06 捕まってる場合じゃない
眠れや、しなかった。
寝台は彼が与えられているいつもの部屋のものより固い。でもそれより以前、ダタクの隊商ではずっと地面で寝かせられ、掛け布すら与えられないこともある生活をしていた。それに比べれば、相当ましだ。
だが、例え王族が眠るようなふかふかの布団に横になったって、いまの彼は眠りになどつけないだろう。
目を閉じれば蘇る、凄惨な光景。
死体を見たことは、前にもあった。隊商の連中は、通りすがりの旅人を殺して金品を奪ったり、仲間割れをしてひとりを滅多切りにしたり――そうしょっちゅうではなかったが、回数を覚えていないほどには、起きたことだった。
どのときも、遺体の処理をさせられたのは少年だった。恐怖と吐き気をこらえて墓穴を掘った。思い出したくない思い出だ。
あれらに比べれば、ファヴの死体はきれいだと言ったってよかった。
ただ、だからと言って彼は慣れてなどいなかったし、平然としてはいられない。
しかも、彼が殺したと――思われているのだ。
そんなはずはない。もちろん、誤りだ。彼を捕まえて殴った男がやったのに違いない。
あれは、ファヴという踊り子らしい。化粧を落としていたからよく判らなかったけれど、そうなのだろう。ヴァンタンの言ったように、口論をしていた男女の片割れだろうか。
(幻惑草)
あの男はその話をしていた。
公演でやったように煙を撒いて、幻惑草の虜になる人間を増やすのだとか、怖ろしいことを。
(女は、ファヴ)
(それじゃ男は、誰だったんだろう)
(――あの、魔術師?)
ジェルスとか言う座長。もしや、そんなことを企んでいて、客たちを実験台にでもしたのだろうか。そう思うと、もうひとつの光景が浮かんでぎくりとした。
(あのとき……剣で刺された女)
(あれってまさか)
(死んでた、女だったり、するのかも)
それはなかなか気味の悪い考えだった。魔術師は本当に女を殺し、その遺体をあの部屋に――クレスと彼の小刀と一緒に、放置したのかもしれない。
(いや、違うか)
(それじゃ……口論してた女じゃないってことになる)
だいたい、舞台で刺された女はすぐにそのあと、無事な姿を見せているのだ。どういう仕組みであるにせよ、あれは「奇術」或いはやはり「魔術」とか言うものだ。
(でも、リンは何て言ったっけ)
(そうだ、目眩まし)
目眩ましとかで、違う女を刺された踊り子に見せかけたとか――などと少年はいろいろ考えてみたが、どう考えてみてもどこかに
判っているのは、リンが何か知っていること。
それから、幌馬車のなかで男女が言い合いをしていたこと。
幻惑草に関わる企みが存在すること。
そして、殴られて気を失った彼と、彼の小刀と、ファヴという死んだ女が同じ部屋に存在したこと。
事実はこれだけだ。あとは全部、想像。推測ですらない。
町憲兵に幻惑草の話などは何も伝えられなかった。殺したのは自分ではない、と主張することで精一杯だった。小刀が彼のものであることは認めてしまったが、事実だから仕方がない。
(――このまま、処刑されたりとか、するんだろうか)
少年は法に詳しくなかった。例の隊商主ダタクは捕縛されたあと、裁きを受け、どこかで罰を受けていると聞いたが、彼も同じようにされるのだろうか。それともやはり、処刑。
何もしていないのだ。そんなことになるはずはない。そう思いたかったが、少年を捕まえた町憲兵はトルーディだ。
縁があるなどと言いたくはないが、あの町憲兵との邂逅は三度目で、どのときも印象はよくない。いまではトルーディも最初の邂逅を思い出して、あのときにとっ捕まえておかなかったのが失敗だとでも考えているかもしれない。
(きちんと話をすれば、何もしていないと判ってもらえるだろうか)
不安だった。ものすごく。
(――怖い)
少年は寝台の上に起き上がると、両膝を抱えた。
(父さん、母さん)
その存在は記憶にない。隊商の連中から、惨めに死んだのだと酷いことを聞かされただけ。
(バルキー、ウィンディア)
(――リン)
どうしているだろう。酒場にはもう、彼の話が伝わっているだろうか。人殺しをする子供など、もうクビだとバルキーは言うだろう。ウィンディアも、彼を怖ろしいと考えるに違いない。
リンは、どうだろう。
彼女のことはよく判らない。彼の状況をどう思うものか。
知っているかも判らない。彼女は、何かを突き止めに、一座の奥へと突進したまま。〈赤い柱〉亭を訪れたかどうか。
(そうだ)
(リンだってもしかしたら、危ない目に遭っているかも)
そう考えると、自身の不安よりもそのことへの心配が浮かんだ。
現実にはとても的外れで、リンは彼の状況をどうにかしようと奔走している訳だが、少年にはそれは伝わらないでいる。
(もしも、リンに何か起きているとしたら)
(俺は……捕まってる場合じゃない)
あのときまで一緒にいたのだ。彼女をとめられなかったのは自分の責任だ。
と、少年少女はそれぞれ、相手の不都合を自分の責任と考えた。
昨日、出会ったばかりの相手。何だか奇妙な言動をするが、リンにとっては全て完璧な理屈が存在するようだった。
初めは女性であるなんて思いもしなくて、ヴァンタンに指摘されて驚いた。
今日は彼女が女性であると知っているが、だからと言って昨日と何か変わったとも思わない。
逢い引きとからかわれ、傍から見ればそんな感じがしそうだとは思ったものの、男として女のリンが気になるとは思わなかった。
でも、興味はある。
そしていまは、心配だ。
人の心配をしているような状況ではないのだが、クレスはいても立ってもいられなくなった。
「おい、誰か! 誰か――いないのか!」
格子の向こうに叫んでみる。他の個室に捕まっている酔漢だの掏摸だのの類から、うるさいと罵声が飛んだ。
「黙ってな、ガキ! 一晩勤めりゃおしまいだ。おとなしく眠ってろ!」
クレスの立場ではもちろん、明日になったら解放という訳にはいかないだろう。しかし、そんなことを叫び返しても仕方ない。
小悪党たちの苦情を無視して少年はしばらく叫び続けたが、犯罪者の要請に町憲兵が慌てて駆けてくるようなことはなかった。クレスは虚しくなっても、それを繰り返した。
リンは。
リンの、無事を知りたい。
やがて少年は声を涸らして、酷く咳き込んでしまう。
そのまま彼は格子にずるずるともたれかかり、自分の無力を呪った。
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