03 余計な感傷
沈黙が流れた。
蝋燭の芯が燃える音と、紙に筆を走らせるかすかな音だけが、狭い部屋に響いている。
トルーディの手が動いていてラウセアのそれが止まっているというのは、なかなか珍しい光景だった。
「……何だ。まだ、上がらないのか」
不機嫌そうに年上の町憲兵は言った。
「だって……信じられなくて」
「あのファヴとやらは、お前が話をした踊り子だったようだな」
「ええ、そうです。まさか、殺されるなんて」
「お前を誘ったように、ガキを誘ったんだろう。おそらく、初対面じゃない。以前から交流があったんだ。だが金払いが悪かった。もうガキとはつき合えないとか女が言うのに逆上して、刺したんだろう。よくある話だ」
淡々とトルーディは言い、ラウセアはそれを軽く睨んだ。
「どうしてそんなに、何でもないことのように語れるんです」
「お前と一緒になって衝撃を受け、お気の毒にと涙でも流せばいいのか? ふざけるなよ、これは俺たちの仕事なんだ。酔っ払いの喧嘩、痴情のもつれ、死人が出るのは珍しい話じゃない。いちいち感情移入してちゃ身が持たないんだよ」
「そういうことを言っているんじゃないです」
「それじゃ、どういうことを言ってるんだ」
「まだ子供なんですよ! 子供が……あんなことをするなんて」
クレスの捕縛の場には、彼も一緒だった。トルーディの指示通りに動き、先輩町憲兵が少年を捕らえるのを見守った。だが、クレスがまだ成人するかしないかの子供であるということに、ラウセアは動揺をしていた。
「ガキだろうが何だろうが、殺しをやらかしたことに変わりはない」
「やっていないと、必死だったじゃないですか!」
「どこからどう見たってあのガキの仕業じゃないか。お前はまた、縄がきついと言われてそれを緩めるのか?」
痛いところを突かれてラウセアは黙った。
「あのガキの仕業じゃない、とでも言いたいのか」
「判りません。確かに、彼がやったようにしか見えない」
宿の人間は、ファヴとクレスが一緒にいたことを認めた。落ちていた小刀はサトスの店の袋と共にあり、サトスはそれをクレスに売ったことを認めた。
逃亡をしたのだって――やましいことがなければ、何故逃げる?
「だろう。つまりはそういうことだ。早く、報告書を上げろ」
「待ってください。彼が落ち着いたら、きちんと話を聞きたい」
恐慌状態に陥って逃げてしまうということは、あるかもしれない。断定をせずにしっかりと話を聞き、そして考えたい。ラウセアはそう主張した。
「そんなのはあとでいい。まずは第一報だ」
熟練の町憲兵は卓をとんと叩いた。
「いいか、あれが狡賢いガキなら、落ち着くまでの間に作り話を考える。一緒にいたあいつから何か入れ知恵されてるかもしれない。となるとお前のことだから簡単に騙されて、『彼がやったようにしか見えない』現状を忘れちまう。それじゃ拙いんだ」
諭すような声音で、トルーディは続けた。
「いまは感情を排して、ただ目に見えて判っている事実を書き留めておけ。曖昧なものではあるが、印象や感じたところも書いていい。そうすれば、あとでガキの供述との矛盾点が判る」
それは見事に、理に適った指導であった。ラウセアは渋々と、重い筆を動かしはじめる。
「お前、覚えてるか」
またも降りた沈黙を破ったのは、またもトルーディだった。
「クレスってのは……あんときの、ガキだな」
「あのときって」
ラウセアは目をしばたたいた。
「つい昨日じゃないですか」
もちろんトルーディは、昨日、ラウセアが詰め所の入り口にいたときにあの少年がやってきた話をしているのに違いない。青年はそう考えた。
「
少し責める口調で言ったが、トルーディは意外にも反論してこなかった。その代わりに、珍しくもトルーディは躊躇うようだった。
「俺が言うのは……いや、いい」
「何です」
言いかけてやめるなんてトルーディらしくない。ラウセアは気味が悪い感じがしたが、年上の町憲兵は黙っていた。仕方なく、ラウセアが続ける。
「あんなふうに町憲兵に届けにきて、あなたに真っ向から正論を投げつける子が……あんなふうに刃物を用意して女性を刺し殺すなんて、僕にはとても」
