02 失言
「ファヴ。彼女のことは、聞いたか」
「リンから聞いている」
ヴァンタンの問いかけに、ジェルスは小さくうなずいた。
「〈名なき運命の女神〉は皮肉な悪戯を仕掛けるものだ」
「偶然だ、と?」
「もしもそう言いたいのであれば、運命と言ってもかまわぬがな」
「別に『言いたい』訳じゃない」
顔をしかめてヴァンタンは手を振った。
「あんたが運命の女神とやらの使者だったんじゃないと、そう言えるんだな」
「使者か」
ジェルスはかすかに笑った。
「そうだと考えることもできよう。運命は人を右に左に翻弄させ、縦に横にと織り布の如く絵柄を作り上げていく。言うなればそれは、我が縦糸と彼女の横糸が行き合った、ほんの一
「――待て」
とうとうと芝居調の魔術師を遮ろうと、ヴァンタンは両手のひらを広げて制止するような仕草をした。
「ごまかすのか、煙に巻く気か、それとも」
「ただの悪癖だ」
苛ついた声音で答えたのはリンだった。
「だから私は嫌なんだ。魔術師ぶって小難しいことをそれらしく言えばいいと思っているその捻じ曲がった根性が」
「ぶってなどおらぬと言っておろうが。それに何も、演出効果を狙って言葉を編んでいる訳でもない。真理について表現をしようとすれば、自然、明確な言い様は避けられていくもの」
「できないことはやらなければいいだけだ」
きっぱりとリンは言い放った。
「だいたい、あんたの言い方はヴァンタンの誤解を助長してる。彼だから黙って聞いているが、これが町憲兵相手でもあってみろ。この街にはうるさいのがいるんだ。あんたの言葉を自白と取って、互いにくだらない手間をかけ合うことにもなりかねない」
「その町憲兵には私も会ったようだな。トルーディと言ったか」
ジェルスは顎髭を撫でるようにして、ずいぶんと私を疑っていた、とどこか面白そうに言った。さもありなんとリン、及び特にヴァンタンは大いに納得をした。
「彼は、私の過去の悪事を知っているそうだ」
「何」
「何だって」
リンは顔をしかめ、ヴァンタンは警戒を取り戻した。
「悪事ってのは、その、具体的にはどういう」
「さてな。向こうがどういう罪状を想定していたのかは知らぬ」
「は?」
「町憲兵の口から出任せだろう、ということだ。私を慌てさせ、様子を見ようとしただけ」
実にさらりと、座長はトルーディのそれを正しく読み取った。
「だが実際、過去には私もいろいろとやった。明るみに出ていない我が悪逆非道――聞きたいか、青年」
「ジェルス」
リンは厳しい顔で座長を呼んだ。
「冗談だ」
魔術師は肩をすくめた。リンはその冗談に笑う気はないようだし、ヴァンタンだって心楽しくはない。
「正直なところを語るならば、私は決して清廉潔白とは言えぬ。だが、現状で町憲兵から逃げ隠れなければならぬ裏事情はない」
ジェルスはそう告げたが、ヴァンタンにはいまひとつ読み切れなかった。
どうやらこれは、演技の達者な魔法使い。口先で、それとも魔術で、彼を信頼させようとしているのでは――。
と考えた街の若者は、その
(信頼させるような魔術を使っていたら、俺は疑ったりしてないはずだな)
思わず苦笑が浮かんだが、笑うのも奇妙な場であるので、彼は意識的に表情を真顔に戻した。
「ファヴは臨時雇いだったんだろう。どうして、あの大一番、失敗をすれば致命的な演目に採用したんだ」
「知りたいか?」
ジェルスは鼻を鳴らした。
「知りたければ、また、夜にこい」
「何、だって?」
ヴァンタンは警戒が浮かぶのを感じた。こいつは何を言い出したのか。
「情報が回るのは早いな。昨日の踊り子連中は不要な怖れをなし、報酬は要らないからもう出演はしないと幾人かが言ってきた。わざわざ告げずに、契約破棄をする者もいるだろう。他を雇わなければならない。一座員が目星をつけて、新しい踊り子を誘ってきた。今宵、彼女らと話をする」
「……で?」
意味が判らず、ヴァンタンは瞬きをした。魔術師は、これまで見せたことのなかった顔を見せる。
にやりと、したのだ。
「つまり、青年。新たに採用したなかから、いちばん色気のあるのを選ぶんだ」
見たいだろう?――と魔術師はにやにやしたままで言った。
「いい加減にしておけ」
またも呆れたようにリンが言った。
「若い美女を生贄にしているなんて噂が立ってもいいのか」
「昨日の女は、大して若くなかったろう」
ジェルスはどうにも的を外しているような返答をした。
「生贄ならば若い処女と相場が決まっておる。だが私の好みとしてはもうちょっと熟していた方が」
「ジェルス」
「冗談だ」
「いい加減にしろ。妻も持たずにそうやってうろうろ。あちこちに女を作って、子供も作って、責任を取らない」
「何と失敬な。私の子供だと確信できれば、ちゃんと面倒を見ている」
「は、面倒なんかちっとも見られた覚えはないがね」
リンの返答に、ヴァンタンは目を見開いた。
