【3】ArksーCity

 意気揚々と気分良くACCS本部に戻った紫狼を出迎えたのは、不機嫌な顔のアナスタシアだった。


「たっだいまー……」

「なに考えてるのアンタはっ!?」

「ぬぉわっ!?」


 扉を開けブレイカーのチームルームに入った紫狼に、アナスタシアの怒声が飛んでくる。あまりの迫力にのけ反りながら、紫狼はその場に立ち止まってしまった。

目だけで室内を一望すれば、居るのはアナスタシア一人だけ。

 そしてそのアナスタシアの形相は、鬼と言っても差し支えない迫力を湛えていた。


「な、なんだよ帰ってきた途端に?」

「『なんだよ』じゃないでしょっ! さっきの業務、好き放題してなに考えてるの!?」


 彼女の迫力に気圧されその場に立ちすくむ紫狼に向かって、怒鳴り声を上げながらアナスタシアはツカツカと詰め寄っていく。

思わず下がった拍子に部屋のドアが開いて、後ろに倒れそうになったところを、アナスタシアに手を掴まれて難を逃れた。


「逃げるな!」

「い、いや、別にそんなつもりは……!」


 否。むしろここからが難の始まりなのかもしれない。掴まれた手を引っ張られて、アナスタシアに部屋の中へと連れられる紫狼。

自分のデスクに座らされ、その横にアナスタシアが仁王立ちになった。


「試用段階のガルーダで無茶な飛行はするわっ、ビルの窓ガラスは破るわっ、カッコつけて無駄に時間かけるせいでオフィス内は滅茶苦茶にするわで!

損害の補償だって安くないのよ!?」

「いやぁ、でもあれはホラ? 結構ギリギリの状況だったし……」

「だからそれもアタシがちゃんとプランを考えてたのに、アンタは指示も待たずに勝手に行動したんでしょ!?

この仕事はブレイカーとオペレーターの二人三脚なんだって、あれだけ言ったのにまだ理解してないなんて!!」


 頭の上から滝のように浴びせかけられるアナスタシアの怒りの説教に、紫狼はタジタジでやり過ごそうとするしか出来ない。

こうなると言いたいだけ言わせて、彼女が落ち着くのを待つしかないのがこれまでの経験上の結論である。


「ちょっと紫狼っ、アタシの話しちゃんと聞いてるの!?」

「聞いてる聞いてる! って言うか、わかってるから。ちゃんと反省してますって」

「前回もそう言ってたでしょ!? それでまたやらかしてるクセに、反省してるなんて信用出来る訳が……」

「まぁまぁ、アーニャ。お説教もその辺にしておきましょうか」


 どうにか話を終わらせようと反省の弁を述べるも通用せず、ますます激昂するアナスタシア。

そこへのんびりとした口調で宥める声が飛んでくる。


「班長!」

「お、お疲れ様です、班長」

「うん、お疲れ様。紫狼くん、今日もご苦労さん」

「あー、はい……」


 オフィスの奥にある班長室から姿を現した伊崎が、紫狼へと労いの言葉を掛ける。気を削がれたのかアナスタシアは膨れっ面ではあるものの、それ以上は紫狼に何も言わなくなる。

