第4章
01 気になった点
戸を叩きもせずに無造作にそれを開けると、リンは嘆息した。
「何だ。いたのか」
「訪れてきておいて、その言い草は何だ」
魔術師ジェルスは不機嫌そうな声音で言った。
その小さな建物は、普段は
高い天井にまで届く棚を眺めたヴァンタンは、いちばん高い位置に荷を上げ下ろしするのはどうするのだろうと思って辺りを見回す。どうやら移動式の梯子を使うようだと判ったが、何か抱えながらあれを上り下りすることを想像すると、この倉庫が配達先にならないといいな、という結論が出た。ついでにあのいちばん上に納めてくれ、などと言われたくないからだ。
現状、そこはジェルスの控え室のようだった。と言っても「魔術師」ではなく「座長」としての、という雰囲気だった。奇妙な置物も、文様の描かれた布も焚きしめた香もなく、商家の仮倉庫そのままに味気ない感じがしたのだ。
もっとも商人も芸人も客商売であり、表を派手に飾り付けても裏方までそうする必要などない。無意味どこらかろか無駄だ。
ヴァンタンは、言うなれば奉仕精神が旺盛なところがあるから、裏でもそれなりに雰囲気を出せば受けるであろうに、などと考えた。だが裏というのは見せないことが前提のものである。
「留守にしていればいいなと思ったんだ。顔なんか見たくないから。だが、いたんだから仕方がない。ジェルス、あんたに紹介してほしいと言う人がいる」
リンがヴァンタンを振り向き、ヴァンタンは軽く会釈をした。
そこには、舞台に立っていたのと同じ、どこか不吉な感じを思わせる黒いローブを着たひとりの男がいた。
やはり、とっさに「これは魔術師だ」と思う。ヴァンタンは、魔術師だからと言って即「忌まわしい」とは思わなかったが、どうしても警戒をさせる。
これは損ではないのだろうか、と青年は思った。だが同時に、この男はその辺りも理解して、敢えて身につけているのではないだろうか、とも。
「ほう」
魔術師はじろじろと青年を見た。
「何か
「芸人として雇われにきた訳じゃない」
ヴァンタンはまず、そう告げた。続けるのは、リンだった。
「もちろん、下働きに雇ってくれと言うんでもない。彼はただ、あんたに話を聞きたいんだそうだ。と言ってもただの世話焼きであって、町憲兵じゃない」
さらさらとやられて、ヴァンタンは片眉を上げる。それは、ただの世話焼きと評されたことに対してもだが、彼女がわざわざ、言わずもがなのことを告げたことに対してだ。
(町憲兵の制服なんか着てないんだ、見りゃ判るだろう)
(いちいち、それを脱いでまで様子を窺いにやってくる奴も……いるとか?)
トルーディはそんな小細工などしなさそうだが、どこかの街には「魔術師」を怪しんでそこまでする町憲兵もいるかもしれない。
(だとすると)
ヴァンタンはこっそり考えた。
(もし俺が町憲兵だったら、リンはジェルスに警告を――したかもな)
それは勘のようなもので根拠はなかった。
魔術師だから不吉であるとか、何をしでかすか判らないとか、そういった考えは偏見とも言えること、ヴァンタンも理解していた。
しかし、こうして堂々と黒ローブを身にまとっている男を前にすると、どこか気圧される。どうしてわざわざ、人から忌まれる格好をしているものか。
という考えは、魔術師たちにとっては傍迷惑な見解である。彼らにしてみれば、どうして忌まれるからと言ってこちらが気を使わなければならないのだ、という訳だ。
魔術師のなかには、自らが魔術師であることにこそ誇りを持っていて、だからこそ常に黒いローブを身にまとっているというような者もいる。そうした魔術師は、偏見を気にしないどころか、偏見を抱くような無知な人物と交流する必要はない、くらいのことを思っている。
しかしジェルスは、一種の客商売である。だと言うのに敢えて、人から避けられる黒い姿を取っているなど、どういうつもりなのか。
やはり誇りなのかもしれないし、リンに言わせればそれは「芸人根性」らしいが、ヴァンタンはいまひとつ納得できなかった。
「話は、何だ」
「あー、話ね、うんうん」
どう切り出そうか、と青年は考えた。
おかしなもので、舞台の雰囲気そのままの「魔術師ジェルス」――神秘的なような、不気味なような、そういった相手に対する覚悟でいた彼は、ジェルスが思ったよりも普通の――いくらか偏屈で扱いづらくはあるが、それなりにつき合えばそれなりの対応を返してくる、頑固親父のようであることに、却って戸惑ってしまった。
「昨日の公演を見たよ」
「ほう。それで」
商人ならばここで「それはどうも有難うございます」とでもくるところだが、ジェルスはそこまでは言わなかった。
「いくつか気になった点がある」
「批評家か」
「いや、そういう意味じゃなく」
ヴァンタンは真面目に否定しようとしたが、魔術師の顔が面白がっているようなのに気づき、いまのはどうやら判りにくい冗談であると判定を下した。
「批評できるほどあの手の
冗談めかすが事実だ。
「少なくとも『金返せ』と言いたくなるようなもんじゃ、なかったな」
「ほう」
座長はまた、それだけ言った。別におべっかを使っているつもりはないのだが――雇われたいのではないのだから、機嫌を取る必要はない――ジェルスはそれを世辞と思ったか、それとも前置きにすぎないと正しい推測をしているためか、やはり礼などは述べなかった。
