豚がぶうぶう啼いている~或るこぶた懺悔録~

高秀恵子

第1話

 吾輩は豚である。4進法で思考する。100以上の数は知らないのが我々だ。吾輩は回想する。聞いてほしい。我が生涯の孤独と恋と憧れ、そして悔恨を―

※     ※    ※      ※

―その1―

分娩および授乳期  

0~28日齢(4週間) 

体重約1.3㎏前後→約6㎏~8㎏

                           

 産道がぬめりぬめって揺れ、血脈が充血し、血潮の匂いが後ろから前へと走って行った。母者の陣痛のうねりが響いた。

 吾輩は胎児、秋(とき)が満ちて母胎から臍の尾が外れ、吾輩は外界へと押し出されて行く。

 母の胎にいるうちは、吾輩は何者にも邪魔されず、何者にも強制されることなく、自分本位の生活をしていた。子宮内では同胞の姿は胎盤に隠れて見ることもない。吾輩独りの胞衣の内はいつも暖かさで満たされていた。拒絶もなく、争いもない、何一つ傷つくことがない、その世は平穏な楽園であった。

 吾輩はこの生活を諦め、この世へと誕生せねばならぬ。

早くも同胞達は産道を、胞衣を被ったまま押され揺れながら膣口へと向かっていく。この世の入り口が暗い産道の先に紅く仄めいていた。

 生れ落ちるとはよく言ったものだ。吾輩は膣口から地面へと落ちた。母者は横たわって出産していたのだが、地面は新生仔には高過ぎる場所にあった。吾輩は今生最初の痛みをこの地面から与えられた。地面は硬く平らで、黄色じみた赤色をし、小さな穴が数多く開いていた。小穴の下は暗く、今思えば《川》のようになっていた。小穴よりボンジリャブーンの匂いが漂っていた。

一樹の陰と申すがこの地面の無数の小穴へ、吾輩一族は排泄行為の後の糞尿を落としていた。この小穴ゆえ、吾輩等の棲み処は衛生を保っていたのである。

同胞が皆、この世へと出た。我々は胞衣と臍の尾を身に着けたまま、所謂生得観念に縛られて、母者の乳房へと向かって行く。1歩、2歩、3歩そして10歩。吾輩とその眷属は手足の先に10本の蹄を持つ。太い蹄が1本。2本。その両脇に3本目と10本目の細い蹄。前脚と後ろ脚を合わせた数も10本である。そして母者も、脚を1本、2本、3本、10本と十全の数を有している。

脚の蹄の裏まで清潔な母者の後脚を跨ぎ、吾輩等がこの世で最初に成すべきことは母者の乳の吸啜であった。

 吾輩はこの時、美の極致を目にした。それは均衡美に溢れた母者の乳房の群れである。    

 全部で2列30垂ある母者の乳房はその1つ々々が完全なる円錐形をしていて、色は薄紅で、乳輪に至ると紫を帯びた紅色となり、先端に紅色を凝縮した濃い赤い乳首を作り、蜜の如き乳液を垂らしている。 

 吾輩はこの時確信した。この世とは調和した美に満ちていて完全で完璧であり、生きるに値するものだと。

 さて吾輩が母者の乳房に見とれている間に同胞達はもう乳房に喰らい着きぶら下り、乳の吸啜をやり出した。吾輩は、乳房の美しさに心奪われ、乳を吸うという現世上の目的を、完全に忘却していたのであった。 

 今思えば、吾輩の長くなかった生涯の最初の、吾輩らしい過ちと言える。

 同胞達は乳房に近寄る吾輩を隅へ隅へと押し遣って行く。その力の強さはとても生まれて間もない仔だとは思えぬ。吾輩はとうとう、今しがた吾輩等が出て来た膣に一番近い乳房へ遣られた。そこは母者が出産の際に流した血の匂いがする場所でもある。吾輩は母者の乳房をようやく得たが、吾輩の蹄下にもきょうだい仔が乳を吸っていた。その吸い方はかろうじて唇が乳先に当たっている様子でまことに頼りな気である。

 吾輩は乳を吸った。その味は期待していた程も濃くない。唯、喉越しが良いのだけが取り柄である。

 吾輩が乳を口に含んで間もなく、突然、母者が《ぐふゥ!》と啼いて身体の向きを変えた。吾輩は危うく母者に圧し潰されそうになり、身をよじって母者から離れた。母者は自分の十全の肢を折り畳み、乳房を隠すようにうつ伏せとなった。吾輩は未だ乳を飲み足りないのである。母者の乳房をま探ろうと母者の胴の下に潜り込んでみたが、母者は《ガヴゥ!》と啼いて腹這いのまま身を動かし吾輩を追い出す。吾輩はあわや母者に圧し潰されそうになる所を転げて母者から離れて身の安全を得た。