たった今まで説教されてた事と今日の業務での派手な立ち回りから、紫狼もばつの悪そうな顔と口調でそれに返事をした。


「とりあえず被害者が出なかったですからね、それで良しとしましょう。紫狼くんも無事、でしたしね」

「……はい」

「損害の補償の件も必要な経費ですから、まぁいいでしょう」

「すいません、班長」

「いえいえ。ですがね、紫狼くん? アーニャの言ったように損害の補償も決して安くないってのも、本当ですからね?」

「うっ……わ、わかってますよ」

「それに弁償は出来ても、実際に壊れたりしたものは元に戻せませんからね。なるべく物的損害も抑えるように考慮をですね……」


 ようやく説教から解放されたかと思いきや、今度は伊崎からの小言が始まって紫狼は渋い表情になってしまう。

アナスタシアのストレートなものと違い、伊崎の小言はなんともねちっこさのあるトゲを多数生やした、いやらしいものだった。

紫狼はアナスタシアの説教以上に、伊崎の小言が苦手であった。


「あんまり派手にやられると、損害の補償でACCSが潰れてしまうなんてことにもなりかねないんですから。

その辺りはもっときちんと……」

「おつーっす。お、何々どったの?」


 ジワジワと上からゆっくりと押し潰すような伊崎の小言に紫狼が辟易してる最中、オフィスの扉を開け間延びした口調が飛んでくる。

それに続いて姿を現し、部屋で繰り広げられる光景を面白がるように訊ねたのは白衣を来た眼鏡の女性だった。


「おや、オードリーくん。そっちはもう終わったんですか?」

「えぇ、班長。ガルーダの試用データ解析は完了しましたよー。今回の変異ホムンクルスについては、コンピューターに任せて来ましたけど」

「いつもながら仕事が速いですね。感心です」

「あざーっす。で、なにやってんすか?」


 一通りの報告を済ませて、ニヤニヤしながら再度聞くオードリー。三人の顔を順番に見渡して、ははーんと声を漏らしながら返事を待っている様子で。


「今、紫狼に説教してたところですよ、オードリーさん。ガルーダだってまだしけん段階なのに、あんな無茶な使い方して……」

「なーるほどねー。どーりで紫狼ちゃん、叱られた子供みたいに小さくなってる訳だ」

「だ、誰が!?」

「きししし」


 呆れたように答えたアナスタシアに、オードリーはいかにも面白がった風に紫狼を見ながら言う。それに紫狼は反論しようとするが、アナスタシアに睨まれてそれ以上は言葉を続けられず。


「まぁまぁ。ガルーダの方はいいデータが取れたし、紫狼ちゃんにも大事は無かったんだから、それでいいんしゃない?」


 そんな二人をニヤニヤと眺めながら、オードリーは自分のデスクへと手にしていた書類や資料を置いて腰を下ろした。


「そうですね。紫狼くんへの注意はこの辺にして、今回の件の反省会でも始めますか? アーニャ、君も自分の席に戻ってください」

「……わかりました」

「ほっ……」

「紫狼くん? ホッとしてるところ申し訳ないですが、ちゃんと後で始末書をお願いしますよ」

「……了解」


 伊崎の言葉にアナスタシアが席に戻り、一息ついて安堵する紫狼にはだめ押しの始末書をの一言。紫狼が憮然として応えるのを、オードリーは相変わらずニヤニヤと楽しそうに眺めていた。


****


「さて、それじゃあ今回の件の反省会をしましょうか」


 班長である伊崎の言葉を皮切りに、今回の件についての話し合いが始まりを告げる。


「無事にホムンクルス暴走のトラブルは解決出来ましたが……何事もなく、とはいきませんでしたね、紫狼くん?」

「ぐっ……」


 水を向けられ、小さな呻きを漏らす紫狼。一応、彼にも被害を抑えられなかった自覚はある様子である。


「ホムンクルス関連のトラブルは行政機関からの依頼ですが、その内容に関してはもう少し改善の余地がありますね。

我々も外部に属する民間の一企業という立場とは言え、ArksーCityの中で活動してる訳ですからね」

「ArksーCity……大したプロジェクトだよ」


 ArksーCity。それは国家が総力を上げて始めた次世代社会のプロトモデルと言うべき、歴史的に見ても類のない大型プロジェクトである。

形態としては新興の大都市。だがその実態は納税額や既存社会への貢献度合い、生活実態や将来性を期待された国民が選ばれ移住した新しい社会システムの、試験的運用といういわば実験的な都市だった。

 そしてその次世代社会システムと言う部分を感じさせない為に取られた扱いが、大規模都市型のSNSと言う形態。この都市に生活する者は皆、ArksーCityと言う名のSNSに登録されたユーザー、という扱いなのである。


