【2】ホムンクルス
『ちょっと紫狼! カッコつけてないで戦闘に集中して!』
「あー、もう。そんなに耳元で大声出すなよ、アーニャ」
『アナスタシア! 略さないでよっ、私の方が歳上なんだから!!』
「一つ二つ違うだけだろ……」
目の前で硬直した男……それはホムンクルスと呼ばれる、質量を持った電子データによって形作られた、ロボットのような存在。
それから目を離さないままで、通信機の向こう側のアナスタシアと会話を交わす紫狼。語気を荒げる彼女に対して、やや呆れ口調の紫狼は苦笑いの表情で。
『ACCSでも私の方が先輩なんだからっ……って、そんなことより。そのホムンクルスから出てる電子数値が急激に変化してるわ、警戒して!』
「わかってるよ。もう肉眼でもハッキリ見えるレベルで、変異の兆候が出てるからな」
言った途端、停止していた男性型ホムンクルスが再び動き出す。身体の端々に現れるブロックノイズは、より頻度を増しながら。
「KAI……しュu……!!」
先程よりもさらにざらついた機械的な音声を発しながら、紫狼に向かって腕を振り回してくる。それを後ろに飛び退きながら、二発三発とMEDから弾丸を放つ紫狼。
銃撃を受ける度にホムンクルスは動きを停めるが、硬直の時間は徐々に短くなっていた。離れた位置に着地した紫狼に、しかしホムンクルスは背中を向ける。
「……ひぃっ!?」
自分の方へと体勢を変えたホムンクルスに、女性社員が小さな悲鳴を漏らした。不具合により行動パターンが単調になったせいか、自分と距離の近い者を狙う傾向にあるようだ。
MEDの銃撃を数発受けた影響か、若干鈍った動きではあるが床にへたり込んだ女性社員に向かって、足を踏み出していくホムンクルス。
「アーニャ。MED・SWORDモードに変更だ、急げ!」
「アナスタシア! 了解、MEDシステムシフト。SWORDデータを送信!」
対象を女性社員に切り換えたのをすぐに察知した紫狼は、ホムンクルスに向かって駆け出しながらアナスタシアに指示を出す。
文句を交えながらもアナスタシアは素早く操作を行い、紫狼の手の中のMEDが元のグリップ形状に戻った。再びMED上部に薄緑の粒子が発生する中、床を蹴ってホムンクルスの頭を飛び越え女性社員の前に着地する。
「きゃあっ!」
紫狼の肩越しにホムンクルスが腕を伸ばして迫るのを見て、女性社員が目を閉じ頭を抱えて悲鳴を上げた。そして呻き声が耳に届く。……機械的なノイズ混じりの、短い呻き声が。
「こっちもやらせねーっての」
「……え?」
予想外の呻き声と、得意気な言葉に目を開ければ、女性社員に背を向け左腕を天井に向けて伸ばした、紫狼の姿が視界に映った。伸ばされた腕を辿るように視線を上に向ければ、その手に握られたMEDから伸びた薄緑の刀身と、そのすぐ横を落下するホムンクルスの肘から下の腕が見えた。
床に落ちる前に、斬り落とされた両腕が宙で粒子を拡散させながら消滅する。紫狼はMEDを振り上げた勢いそのままに身体を捻って、正面のホムンクルスに右足の蹴りを放っていく。
「GO……がァっ」
腹に強烈な蹴りが直撃し、両腕の肘から先を失ったホムンクルスが呻きながらたたらを踏んで、後ろへ数歩後退させられた。バランスを崩しながらも踏みとどまり、ホムンクルスは転倒する事なく。
『電子数値、許容限界をオーバー! 来るよ、紫狼!』
「了解、こっからが本番ってね!」
アナスタシアの言葉とほぼ同時に、ホムンクルスの身体に異常が起きる。悶えるように捩る全身をブロックノイズが覆っていき、人の形が崩れ始めた。
「な、なに!?」
「『変異』だよ、お嬢さん」
「へん……い、って……?」
「見てりゃわかる」
ホムンクルスの異常な動きに狼狽の声を上げる女性社員に、静かに答える紫狼。そんな短いやり取りの間にもホムンクルスの異変は激しくなり、既にブロックノイズの塊のような状態になっていた。
