05 間違いに決まっている
ヴァンタンは知っていそうだったが、もう口を割らないだろうという気がした。取って返してあの青年を問いつめるより、ここで居座って、出てきた町憲兵に巧いこと尋ねるのがいちばんだ。少し計画を思いつくと、リンは編んでいた髪を解いた。夜風にふわりと金の髪がたなびく。
少年は幻惑草の取り引きでも目撃したのだろうか。リンはそんなふうに考えた。だが、それでは捕縛される理由にならない。町憲兵隊に注進に行ったとして、相手にされないことはあっても、捕まることは考え難い。
ならば、少年が相談をした町憲兵がとんでもない悪辣な人間で、取り引きを知っていながら賄賂を受け取って目こぼしをしているようなことがあれば。少年の目撃談など握りつぶし、嘘の容疑を作り上げてぶち込むというようなことをするかもしれない。
彼女はそういったことまで考えたが、自身ですぐさまそれを却下した。
アーレイドの町憲兵隊はかなり真っ当だという印象だ。昨日に出会った年嵩の町憲兵の言い様にクレスは憤っていたが、彼女の感性では理解できる。もっとも、クレスも理解はしているだろう。態度に腹を立てただけだ。
だが連絡先を残せと言うだけ、まだましだとリンは思っていた。そんなことを知らされたら面倒だから書くななどと言う町憲兵がいる街だってあるのだ。
どれくらいそうして考え込んでいただろうか。かちゃり、と戸の開く音がして、リンは答えの出ない思考の渦を断ち切った。ぱっと立ち上がると若い町憲兵が驚いた顔をしている。
(これは)
(あのときの男だな)
(――確か)
「
名札に書かれていた姓名を思い出して、リンは丁寧に呼びかけた。
「お願いです、クレスに会わせてください」
クレスが見れば目を瞠っただろう。女性らしさなどかけらもないと思っているリンが、いかにも参っているように弱々しく――そう、女性らしいしなまで作って、ラウセアに呼びかけたのである。成程、解いた長い髪はなかなかの演出効果を伴った。
「あ、あなたは」
「クレスの婚約者です」
こういうのは、臨機応変と言うものだ。友人はもとより、恋人よりも強烈な一語である。案の定、ラウセアは目をしばたたいた。
「彼が待ち合わせにやってこないので、探してみれば、こちらに捕らえられたようだと聞きました。彼が町憲兵さんに捕まるようなことをするはずがありません。何かの間違いです。会わせてください」
「あ、あの、クレスというのは、あの少年ですよね」
「ええ、そうです」
ラウセアの言葉はあまり質問になっていないのだが、リンはそこを突っ込むことはせず、大きくうなずいてみせた。
「あの、でも、彼は、とても大きな犯罪に関わっている可能性が」
「間違いです!」
当たり前だ。間違いに決まっている。リンは内心で断言した。
「サリーズさん、きちんと話をすれば、彼が何もしてないことは判るはずですわ。お願い、彼に会わせて」
くっ――と口元など押さえてうつむいてみれば、涙をこらえているように見える訳である。
「いや、でも、あの、ちょっと……何しろ、殺人ですし」
「さっ」
「あっ、いや、何でもないですっ」
取り繕っても遅すぎる。それはラウセアのみならず、リンも同様だった。驚きに口を開けてラウセアを凝視してしまい、嘘泣きの演技は続行できなかった。
「そんなはず、あるか――ありませんわ! どうしてクレスがそんなこと」
「婚約者、と仰いましたね」
「ええ、言いましたわ」
「となると……トルーディの推測をひっくり返すことができるかもしれない」
呟くと、ラウセアはじっと彼女を見た。
「お嬢さん。僕は、彼がやったとは考えていません」
というようなことをうかうかと話すのは町憲兵としてどうなのか、とリンは思ったが、もちろんそうは言わず、態度にも出さず、真剣な表情を保ってそれを聞いた。
「いまはまだ、彼も動揺している。明日になったら、話をします。面会は難しいかもしれませんが」
「どうしてですか! そんなのは……酷いですわ!」
「どうにかします」
ラウセアは言い切ったが、本来、彼にそんな権限はない。新米なのである。
「連絡先を教えてください。〈赤い柱〉亭でいいですか」
そう言えば彼女自身が、財布なり掏摸の子供なりが見つかるようなことがあればそこに、と届けに書いたのだった。舌打ちしそうになるのをこらえる。
「あの、町憲兵さん。このことは、〈赤い柱〉亭には」
「まだ報せていません。余裕がなくて」
ラウセアは答えた。それは本当だった。酒場の近くで少年を捕らえたが、トルーディはいちいち事情を説明する手間などかけず、クレスをここまで連行したのだ。目立ちはしたから、〈赤い柱〉亭の子供が町憲兵に連れていかれたという噂は立っているかもしれないが、事情までは通じていないだろう。
「言わないでいただけませんか」
「え? でも」
「冤罪です。決まってます。でも、こんなことが知れたら解雇されてしまう。そうなったら彼、すごく困ります」
「……どうにか、します」
ラウセアは了承した。何とも押し切られやすい町憲兵だな、とリンは呆れかけた。だが、言うことを聞いてくれそうだと安心してはいられない。これだとあの年嵩の町憲兵にも押し切られてしまう可能性が高いと思えるからだ。
「彼はあの場所で、とても頑張っているんです。給金が安定したら、結婚しようって。でもまだ見習いの段階で、あの店を解雇されたら行く先がないんです」
これくらいじゃまだ弱いかな、とリンは頭を巡らせる。
「彼、生い立ちが不遇で、あの酒場の人たちをようやく得た家族とも思っているんです。もしも彼が捕まったなんて噂が立って、店に迷惑がかかると思ったら、彼は自分から出て行ってしまう。そんな目に遭わせたくないんです」
これでどうだ、と思った。決して嘘ではないどころか、リンはクレスが語っていない心の奥まで言い当てたことになるが、彼女としてははったりのつもりだった。目論見通り、ラウセアの表情はますます真剣なものとなる。
「判りました。僕に任せてください」
頼りないけどな、とは胸に秘めて、リンは両手を祈るように組んで見せた。
「お願いします、セル・サリーズ。あなただけが頼りです」
とどめの一撃である。町憲兵としての自信を失いかけていた若者は、彼女の一言に力を取り戻した。
「明日の朝、いちばんでまたお伺いします。絶対に、クレスに会わせてください」
「わ、判りました」
取り戻した力も一
やっぱり頼りない、とリンは思ったものの、深く一礼をして町憲兵に背を向けた。
情報は、ここからはこれ以上得られまい。
ならば、次はどこか。
彼女はもうそれを考えていた。
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