む微かな音が耳に届き、続いて彼女の声が聞こえてきた。


『こっちも電源が落ちたみたい。たぶん、モール全域がだと推測できるけど』

「さっき言いかけたのと関係が?」

『たぶん。それより注意して、すぐに予備電源に切り替わるから』

「了解」


 その言葉通り、すぐに廊下が赤い光で照らされる。緊急事態の際に使用される予備の電力で、周囲の明かりが非常用の物へと切り替わった証拠だった。

そして同時に、こちらへと向かって動きかけていたホムンクルスの姿が再び目に留まる。紫狼に向かってくる格好のまま、精巧なマネキンのようにピタリと固まっている。

 電子データで構成され質量を持ったホログラムとでも言うべきホムンクルスは、当然ながらその稼働には電気を用いられている。

施設全体の電源が落ちている状態では、必然的にこうしてその動作が停止するようになっていた。姿そのものが消えないのは、具現化に要する電力の大きさを抑える為にホムンクルスの核となる装置に蓄えられた予備バッテリーによって、その構成自体は保たれている為だ。


「何が起きてるのかはわからないけど、これはこれで好都合だな。ホムンクルスが停止している内に野間さんを……」


 言いかけて、すぐさま臨戦態勢に戻る。停止しているはずのホムンクルスが、微かに動いたように見えたからだ。

MEDに手を掛け、どのような事態にも対応できるように気を張り詰める。

 だがしばらく視線の先のホムンクルスを見つめていたが、動きを見せる様子はなかった。


「……気のせいだったか? ……!」


 思って気を抜き掛けた瞬間、紫狼は体勢を低くして前方へと駆け出す。下げた頭の上を、風圧が通り抜けていった。


「ホムンクルスのくせに不意討ちなんて、生意気な……!」


 立ち止まり素早く振り返って、苦笑いを浮かべながら吐き捨てる。さっきまで紫狼の立っていた場所に、さっきまで動きを停めていたホムンクルスが背を向け立っていた。

唐突に動き出したホムンクルスが、紫狼に向けて右腕を突き出しながら襲い掛かってきたのである。


「ったく、あんまりのんびりしてる暇はないんだけどねぇ!」

「こチらは関係者イがい……立チ入り禁シです」


 MEDをホルダーから抜き悪態をつく紫狼に、ホムンクルスはノイズ混じりの音声で注意アナウンスを放ちながら向かって来た。


「オペレーター、応答を頼む!」


 繰り出される攻撃をかわしながら、本部への通信回線を開き呼び掛ける。MEDを起動するにはオペレーターによる操作が必要な為だ。

だが、耳に聴こえてくるのはアナスタシアの声ではなく微かなノイズのみ。

 通信接続の操作にヘッドセットは反応を示さず、本部へのアクセスがなされていない。


「まさか外部通信を妨害されてるのか?」


 だが紫狼はその状況に動揺もせず、再び放たれたホムンクルスからの攻撃を軽やかにかわした。

相変わらず建物内の明かりは、非常時の色のまま。

 にも関わらずホムンクルスはこうして動作を続けている点からも、何らかの人為的な要因が働いての異変であることを察する。


「まったく、手間のかかる事をしてくれるもんだ。とにかくまずはコイツを片付けるか!」


 言ってホムンクルスに向き直る紫狼。しつこく攻撃を放ってくるがその動きは単調で、しっかりと相手を見ていればかわすのは難しくはない。


「こちら紫狼。オードリー、聴こえるか?」

『外部通信も遮断されてるみたいだねー。これじゃMEDも使えなくてお手上げ、かな?』

「話が早くて助かるね。頼めるか?」

『知ってるとは思うけど、通常よりは機能が制限されるのは忘れないようにねー』

「了解」


 近距離通信で端末室のオードリーと言葉を交わし、そして手にしたMEDの動作音が生じる。MEDの起動には本部のオペレーターによる承認と操作が必要になるが、こういった状況を想定して緊急用の起動方法も備わっているのである。

ただし、通常起動と比べてその機能は制限されてしまうのが難点だった。


「MED、緊急モード起動。……剣、ってよりはナイフだなこれは」


 起動したMEDに目をやり、半ばぼやくように言う紫狼。緊急モード時にはバッテリーや安全性を考慮して、 通常よりも端末の出力は低下してしまう。

その為、使用可能なのは近距離用のSWORD形態に限定されてしまうが、さらに出力低下に伴いその刃自体も通常よりは短く短剣程度のサイズになるのだった。


「ま、これでも無いと処理出来ないからな……っと!」


 ぶつくさと愚痴る間にも繰り出される攻撃を避け、同時に手にしたMEDナイフを横に振り抜いた。


「ギッ」


 不快な機械的な音を立て、ホムンクルスがよろめく。紫狼の一撃を受けたホムンクルスの腕に裂け目が生まれ、そこが乱れた映像のようにぶれていた。


「はぁ、泣けてくるな。仕留めるには、もっと接近しないとダメか……」


 得物のサイズの違いが、想像以上に普段との感覚の違いとして影響することに紫狼がぼやきを漏らした。緊急用のナイフモードは本来、護身を目的としている為に攻撃能力としては通常からは大きく劣る。


「じゃ、行くぜ!」


 一声放つと同時に体勢を低くしたまま、床を強く蹴り駆け出す。それはまさに飛ぶ、と形容するのが相応しい速さで紫狼が一気に、バランスを立て直そうとしているホムンクルスに接近していった。