 こういう母者からの給乳直後の拒絶は、その後何度も在った。母者は、細長い黒色をした複数の筒棒に囲まれていて、そこから離れられない。吾輩にとってはこの筒棒の存在はありがたかった。若し母者があのような物で動きを制限されていなければ、吾輩は慈愛を求めていた筈の母者自身によって圧死させられていただろう。 短い給乳の時間が終わると、隅の方にある、小さな太陽の下にきょうだい等は集まって眠ることになる。

 

 生後間もない頃の吾輩の生活は斯くの如きであった。即ち小さな太陽の下で眠る、母者がぐゥぐゥ啼いて吾輩等を呼ぶ。乳を飲む。突然、母者はぐふぅと唸って給乳の中断を告げる。我等は小さな太陽の下に戻る。きょうだい集まって眠る。その繰り返しであった。

 しかしこの単純な生活の間に於いて、吾輩は日々不安になって来た。母者の乳房が時が経つに連れて小さくなる。乳房のみならず母者そのものの身体が縮んでいく。母者を取り囲む例の筒棒も小さく細くなる。元々小さかった太陽までが小さくなる。変わらないのは同時に生まれたきょうだいの大きさだけであった。母者の乳の味は濃く甘く旨味も含んだものになっていた。

 吾輩は、この時点に於いては、実は吾輩等の方が日々信じがたい勢いで成長し自身が大きくなっているのだとは、思いもよらなかった。      

 母者は少しも吾輩を愛してくれなかった。母者が重く愛するのは同胞きょうだいの中でも大きな仔や毛色の艶の美しい仔ばかりであった。給乳の際、吾輩の下で乳を吸う弟者はいつも小刻みに手足や頭を震わせていた。眠るときも乳を吸うときも震えは続いていて、故に乳の吸啜が上手くいかないようであった。吾輩は生まれ持った弱き者への同情心から、母者が弟者をかわいがるよう、弟者を吾輩の鼻先で押して母者の目に入れるようにしたのだが、母者は弟者から鼻と目をいつも背けるのであった。そして母者は我々に鼻で接吻をしたり舌で嘗めたりするよりも、自身の食欲を満たすのに忙しい様子であった。母者の飯は白い流動状のもので酸い匂いをたてていた。

吾輩等は日ごと大きくなり吾輩自身も少しは知恵をつけた。世界が縮むのではなく吾輩が大きくなったのだとようやく理解した。但し母者の乳房は変わらぬ大きさだから乳房を吸うに吾輩等は圧迫の苦しみを感じ始めていた。弟者は、相変わらず震えてばかりいる。

 吾輩は、この世に正義はなく、強い者や美しい者が寵愛される現実を憎んだ。吾輩はきょうだいの中でも要領が悪く動きが鈍く遅れがちで、それ故に母者から避けられていた。唯、二脚獣だけが我等きょうだいを公平に観察しているようである。

 ここで二脚獣について触れておきたい。この獣は正に2脚だけで歩き立つ。蹄や指はなく、足は白く光る皮で覆われている。毛の色は全身白く、口元すら白い毛で覆われ頭髪も白い。目の周りのみ毛は無い。胴体は長く、我々の前脚に当たる脚は存在せず、代わりに2本の長い触手を胴の上の方にぶら下ている。触手の先には更に11本の触手がある。すなわち10本の触手と向き合うようにもう1本の触手があり、それ故、物を掴むことが出来る。                    二脚獣は我々に時として様々なことをしてくれた。生まれて間もない頃、最初の給乳の後に羊水と血で濡れていた我々の身体を、生暖かく湿った毛皮できれいに拭ってくれた。またある時は、我々の鼻や口に変わった匂いと味のする液体を長い棘を使って擦り付けた。別の時は尻に何回か棘を刺した。何だかの液体がその棘の先より分泌されていたようである。また別の時は我々の尻尾の先を切り長い歯を10本抜いた。かくの如き処置をされた直後は吾輩は二脚獣を深く恨んだが、後になって思うと尻尾を短くされ歯を抜かれたことは良かったと思う。

それよりも痛く辛い思いをしたのは、ふぐりの中の2つの白い玉を取られたときだった。

 二脚獣は10本の触手と11本目の触手で吾輩の身体を掴み、もう1つの触手には、まるで鋭い歯のような硬く薄いものを持ち、吾輩のふぐりにその歯の如きものを当て、表面の皮を割って中から白い玉2個を取り出した。この処置は吾輩だけでなく雄きょうだいは全て受けた。雌の仔どもには何もなされていない。