「もちろん今回のように人的被害を最小限に抑えるのは、最優先事項ではありますからね。そこが果たされているのは評価すべきところではありますが」

「人口密度は従来型の都市と比べれば、遥かに薄いですからね。住人の被害はそのまま都市の悪影響に繋がる……」

「そうです。労働力と言う面では新技術である『ホムンクルス』が担っていますが、次世代型社会システムのデータ収集と言う部分では、大きな問題となってしまいますからね」


 『ホムンクルス』。それは質量を持った電子データによって様々な部分での活動を担うと言う、近年の大きな社会問題となっていた人材の確保を補う画期的な技術である。

その用途は多岐に渡り、特に大きな効果を発揮しているのがこれまでは人間によって行われてきた業務の代替。

人型に生成されたホムンクルスに、適切なプログラムを入力することでこれまでは人の手によって行われてきた多くの労働を、ホムンクルスが果たせるようになっていた。

 この技術を開発したのは稀代の天才と呼ばれた、亥条 流伽(いじょう るか)博士である。彼の手によって生み出された様々な技術が、このArksーCityを形成しているといっても過言ではない。


「とは言え、企業などにあるものにはやはり既存の製品なども多くありますし、それらのに損害があればやはり都市全体への影響も少なくはありません。

ですから、人命は最優先として、物的な破壊もなるべく抑えないといけません。わかりますね、紫狼くん?」

「……はい。でも班長、あれだけの破壊力を持ったホムンクルスに暴れられると、そうそうは被害を抑えるのも難しいでしょー?」

「変異ホムンクルス、ですね……未だに発生原因は不明。試用開始前に危惧されていた現象ではありますが」

「行政からは何も言ってキテないんですー?」


 ちくり釘を差す伊崎の言葉に、紫狼は苦い顔を浮かべながらも弁解する。それに対して呟いた伊崎に、オードリーが問いかけた。


「残念ながら調査の方もまだ芳しい進展はないようです。もちろん調査は全力で進めているとのことですが……」

「自分も参加させてもらえりゃ、いいんすけどねぇ」

「それに関してはこちらからも打診はしていますが……まぁ、難しいでしょう」

「そりゃ、わかりますけどねー……」


 変異ホムンクルスは数ヶ月前から発生し始めた、ホムンクルスの暴走体の暫定的な名称である。原因は不明ながらプログラムに不具合が生じたホムンクルスが、本来与えられた行動を外れ暴走、悪化すると破壊行動に至る事故だった。

幸い、発生から今に至るまで人的な被害は出ていないが、このまま続けばその危険性は決して低くはない問題である。


「せめて偶発的なプログラムの不具合なのか、人の手による故意の暴走かがわかればねぇ……」

「あまり考えたくありませんね、後者の可能性については」

「とは言え、ArksーCityに対しての攻撃、と言うのも考えられますから」


 ため息と共にぼやきを漏らすオードリーに、渋い顔で言う伊崎。そこへアナスタシアが言葉を差し挟んだ。

いつの時代も革新的な事業には、妨害が付き物である。このArksーCityという都市、引いてはプロジェクトに対して快くは思わない勢力と言うものも存在しない訳ではなかった。


「いずれにせよ、当面は行政機関からの報告を待つしかないのが実状ですね」

「まぁまぁ、みんなそんなに悲観しなくてもいいだろ? また変異が出たら俺が今日みたいにパパッと処理するからさ」

「紫狼っ、調子に乗らないの! 今日みたいにやられてたら、私たちの存続の方が危うくなるでしょ!?」

「それでなくとも、我々はACPSからは目の敵にされてますしね」


 気楽な調子で言った紫狼にアナスタシアからの厳しい一喝と、伊崎からの苦々しい声。

行政機関からの依頼で活動してるとは言え、治安維持に関わる事案に民間の一企業が携わってるのを、都市の法を引き受けるACPSは好ましく思ってはいなかった。


「班長ー、噂をすればなんとやら……ですよ」

「……さっきの件への苦情ですかね」


 間延びしたオードリーの声にモニターを見た伊崎が、苦笑いを浮かべて言った。そこに表示された文字は『ACPS本部』だった。


「はい、こちらACCS」

『あー、ACPSの者だが……』


 スピーカーから流れてきた口調の感じから、あまり友好的な用件では無さそうなのが、誰の耳にもすぐに予想できた。

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