04 ある意味では、とても安全なところ

 門前払いを食らわされて、リンは思い切り罵倒文句を口にした。

 いったいどうして、こんなことになっているのか。彼女にもさっぱりだった。

 座長との話を終えたときにはもう〈赤い柱〉亭は店を閉める頃で、彼女はクレスに謝ろうと酒場に向かったのだ。すると、少年は戻ってきていないと言う。

 クレスはこれまで仕事をさぼったことなどなかったが、女の子との初めての逢い引きラウンなら仕方がないかと店の人間たちは寛容に考えていたようだった。しかし、当のリンがクレスを訪ねてきたものだから、そこでようやく、少年の不在に首をひねったようだ。

 リンは嫌な予感がして、手持ちの品で何か使えるものはないかと考えた。いまは失せ物を探したって仕方がないし、自分に降りかかる面倒ごとを避ける粉にも意味がない。

 彼女は他にも幾つか「不思議な品」は持っていたものの、どれも現状でクレス少年を捜す役には立ちそうになかった。

 その代わり、彼女が思い出したのがヴァンタンのことだった。

 ヴァンタンとその妻がこなかったかとウィンディアにそっと問えば、店主の娘は首を振った。もしかしたらクレスはヴァンタンといるかもしれない、と適当なことを言うと、娘はヴァンタン夫妻が他に立ち寄りそうな店を何軒か教えてくれた。

 店でも人でも、慣れぬアーレイドの街で探すのは少し厄介だった。

 だが運よく見つけた一軒目で、運よく彼女はヴァンタンと行き合う。

「話がある」

 いきなり切り出せば、青年は戸惑ったようだった。

「クレスのことだ」

「……何だ。彼を振ったんじゃなかったのか?」

 返ってきた言葉はそれであった。リンは得たりと唇を歪める。

「やっぱり、何か掴んでるな。私がクレスと〈赤い柱〉に行かなかったことを知らなければ、出てくる台詞じゃない」

「鋭いねえ。お兄さん、感心しちゃうよ」

 男はおどけたように両手を上げて、口笛を吹いた。

「ヴァンタン」

 茶化すような物言いに、リンは片手を上げた。

「ごまかしは無しだ。あんたは、私たちにまっすぐ帰れと言った。あれは、日が暮れる前には家に帰りましょうなんて子供に言うのとは違った訳だ。あんたはあの一座の裏で、何が為されようとしていたのか、知ってる」

「知らないよ、生憎だけどな。知ろうとはしてる。でも、君の方が知ってるんじゃないのか」

「知らない。彼らとは一緒に移動をしてきたが、それだけだ」

「移動、ね」

 ヴァンタンは茶色い髪をかきむしるようにした。

「つまりは、また出て行く」

「――それが、何だ」

 ほのめかされた何かに、リンは眉根を寄せた。

図星レグルだな? クレスは、まあ、ご想像の通り厄介ごとに巻き込まれてる。だがそれは、俺たちが何とかする」

「『俺たち』」

「アーレイドの人間が、だよ」

 それがヴァンタンの回答だった。

「君は、この街を出ていく。ここには関わらない人間だ。いつかまたやってくるかもしれないが、いつになるやら、だな。その頃には街も人も変わっているだろう。おかしなもんは一掃されてるといいと思うが、ああいうのはこの世から消え去ることがないものなんだろうな」

「幻惑草のことか」

「しいっ。鋭いのは判ったから、そんなことを平気で言うな」

 ヴァンタンは泡を食ったように彼女をとめた。

「あんたは、何者だ」

「俺? 俺は善良なる、アーレイドの一市民だよ」

 ヴァンタンは肩をすくめた。

「俺自身と、愛する女と、いずれは産まれる子供のために、ここにはいい街であってほしい。俺が願うのはそれだけだ」

「ずいぶん、ご立派だな」

「いい台詞だろ?」

 リンの皮肉がこたえないかのように、ヴァンタンは片目をつむった。

「善良なる一市民が関わるような事柄とは思えないんだが」

「俺は善良すぎるんだよ。町憲兵にでもなればよかったかな」

「町憲兵」

 彼女はまたも繰り返した。

「何故ここで、町憲兵なんて名称が出てくる」

「ん? 自然な流れじゃなかったか?」

「あんたみたいな下町の人間は、町憲兵とやり合うことが多い。そちらは生活のために法の目をぎりぎりでくぐり抜けようとするし、向こうは何でもかんでもしょっ引くからだ。なのにあんたは、町憲兵に信を置いてるな」

「うーん、お嬢ちゃんセラ。君、魔術師リート?」

 ヴァンタンは顔をしかめたが、いくらかわざとらしかった。

「参ったなあ。俺は余所の人間を巻き込みたくはないんだ。この街の問題はこの街で解決したい」

「余所から持ち込まれる問題はどうする。あんたも今日の公演を見たんだろう。何か思うところはなかったか」

「……まあ、ありゃあまずいなあとは、思った」

「だろう。私は、あれはやるなと言ったんだ。だが、ジェルスは聞かなかった。私にも責任がある」

「馬鹿言うな。座長の決めたことは、一座の問題だろ。君は一座の人間じゃない」

その通りアレイス。だが、ああいう使い方をする可能性については、考えついていた」

「自分に厳しいんだなあ」

 ヴァンタンは困った顔をした。

「クレスのことも、自分の責任だと思ってるんだな?」

「――ああ。私がろくに説明もせずに姿を消したものだから、彼は気にしたんだ。考えるべきだった」

「そう厳しくするなって。心配しなくていい。彼はある意味では、とても安全なところにいるから」

 ヴァンタンは少し顔をしかめて、そう言った。

「安全? それじゃやはり、何か危険なことに遭ったんだな」

 リンは詰め寄った。

「私を待って、何か見てしまったのかもしれないと思った。それで、逃げているのかと」

「逃げらんないけどな」

「判った」

 リンは話題を打ち切ることにした。ヴァンタンは安堵した顔をする。

「そうか、判ってくれたか。クレス少年のことは俺に任せて――」

「のらりくらりとかわしたつもりかもしれないが、私は『判った』と言ったんだ。とても安全で、そこから逃げられない場所。教えてくれて助かったよ、ヴァンタン」

「お、おい」

 リンの鋭さを甘く見たか、とヴァンタンが慌ててももう遅かった。彼女はきっちり町憲兵隊の詰め所、そこに捕らわれているのだとまで予測をつけ、その足でそこに向かったのだ。

 どういう理由でクレスがそこに捕まっているにしろ、面会は許されるはずだった。

 だが、少しばかり、時間が遅かった。

 少なくとも表向きにはそう言う理由で、リンは門前払いを食らわされたとそういう訳である。

 クレスが聞けば意外に思うであろう、なかなかに豊富な罵倒をひと通り町憲兵に対して行うと、リンはその場にどっかりと座り込んだ。

 少年の居場所は判った。

 ならば、次には何をするか。

 〈言渡しの護符〉をジェルスから奪って、片方をクレスに渡しておけばよかった、と彼女は悔やんだ。そうすれば離れていても、魔術師のように〈心の声〉を交わせたのに。

 だが、やらなかったことを悔いても仕方がない。リンはそういった直接的な魔術の品には興味がないのだ。こんなことになるなどと思わなければそんなものには手を出さないし、〈予知者ルクリードだけが先に悔やめる〉もの。後悔に意味はない。

(まずは)

 と、彼女は考えた。

(クレスの容疑を知ることだ)

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