さすがの母者もこの時にはぶグぅぶグぅと強い調子で二脚獣に怒りの感情を露わにし、ついでに飲み水を二脚獣に浴びせた。二脚獣は母者の怒りなど知らないふりをしていた。


 さて毎日々々給乳の際、母者は身を横たえる。我々は2段に重なって乳を吸う。我々は窮屈であった。

 吾輩は1つの考えが脳裏に浮かんだ。母者の背中の向こうの未踏の場所に、同じような乳房の群れが母者の身体にあるのではないかと。そしてある日の給乳の時、吾輩はいつもの乳房に向かわず、母の身体をよじ登って乳房の反対側へ向かった。

 しかし、そこに在ったのは母者の背の短いたてがみに過ぎなかった。吾輩は自分の妄想上の理想から裏切られる最初の体験をした。吾輩は悲しみのあまりちぃちぃと啼き続けた。それで母者が吾輩の方を振り向いてくれる筈はない。我等の種族の首は後ろを振り向くことは不可能なのである。母者は他のきょうだいへの授乳に専念し、吾輩の存在など気にせぬ様子であった。

 失望から立ち上がるため吾輩は外の世界を見渡した。が、そこも驚きの光景であった。

 吾輩等の居る場所は板と筒に囲われているが、その外は道を挟んで我輩等と同じような母獣と仔獣達が、我等を囲う板や筒と同じもので囲われていた。どこからも母者とは微妙に違うとは言え、乳の匂いと酸いた飯の匂いで満ちていた。乳飲み仔が大数で居た。

 ここで吾輩はまた絶望を味わうことになる。

 吾輩は、この世で唯一無二の存在ではなかったのだ。吾輩一家の複製如きがこの世に沢山いて、他の誰かと交換されても気付かれぬ存在に過ぎないのだと。

吾輩は悲しみよりも自己の存在の危機による恐怖の感情から、その場できぃきぃと啼き続けた。すると給乳中の母者がいつもの給乳の終了を知らせる《ぐふぅ》という声で啼いた。吾輩は1滴の乳を飲むことなく給乳の時間が終わったのだが、やれやれと感じた。

 すると母者は10本の脚で立ち始めた。吾輩は母者が脚で立つのを初めて見た。母者も立てるのかと驚いた。

 母者は立って乳房をぶら下げたまま、今度は給乳を知らせる《グぅグぅ》という声で我々を呼んだ。きょうだい等は母者の下に潜って立った姿態で乳を吸った。少なくともこれまで態勢よりも楽な状態で乳が貰えるようになった。例の震え仔の弟者も、10肢を悉く震わせながら懸命に乳を吸啜する。吾輩も遅ればせながら相伴に預かった。

 吾輩はこの日、我が畢生において重大な事実を絶望と共に知り、形而下においては、より容易に乳を吸えるようになった。


 母者は給乳準備のためか大量の流動飯を食べる。そして30垂の乳房から乳を出す。面倒なものだ。いっそう我々があの流動飯を直に喰えればいいものを。

 そう考えている頃、二脚獣は粋な計らいをしてくれた。

ある日、二脚獣は甘い匂いのする白い粉末を母者の身体に撒いた。きょうだい等は好奇心を抱いて母者に近寄る。母者も十肢を折って屈める。吾輩も震え仔の弟者も、きょうだい皆が母者に撒かれた甘い匂いの粉を嘗める。その粉は味は甘く旨味があり淡泊さもあった。

 二脚獣は今度は10角形の容れ物に同じ粉を入れて我々の側に置いた。きょうだい等は争って、その粉飯を嘗めに行った。吾輩はどうも争うことが嫌いだ。苦手である。殊に例の震え仔の弟者を見ると、他の者を押し退けてまで自分の場所を得ようとする気力が萎える。10角形の容れ物は、粉飯を得ようとするきょうだいの頭でいっぱいになる。母者までが粉飯を嘗める。吾輩の脳裏にある考えが浮かんだ。 吾輩は母者とは争ってもいい、母者のあの流動飯を嘗めてみようと。

今度は母者の頭の側の管から流動飯が流れて来た。吾輩は早めに動いて流動飯を受け止める容れ物に口を近づけた。流動飯は白く、酸っぱい味にクサクサの匂いが混じったような変わった感じがする。吾輩は生きるために母者の流動飯を食した。幸い母者は吾輩を叱ろうとはしない。母者の『お食べになりなさい』と話す声が聞こえた。母者の言葉が分かったのは、これが初めてである。

 以降、吾輩は生きるに必要な滋養を母者のための流動飯から得ることとなる。給乳の習慣は続いていたが、以前ほどには真剣に飲まなくなった。吾輩は流動飯を飲み始めて糞便がやや柔らかくなり一時は腹が下って困ったが、慣れれば乳を吸うより容易く腹を満たすことが出来た。二脚獣は母者の所には色々な粒が入った容れ物を持って来た。母者はそちらは我々には全く分けずに自分だけで食った。