「だが気になることもある。昨日のように、客の誰もが満足しちまってにこにこ顔で天幕を出てくなんざ、そうそうあるこっちゃない。どんな一流の芸人の技を見たって、『大したことはない』としたり顔で話す人間はいるもんだ」
「それで」
ジェルスはただ、促した。やりにくいな、とヴァンタンは思う。もう少し何か返してくれれば突っ込みやすくもあるのに。
「それで、俺が思うのは。例の煙だ」
「煙」
「
ヴァンタンはうなずいた。
「要するに、ジェルス」
そこでリンが口を挟んだ。
「ヴァンタンは、あの煙の違法性を疑ってる。それから、やり方にも問題があると」
それはだいたいヴァンタンの言おうとしていたことに合致したから彼は特に補足や訂正をしなかった。だが、リンの口出しを意外にも思った。
意外だと言うよりも、態度が判りにくいと言うのかもしれない。
ヴァンタンには、リンの立ち位置が自分と同じ場所なのか、そうではなくジェルスに近くあるものか、読み切れずにいたのだ。
「違法性。そんなものはない」
ジェルスの瞳に苛つくような色が浮かんだ。
「魔術師だから怪しいことをやる。偏見、大いにけっこう。不気味な魔術師、大歓迎だ。何をやっているか判らない一座、いくらでも言ってくれ。私はそうした偏見を利用して稼いでいると言っていい。だが、後ろに手が回るような真似は、断じてしていない」
突然ジェルスの雰囲気が感情的になり、台詞が長くなった。
「あの手法が問題だと言ったな?」
「いや、俺は」
ヴァンタンは、手法ではなくあの煙が何であるのか問おうと思っただけだ。まさか「違法性のある幻惑草です」とは答えないに決まっているのだが。
「お前ではない」
しかしジェルスはそう言った。
「そこの、知ったような口を利く小娘が言ったことだ」
話を振られたリンはふんと笑った。
「何が、知った口。その言葉はそっくり返す。魔術師気取りで、後ろ指をさされる演技をいちいち選び、疑われれば機嫌を損ねる。そんな態度のどこに知性があるのか教えてもらいたい」
「ふん、賢いふりばかりの青二才め」
ゆっくりとジェルスは、右手を胸当たりの位置にまで上げた。
「――その生意気な口を二度と利けぬようにしてくれるわ」
言ったジェルスの右手に、それまでなかったものが現れた。それは長さ三十ファイン弱、手のひらを思い切り広げたよりも少し長いくらいの、黒檀の棒だった。
ヴァンタンはぎょっとする。人脈の広い彼でも魔術師の友人知人などはいない。それでも何となくの知識はあるものだ。
魔術師が手にする棒。長かったり短かったり、するらしい。だがどんな長さをしていても、それは杖と呼ばれるものだった。
魔術師の、杖。
ヴァンタンには、それでも偏見がない方だ。
「魔術師だから忌まわしい」とは思わない。少し胡散臭いかなと思う程度だ。
しかし、この状況は、それでは済まなかった。
魔術師が杖をかまえるということは、戦士が剣を抜くことに等しい。その目的は、いちばん平穏であっても、明確なる脅迫。
「リン」
ヴァンタンはすうっと血の気が引くのを感じながら、彼女の名を呼んだ。
「下がっていろ」
「ほら」
「……は?」
娘の声音は全く普段と変わらず、発せられた一語は彼の警告に対して意味を為さなかった。その上、その調子には、怖がったり警戒をしたりするどころか、呆れたとでもいうような色が乗せられていて――青年の緊張感を台無しにした。
「だから、そういう態度を取ると誤解をされると言っているのが判らないのか。いい年をして魔術師ごっこなんて、馬鹿らしい」
「何がごっこだ。私はれっきとした魔術師だぞ」
「私がいま問題にしているのは、あんたに魔力があるかどうかじゃない。大人としての対応について言っているんだ」
「私の半分も生きていない子供が何を偉そうに」
「年月だけ重ねれば偉いと言うのか。そんな考え方は頭が悪い」
「頭にどれだけ知識を詰め込んだところで、積まれた経験には敵わぬもの。もう二十年してから、同じ台詞を吐け」
「その頃には、あんたはよぼよぼか、それともどっかで野垂れ死んでいるかだろうな」
「何とも生意気な。そんなに、仕置きをしてほしいのか」
「はっ、仕置きだって? あんたにはきっと、女をいたぶって楽しむ趣味があるんだろうな」
「何を言う。愚かな子供に教え諭すは、理性ある大人として当然のこと」
「私の話じゃない。それに、理性だって? あんな演出をいちいち選択するのが、理性ある座長のやることなのか」
「何? ああ、あの踊り子のことを言っているのか。あれは最初の公演で見せ付けておくのがいちばんいいんだ。最後にやれば、本当に殺したんじゃないかなどと陰口を叩かれる」
「そう!」
どうにか口を挟む隙を見つけて――と言うか、見つからなかったので、ヴァンタンは無理矢理、入り込んだ。
「俺はそのことも訊きにきた」
ふたりの視線が、そう言えばこんなのもいたんだったか、とでもいった感じで彼に向けられた。いつの間にかジェルスの手から短杖は消えているし、男がそれを手にしたときの、奇妙な迫力も消えている。
いったいこのふたりはどういう関係なのだとヴァンタンは混乱をしそうだったが、どうにか筋道立てた考えに戻し、尋ねようと思っていたことを尋ねることに決めた。
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