そして変化に終わりが訪れる。
「ヴオオオオオ!!」
咆哮のような音を放ちながら、ブロックノイズの塊が弾けた。瞬間的に強烈な光を出し、すぐに収まっていく。
「『ラグス』だな、やっぱり」
光が収まった後、現れたそれを見て紫狼が呟く。さっきまでの人型から一変して、姿を現したのはナメクジのような見た目のホムンクルスだった。
「あ……な、なに……あれ……!?」
オフィスは天井までかなり高い作りになっている。その高い室内の半分ほどある巨大なナメクジ。女性社員がそれを見て怯えた声を出した。
「あれは『ラグス』。やたらパワーだけはある変異ホムンクルスだよ」
答える紫狼の後ろで何かが倒れる音がする。すぐに振り返ってみれば、起きている事態に精神が耐えきれなくなったのか、意識を失ったらしい女性社員が床に倒れていた。
「ヴオオオオオ!!」
その瞬間、雄叫びを上げてラグスが紫狼たちに向かって頭らしい部位を、低くした体勢で突進していく。その巨体に似合わぬ、猛烈なスピードで。気絶した女性社員に気を取られる紫狼の背中に一気に迫っていき、そして速度の乗った巨体が窓側の壁に激突した。
だが、激突した先に紫狼と女性社員の姿は無く。
「おいおい、あんまり建物を破壊するなよ。俺がどやされるんだぜ?」
「ヴオ……!?」
ラグスの背後から、おどけた口調の声が聞こえて来る。気絶した女性社員をお姫様抱っこした格好で、少し離れた位置に、紫狼は何事もない様子で立っていた。
左足の裏で粒子が散り消えていく。同時に、ラグスの登頂部にも粒子が乱れた様子が見て取れる。
「質量のある電子データってのも、結構硬いんだな?」
『ちょっと紫狼! ヒヤッとさせないでよ!』
「あの程度で心配されるほど、俺はやわじゃないっての」
突進してきたラグスの下がった頭部を踏み台にして、紫狼は女性社員を抱えたまま敵を飛び越え、攻撃をかわしていたのだった。床に彼女の身体を寝かせ、そのままMEDを構えた姿勢で一気に接近していく。
「ヴオオオオオッ」
「遅い!」
ゆっくりと振り向こうとするラグスに一声放ち、手にしたMEDを袈裟懸けに振り抜いた。軟体質な見た目に反して硬い体表が、薄緑の軌跡に薙がれ裂け目を生み出す。
「……ビンゴ!」
『それがホムンクルスのコアよ、それを破壊して!』
左目に掛かったモノクルに表示された情報と同じ位置に光るコアに、嬉声を発する紫狼。アナスタシアからの指示が耳に飛んでくる。
裂け目はすぐに修復され、コアが再び軟体質な見た目の体表に隠されるが。
「せぇぇいっ!」
「がっ、ガッ、GA!」
気合いの掛け声と共にラグスの背中に、紫狼が斬擊のラッシュを放つ。MEDの刃に体表が削ぎ落とされていき、再びコアが姿を現した。
ラグスも尾の部位を振り抜き反撃を試みるが、その一撃は空を凪ぎ払うのみに終わる。
「これでっ、トドメだぁっ!!」
ラグスの背中を踏み、ほぼ垂直に飛び上がった紫狼がMEDの刃を真下に向けコアがある位置目掛けて落下する。その一撃を避けようと、ラグスも巨体をひねる回避しようとするが叶わず。
「GAAAAAHHH!!」
コアが薄緑の刀身に貫かれ、ラグスのノイズ混じりの断末魔が室内に響いた。ナメクジのような巨体が不安定に激しくブレ、全身が発光する。
紫狼はMEDのトリガーに掛けた人差し指を緩め、刃を解除するとラグスの背中を蹴って後方に着地した。
直後、発光が膨れ上がるような変化を見せた後、鋭い音と共にラグスの肉体が粒子となって散り、虚空に消えていった。
「一丁上がり、っと!」
軽い口調で言いながら、床に転がりバチバチと音を鳴らすコアに近付き、それを拾い上げる。
その時、けたたましい複数の足音が室内へと飛び込んできた。
「ACPSだ! 無事か!?」
ビル内のセキュリティによる自動通報によって駆け付けたArksーCityーPoliceーStation、通称ACPSの隊員がホムンクルスの配下を引き連れ、現場に到着したのである。