「信じられない?」
馬鹿にするような調子でトルーディは先取りした。
「甘いことばかり言うな。やったことはやった。刃物については、最大限に好意的解釈をして、たまたま持っていたんだということにしてもいい。だが、あのガキは刃物を持っていて、それを取り出して躊躇なく女を刺した。腹に胸に、何ヶ所だって?」
「六ヶ所です」
ラウセアは気分が悪くなるのを感じながら答えた。
「そう、六ヶ所。我を失って何度も刺したとするには、きっちり急所も押さえてあった。同情に値するかどうか、その事実と一緒に考えるんだな。仮に、あの女がどんな非道な女狐だったとしても、事実は変わらん。殺したくなるほどの悪い女に引っかかってお気の毒でしたね、とでも言ってやるか?」
「そんなことを言うつもりでは」
ラウセアは困惑した。
その冷酷で残虐な様子はあの子の印象と相容れないのだ――など、トルーディが聞いてくれるとも思えない。
「余計な感傷は入れるなよ」
それを見越したかのように、トルーディは告げた。
「感じたところを書いていいとは言ったが、それは感傷と違うからな」
「判っています」
「そうは思えないから、言ったんだ」
トルーディは立ち上がり、自身の書いたものがまだ乾ききらないのに舌打ちをして、伸びをすると部屋を出て行った。ラウセアはそこでまた、筆を止めてしまう。
(――違う、俺じゃない!)
トルーディに押さえ込まれながら、少年は本当に必死だったように見えた。
(気がついたら、あの部屋にいたんだ。面識なんかない、本当だ!)
(あれは、お前のだな?)
ラウセアが手にした小刀を示してトルーディが問えば、少年は黙ったあとで――うなずいた。
そこが、ラウセアには引っかかるのだ。
否認をするならば、それも違うと言いそうなもの。
少年は本当のことを言っているのではないか、という気がした。
そうであるならば、ファヴを殺した人間は他に存在すると言うことになる。そうであるならば――。
(呑気に報告書なんか仕上げている場合じゃない)
少年に罪を着せ、何者かが影で笑っている。
そんなふうに思い、だが、そんなのは「お話」のようだとトルーディに馬鹿にされそうな気がした。
(町憲兵を辞めて
思わず、吐息が洩れた。自分はやはり、町憲兵に向いていないのだろうか。
(うん?)
(町憲兵を辞めて……物語師に)
どこかで聞いた言葉だと思い、先に必死で少年をかばおうとした男のことを思い出した。朝方、彼がからかうようにトルーディをそう評したのだ。
(何て言ったっけ)
(確か……)
(ヴァンタン)
町憲兵隊の手から幾度も無実の人間を救った――という考え方は、町憲兵である彼にはとても皮肉なものだったが――らしい男。その彼が、クレス少年をかばおうと懸命になっていた。
それもまた、引っかかる。
「おい」
野太い声が戻ってきて、ラウセアはぎくりとした。
「また筆が止まってるな。やる気がないのか」
「そういう訳じゃありませんよ。考えがまとまらないんです」
「考えるなと言ってるんだ。感傷を書いちまいそうなら、事実だけを書き留めろ。いまはそれでいい」
「事実だけを書いたら、どう見たって彼がやったようにしか」
「だからそれが事実だ、という結論にどうしてならないんだ?」
呆れた口調でトルーディは言い、どん、と卓に何かを置いた。
「……何です」
「見て判らないか。茶だ」
「……淹れてきてくれたんですか」
「自分のを淹れたついでだ」
悪い人ではないのだ。本当に。
言い合いはするが、そのことはよく判っている。
ただ、ラウセアとトルーディは、同じものを見ても違う考え方をする。それだけ。
(でも)
(その『それだけ』が――)
とても重要かもしれなかった。
考え込むラウセアにトルーディは嘆息して、第一報の大切さを再び説明しはじめた。ラウセアはそれを聞きながら、やはり少年に話を聞きたいと思った。
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