「……!」


 感情のない顔を向けたホムンクルスが一度ビクンと震えてから、その姿が掻き消えていく。そして現れた核となる装置は、紫狼の手にしたMEDのナイフに深々と貫いていた。


「いっちょあがり、と」


 もう片方の手で機能停止した装置を掴んで刃を抜きながら、気の抜けた声を吐き出す。

親指でボタンを押しMEDを一旦スリープモードにしてから、まっすぐに伸びた廊下の先を眺めるが他には何も見当たらない。


「さて、どうするかな」


 言いながら再びヘッドセットを操作してオードリーへと通信を送った。


『はいはーい』

「とりあえず出てきたホムンクルスは処理したけど、そっちはどうだ?」

『うーん、電源の復旧はもうちょいかな。ところで野間さんは?』

「出てきた時点で見当たらなかったから、たぶんそのまま逃げてるんだろ。他にも人がいる可能性もあるし、俺はこのまま施設内の捜索に移る」

『あいよ、りょうかーい。こっちもしっかり作業するから、任せといてちょーだいな』

「頼りにしてるぜ。ただ、くれぐれも油断はしないようにな」

『がってん!』


 軽妙なやり取りを交わしてから通信を切り、紫狼は廊下の先に向かって走り出していった。

心のどこかに、嫌な胸騒ぎのような違和感を覚えながら。


****


 長い関係者用の通路をしばらく進み、やがてモール内との出入口へと辿り着く。出入口の扉についた小さな窓からも、非常用の明かりの色が差し込んでいた。


「電源はまだ、みたいだな」


 予備電源により光源があるとは言え、やはり通常の明るさと比べれば心許ないのは否めない。それにこの状態で先ほどのようにホムンクルスとの戦闘になれば、当然ながら危険度が増すのは間違いなかった。

 とは言え施設内の電源復旧に関しては技術者であるオードリーに任せるしかない。彼女の能力を信頼して、紫狼は自分の役割に集中するのみだ。


「それにしても野間さんはいったいどこに?」


 言いながら扉を押し開けた瞬間、紫狼は咄嗟に前方へと転がるようにして身体を投げ出す。数度、丸めた身体で床を転がってから素早く立ち上がり、態勢を整えつい一瞬前まで自分のいた辺りへと向き直った。


「油断もクソもならないな、これは……っ!」

「当施設ハ……本日ノ営業ヲ終了、シマシタ」


 薄暗い赤い光源に包まれた視界の中、定型のセリフを発する従業員タイプのホムンクルス。たどたどしく、そしてノイズの混じった声とたった今、紫狼の開けた扉を貫いた腕がその異常さをありありと示す。


『紫狼くん! 大丈夫!?』

「あぁ、なんとかね。ただ、状況は最悪の天井が際限なく上がってるみたいだけどな……」

『そうみたいだね。どうやら、施設内のホムンクルス全部が……』


 オードリーの言葉も終わらぬ内に紫狼の身体が動く。背後から飛んできた一撃を横っ飛びにかわし、すぐさまMEDを構え向き直った。


「まるでパニックムービーの主役になった気分だな、この状況は」

『アタシは好きだけどね。……観る分には、だけど』


 非常灯の薄暗さでもはっきりとわかるほど、周囲に並んだホムンクルスを見渡しながら皮肉混じりのジョークを交わす紫狼とオードリー。口振りとは裏腹に、状況は厳しいと言わざるを得なくなっていた。


「とりあえず電源の復旧、急いでくれ。俺はコイツらをあしらいながら、職員の救助に向かう」

『了解、少しだけ待ってて。おねーさん、張り切っちゃってるから』

「頼りにしてるぜ。……そっちも気を付けてくれよ」

『ふふ、ありがと』


 互いに気遣う言葉を最後に通信を切り、紫狼は床を蹴り駆け出す。何体いるのかわからないホムンクルスの群れの先、職員たちがいると思われる管理室を目指して。

 同時に、偶然とは思えないこの事態の奥にある元凶を、頭の片隅で考えながら。


****


「どうやら何か起きているのは、間違いないようですね」

「班長!」


 ACCS本部指令室、緊張した口調で言いながら姿を表した伊崎にアナスタシアが声を上げる。


「紫狼とオードリーからの連絡から約一時間……こちらからのコンタクトに一切の反応はないままです」

「モールの方へも連絡を試みては見ましたが、こちらもまるで反応なしです。深刻な事態にあると見た方がいいでしょう」

「そんな……急いで私も現場へっ」

「アーニャ、落ち着いて。向こうは紫狼くんとオードリーくんに任せて、こちらで出来る事をしましょう」

「で、でも……わかりました」


 冷静な伊崎の言葉に、アナスタシアは動揺した様子で動き出そうとするが、それをいさめられ深呼吸を一つ。なんと自分を落ち着かせると、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

その顔に浮かんだ不安の色は残してはいるものの、それでも上司の冷静な言葉に従って端末へと向かい合う。


「引き続きモールとオードリーへの連絡を試みてください。私は……」


 言いかけて一瞬、言葉を詰まらせる伊崎。だがすぐに息を一つ吐き出してから。


「バベルとACPSへと現状についての報告をします」

「……了解、しました」


 それが意味するところを察し、アナスタシアは渋い表情を浮かべつつ返事をする。都市を管理する機関からの委託とは言え、それを自分たちで対処しきれないと言うのはACCSの存在意義を問われるという事である。

本来ならばArksーCityの治安維持を一手に担うべきと自負するACPSからは見れば尚更のこと。

場合によっては、この件を理由にACCSの事業凍結を迫られる恐れすらも考えられた。


「大丈夫ですよ。ArksーCityの平和を守りたいのは、我々も彼らも同じですから」

「そう、願いたいです」


 アナスタシアの口から出た言葉に含まれていたのは、ACCSのこれからへの不安か。それとも今起きていることへの、底知れない嫌な感覚に対する重苦しさか。

内心に浮かんだそんな思いを振り払い、目の前のことに意識を向け直した。

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