「遅い到着、ご苦労さん」
「! お前は……」
「じゃあ、あとは任せたぜ、お巡りさん」
「待て……くっ」
おどけたよう言いながら肩を叩きそのまま出口へ向かう紫狼を隊員の男が呼び止めようとして。床に寝かされた女性社員を目に留めて、追い掛けるのを断念した。
すぐに救急へと連絡を入れながら。
「ずいぶん暴れてくれたもんだな、ACCS……ブレイカーめ!」
荒れ放題になったオフィスの中を眺めながら、苦虫を噛み潰した表情で吐き捨てた。
****
「ふぅ……今回もなんとか無事に解決できたようですね」
ACCS本部の班長室。モニターで現場の状況を見ていた班長が、事態の収束を見届けて安堵の声を漏らす。
「しかしこれは、また弁償代が嵩みますね……後で紫狼くんにはキツく言わないと」
損害の大きいオフィス内の様子に渋い顔を浮かべながら、愚痴をこぼした。そこへ呼び出し音が聴こえてくる。
音のする端末に目を向け、着信の相手の名前を確認するとすぐに険しい表情へと変わりながら、ゆっくりと手を伸ばし応答した。
「……どうも」
『お疲れ様です、伊崎さん……いや、班長とお呼びするべきですかね?』
「どちらでもご自由に。その辺りはクライアント様の好きにして構いませんよ」
『そうですか。一先ず今回もトラブルを迅速に解決いただき、ご苦労様でした』
露骨に険のある声で返されたことなど意にも介した様子はなく、通話相手は丁寧に労いの言葉を告げてくる。
「いえ……迅速に解決はしましたが、穏便にとは行きませんでしたからね」
『人的被害が防げたので問題はないでしょう。ビル内の損害に関しては、こちらでも受け持ちますのでご心配なく』
「それはどうも……」
不機嫌を声に出したところで意味はないと思い直し、それでも喜ぶ気持ちは湧かずに事務的に返事をする。
「ところで、調査の方はどうなっていますか?」
『残念ながら、ホムンクルスの変異の原因については未だ調査中です。こちらから言える情報も特にはありません』
「……もう今週に入って四件目。発生の頻度が急に増してるんでね、なるべく早く原因の究明をお願いしたいのですが」
『善処はしています。しかしまだ人為的とも、システムの不具合ともどちらとも言えません』
「システムの不具合である事を祈りますよ」
『それは、あなたの予測が現実のものになるから、ですか?』
相手の言葉に、班長・伊崎の片眉がピクリと動いた。口調は穏やかながら、そこに感じたのは批難めいたような、或いは敵意のような響き。
感情が揺れるが、なんとそれを堪え平静に努めた声で返す。
「そんなんじゃありませんよ。もし人為的なものだとしたら、かなり厄介な“事件”ってことになりますから。あまりそんな事態は勘弁願いたいだけですよ」
『そうですか。何にせよ調査は心配なさらずとも、こちらで総力を挙げて進めていますので』
「わかりました」
『では今後もトラブルの対応、よろしくお願いします』
「承知していますよ」
そこで通話は終了される。静けさが戻った室内に、伊崎の吐いたため息が広がった。
「ArksーCityの管理者、ノア……」
呟いたのは、先ほどの通話相手の名前。それはこのArksーCityの全てを管理する、いわば支配者と呼べる存在の名と言えた。
苦い表情のまま窓に目を向ける。透き通ったガラスの向こう、この都市の中央に位置する場所にそびえ建つ超高層タワー。
ArksーCityのあらゆる機能の集約された政府機関であるその建造物は、神話に倣って『バベルの塔』と呼ばれていた。
「神話のようにならなければいいですがね……」
まばゆい光を放つバベルの塔を見つめ、伊崎は皮肉めいた呟きを洩らした。
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