 こうして吾輩もきょうだいも離乳の習慣がつき始めたが、吾輩は精神に於いて母者の愛情を強く求め始めていた。


 母者の流動飯を食するようになってから、母者の鼻糞の匂いを身近に感じるようになった。吾輩は、あの鼻糞の香る平たく大きな鼻で、吾輩の身に接吻をして貰いたいと強く願うようになった。母者の舌で我が身を嘗めて貰い、出来れば唇を互いに開きあって深い口づけを交わしたいという望みが生まれた。だが、この願いは簡易には叶えられそうにはない。母者は吾輩が母者の飯の容れ物に近づいても目を合わせようとしなかった。ぶぅとも声をかけてくれなかった。

 きょうだい等は互いに追い駆け合い、尻の肛門近くを嘗め合っている。もっと親しくじゃれ合い、互いの口と口を入れ合って深い接吻を交わしている者もいる。早熟なきょうだいの中には交尾の練習のように互いに後ろから身体を乗せ合っている。

 吾輩の愛する弟者、あの震え仔の弟者は他の体格や健康の良いきょうだいからは尻尾を齧られたり尻を追い駆けられたりの悲しい遊びの中にいる。弟者はそれに耐え、ときどき母者の乳房の下に潜るが母者は弟者の為だけに乳を出さない。母者が乳を出すときは他のきょうだいも一緒なので弟者は強いきょうだいによって隅に追われ充分に乳が飲めない。故に弟者は体格も毛の艶も他のきょうだいより見劣りがする。母者が弟者をかわいがる所を吾輩は見たことがない。吾輩はそこまで母者から嫌われはしていないものの、積極的に愛されもしない。

 吾輩は母者からの接吻の望みながら母者の前を右往左往し顔は母者の方を向けることが出来なかった。吾輩は孤独を感じた。

 そういうとき吾輩は、外に見えるタケタケの木々を眺めた。今から思うと季節は冬で、外は寒風の音がした。タケタケは寒さの中でも青葉を保ち、風に梢を揺るがせながらも根本は動ぜず立っている。吾輩はこのタケタケの如き男仔になりたいと思った。青く曲がらずに伸びるタケタケの木は吾輩の精神における嚮導星であった。


 ある日のことであった。後ろで母者が仔ども等を嘗め接吻する音と匂いがしてきた。きょうだいは歓喜の声を上げている。吾輩は我が身には関せぬことを知らぬ顔をしてタケタケの木を眺めていた。ぶうぶうときょうだいは順番に嘗められ接吻されている。母者はいつもより念入りに仔ども等への愛撫を行なっているようだ。

母者と目が合った。母者は

「お前も来なさい」

と言う。不審におもったが言われるがままに吾輩は母者の前に現れた。      母者は吾輩を嘗め始めた。                          母者は吾輩の顔を嘗め頬に鼻の接吻を与え、下顎をなだらかになだらかなに吾輩の胴の上を走らせた。背中から快楽が我が身を揺する。母者の愛撫は続き母者の舌は吾輩の肛門近くまでを丁寧に濡らす。

「ねえ、これからは粉ご飯もきちんと食べるのよ、元気で過ごしてね」

母者は珍しく吾輩に優しくしてくれるので却って気味が悪い。

次に母者は震え仔の弟者にも接吻を与え出した。弟者は震えのあまり立てず横たわっている。母者は弟者を念入りに全身を嘗め、且つ接吻をする。弟者は笑い声をあげている。     

母者のほうは悲しそうな声で「ごめんね。ごめんね。ぶうぶう」と話しかけている。

 かくして母者は一腹の仔全員に接吻と愛撫を与えた。

母者が吾輩等の前からいなくなったのは、それから少し経ってからだった。縦に長い10角形の赤い板を持った二脚獣が我々の所へやって来た。ぶうぶうと二脚獣に付きまとう我々きょうだい仔を避けて、二脚獣は板を使って母者を追い立て入り口へと出し、とうとう母者は二脚獣と共に去ってしまった。母者は待てど待てど戻って来なかった。

 きょうだいだけになった吾輩等には、飯時に粉飯が入った10角形の容れ物が残された。吾輩等は母の乳を断念し、この粉飯だけで過ごした。水は母者がやっていたように地面にある出っ張りを押せば出て来る。母者がいなくとも吾輩等は眠る時間には集団を作り丸まって眠った。そういう生活が何日か続いた。

 やがて二脚獣は例の赤い板を持って、今度は我々をどこかにやろうとした。二脚獣は体格の大きな姉者や兄者を先に何頭か、脚の形が丸い10本脚の獣の上に乗せて消えて行った。次に吾輩と何頭かの同輩等を同じように運んで行った。

 吾輩は不安と少しの期待を感じながら、外に見えるタケタケの木々を眺めていた。


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