13 蘇る記憶
この日の公演は休みのようだった。何でも、最初の公演の評判が噂になるまで時間を置き、見てみたいという気持ちを煽ってから再演、というのはよくある手法らしい。
ともあれ、そうなると天幕は張られていても、周辺は静か――と言おうか、いつも程度の喧噪だ。
天幕の中では練習をしている
「これだったと……思うんだけど」
昼の印象と夜の記憶では、完全にすり合わせることが難しかった。少し自信はなかったが、クレスは一台の馬車を指した。
「確かか」
「たぶん」
「曖昧だな」
「仕方ないだろ」
「たかだか半日前のことだって言うのに」
「あんたも殴られて気を失って死体と共に目覚めて犯人呼ばわりされて逃げ出して捕まって留置場で一夜を過ごして町憲兵に信用されなくて変な煙に連れ出されてみろよ」
クレスが一息で言ってのけると、リンは片眉を上げた。
「なかなか波瀾万丈だな」
「最後のは誰のせいだと思う?」
「お前のためじゃないか」
言い合う当人たちは真剣なのだが、傍で見ている男は苦笑せざるを得なかった。
「お前たち、何だか長続きしそうだな」
ヴァンタンの感想はそれだった。
「それってどういう意味だよ」
「いや、深い意味じゃないが」
クレスの問いかけにヴァンタンが肩をすくめると、リンが鼻を鳴らした。
「深く考えないで発言をしていると、いずれ足下をすくわれることになるだろう」
「ご忠告、痛み入るよ」
街の男は芝居がかって礼をした。
「それで? この馬車だとすると、いったいこれは誰が使っていたんだ?」
「ちょっと待ってくれ、思い出す」
リンは口の辺りに手を当てて考え込んだ。
「確か、臨時雇いが荷物置きに使っていただけだ。そうであればファヴが誰かを入れても不思議じゃないが」
「座長が使っていたんじゃ、ないんだな」
確認するようにヴァンタンが問う。
「言っただろう」
顔を上げて、リンは少ししかめ面をした。
「そのときだと、座長は私と話をしていたんだ」
「えっ?」
クレスは瞬きをする。
「そうなのか? そりゃ、座長の名を呟いて走り去ってたけど、穏当に話をしてたっての?」
てっきり、意味の判らないことを怒鳴り込んで追い出されていたのではないか、というような推測は、さすがにクレスも口にしないでおいた。
「まあ、そうだ」
リンは嘆息した。
「話をしなけりゃならなかった。あの煙のこと、剣の演技のことも」
「――剣」
ヴァンタンはわずかに目を細くした。
「その演目に参加していたのが死んだファヴだったのは偶然だと言っていたようだが、本当は何か裏があるのか」
「裏はない。偶然だ。私が言ったのは、あんなことをしたらそんなふうに疑われるからやめろという真っ当な忠告」
「……は」
「ちょっとけれん味がありすぎるんだ、ここの座長は。魔術師然とやってるが、私に言わせればあれは芸人根性。『不気味な魔術師』に求められるものを嬉々として演ってる内に、沁みついてしまったという訳」
少なくともリンの解釈はそう言うことであるようだった。何となく、クレスとヴァンタンは顔を見合わせてしまう。
「リン、お前さ」
何となく、クレスは思いついた。
「一座に便乗してやってきたと言ってたけど……本当は、この一座、ううん、座長ともっと、その」
迷った上に、少年は続けた。
「親しい、のか」
「何かおかしな誤解をしていないか」
リンは顔をしかめた。
「私は趣味を広く持っているつもりだが、親父趣味だけは断じてない」
「……そういうことを言ってるんじゃないけど」
「そういうことを言っているように聞こえたが」
ふん、とリンは気に入らなさそうに言った。
「それじゃあ、煙のことはどうだ」
ヴァンタンが水を向けた。
「あれに関しても、苦情を申し立てた」
「苦情、という程度か」
「
「だな」
男は真剣な表情になった。
「クレスが聞いた話の通りだ。やばい薬を摂取する気がない人間にも、当人に気づかない内に吸い込ませることができる。ただ……魔術師でないと、難しいだろう」
「世の中には、金で動く魔術師もいる」
まあ、とリンは小屋の方をちらりと見た。
「ある意味ではジェルスも、金で動く魔術師だけれど」
「だいたい、判ったな」
ヴァンタンはうなずいた。
「リンは、座長をよく知っている。それで、犯罪性はないと考えているようだが」
そこで男は首を振った。
「俺は納得がいかない。リン、座長に紹介してくれないか」
「何だって?」
「クレスの件を追及するつもりはない。君が言うように、君と一緒だったんだろう。だが訊きたい。何故、あの大一番の演技に臨時雇いのファヴを選んだのか。それからやはり、煙のことも」
「紹介するのはかまわないが、ジェルスが話をする気になるかどうかまでは保証できない」
「それでいい」
「じゃあ、そちらを先に片づけよう。ついでに、座長に馬車のことを確認してくる。何か気づいたことがないかどうかも」
「判った。俺はもう少し、本当にこれがそうだったかどうか、考えてみる」
「人目につかないようにしろよ」
「判ってる」
クレスはうなずき、ふたりを見送ったあと、記憶との照合を再開した。
(昨夜、まずは天幕の表から回ってきた。それから、どこに行ったらいいか迷って少しうろうろしたんだよな)
(向こうの小屋と天幕の……中間くらいの位置にあった馬車だとは思う。目の前のこれがいちばん怪しいとは思うけど、あっちの馬車も距離的にはそう変わらない)
(表からもう一度、歩いてみようか)
少年は思いついて、幌馬車に背を向けた。
(ええと確か)
(最初はまっすぐに行って――)
クレスがそれ以上、昨夜の記憶を必死に思い起こすことはなかった。
背後に聞こえた足音が、そのとき少年を振り向かせたのだ。
どきりとした。
真っ赤になった自身の両手を見たとき、ファヴの死体を見たとき、血に濡れた小刀を認めたとき、そのどの瞬間よりも、クレスの心臓は大きく音を立て、痛みすら覚えさせた。
(もう――)
(もう、しません。ごめんなさい、許して)
(叩かないで、どうか、許してください)
奔流のように蘇る記憶。
その悪夢も、もう見なくなっていたと言うのに。
「やるじゃないか、クレス」
ククク――とくぐもった低い笑い声。
よく覚えている。
これは、怖ろしくて痛いことの、はじまり。
「詰め所から脱け出してくるなんて思わなかったよ。――まさか、俺と同じことをやるなんてな」
「……ダタク」
声が震えた。足が震えた。昨夜以上に。
解放をされたあの日まで、それともそのあとしばらく、或いは、いまのいままで。
ずっとクレスに恐怖を強いた隊商主の姿が、そこにあった。
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