一座と共にやってきた、座長は犯人ではないと主張するリン。
子供を教え諭すのは当然だと言った、ジェルス。
面倒を見るの見ないの。
ということは、つまり。
「そうか、あんたたち……親子なのか!」
リンは、ヴァンタンがまるでとても下品な言葉でも口にしたかのように、思いきり眉根をひそめた。ジェルスは面白そうな顔をする。
「珍しく、リンが失言をしたな」
どこか勝ち誇ったような様子に、リンは思い切り呪いの言葉を吐いた。魔術師は何かの仕草をする。
「そのような言葉を口にするものではない。いずれ、返るぞ」
「私は魔術師じゃない」
「当然だ。魔力は遺伝するものではない」
ジェルスはそんなことを言ってから、ヴァンタンに目をやった。
「しかし、リンの一語ですぐに確信したようだが、腑に落ちるほど似てでもいるか?」
「いいや、見た目はちっとも。ただ、ようやく判ったんだ。あんたらの応酬は、他人が親しくなった故の遠慮のなさじゃない。身内の気安さだ。何を言っても、相手が機嫌を本気で損ねても、必ず元通りになると信じている血の絆の強さ」
「お若いの」
ジェルスはじっとヴァンタンを見た。暗い瞳に射すくめられるようで、ヴァンタンは瞬時、動けないような気分になった。
「なかなかの観察眼だ」
だが次の瞬間、ジェルスはふっと笑う。
「どうして、最初に言わない」
「言いたくなかった」
リンはどこかむっつりと返した。
それは、いつも冷静な少女の様子とは相容れなかった。これはもしかしたら反抗期というやつなのだろうか、とヴァンタンは思った。だがすぐに考え直す。
どちらかと言うと、問題があるのは――子供より父親の方のようだからだ。
「私が一座に便乗をしてきたのは、本当にたまたま、行き先が一緒だったからに過ぎない。きちんと乗車賃を払ったし、この先は一緒に行く予定もない」
「そう、我々は互いに売り手であり客である。それ以上の関係ではない」
「何を……売り買いするって?」
ヴァンタンは純粋に疑問に思った。のだが、親子はよく似た形で片眉を上げた。
「クレスも私がジェルスと親しいのかとかどうとか聞いてきたが、お前たちどちらも、何を考えてる」
「は?」
「男と女が売るの買うのと」
「……おい」
「冗談だ」
――冗談が判りにくい、という意味ではこの親子はとても似ているのではないか、とヴァンタンは思った。
だが、同時に理解した。クレスが「リンと座長は親しいのではないか」と言ったときに対する返答は、「ジェルスと親子である」と説明をしたくないためだったのだ。いまも、血の繋がりのない男女であるような語り口をした。
やはりどこかに「反抗期」もあるのかもしれないな、と青年は思った。自分は娘に嫌われないようにしたい、などとも。
「売り買いというのは、リンの扱う商品のことだ。職業柄、私は変わった品を手に入れることがある。リンにそれを売ることもあるし、リンが何か芸事に使えそうな品を見つければ、私が買う」
座長はそう説明をした。娘はうなずく。
「
「やれるものならばやってみるといい。我が道行きを妨げる者、血を分けた娘とて容赦はせぬ」
再度ジェルスの手に杖が宿ったが、どうやらこれは芝居の一環らしい。おそらくこの親子は、顔を合わせればこのような調子なのだろう。
ましてやいまは、ヴァンタンという観客がいる。そのためにジェルスの「芸人根性」は加速しているかもしれなかった。
「だが、気にかかることも」
魔術師は、手のひらの上でくるりくるくると短杖を回した。それは魔術ではなく小手先の技のようで、その仕草はこれまででいちばん「奇術師」めいていた。ヴァンタンは思わず口笛を吹く。
「そこな男」
ぴしりと、短杖が彼に向けられた。
「……俺、かな」
他にはもちろん誰もいないのだが、不意に出された強い口調にヴァンタンは思わず確認してしまった。
「念のために尋ねておこう。お前はリンと深い仲か」
そうくるとは思わなかった。ヴァンタンは瞬きをする。
世の父親とはこういうものらしい――という頭はあったものの、ジェルスという魔術師からはどうにも考えにくかった。
しかし、やはり父親だという訳だ。
となると、自分に娘が生まれても、やっぱりこんなふうになりそうな気が、ちょっとした。
「俺には愛する妻がいて、他の女性に心を奪われることはない。ご安心を」
誓うように片手をあげてヴァンタンは言い、それから少しにやっとした。
「それを心配するなら、
リンから否定の言葉がくるとか、ジェルスがリンを問い詰めるとか、はたまたクレスを問い詰めに走り出したりはしないだろうな、と半ば面白がってヴァンタンは考えた。
その結果は、ある種、とても意外なものとなった。
或いは、結果は出なかった。
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