02 落とし物
「町憲兵にとって匿名の情報提供者ってのは珍しくないらしいが、それにしたって妙に詳しい。俺はファヴのことも知ってるんでね、気になって連中の先回りをしたんだ。客室が二階にあることは判っていたから、どうにか上って窓からのぞいた。そうすれば、お前さんが呆然と立ってる。こりゃ、間違いなくはめられたなと知って、逃がすことを考えたんだ」
青年はそんな説明をしてきたが、クレスは判らなかった。
「はめられたって、何で。誰が、そんな」
「それは俺よりお前さん自身の方が判るんじゃないのか」
ヴァンタンはもっともなことを言った。
「どうしてあの宿にいた? 俺はまっすぐ帰れと言ったじゃないか」
「……リンが」
「リン?」
ヴァンタンは眉をひそめた。
「彼女と宿に?……お前たち、最初の
「そういう関係って……ち、違うよっ!」
成人を越した少年としてはいまひとつ理解が遅かったが、一
「公演のあと、リンが険しい顔をして、どっかに行っちまったんだ」
そこで彼女を待とうとしたこと、裏の幌馬車で不穏な話を聞いたこと、気づかれ、捕まって殴られて、気がついたらあの部屋にいたこと、それをクレスは正直に語った。隠すことなどない。
「幻惑草、か」
話を聞いたヴァンタンは顔をしかめ、そっと厄除けの仕草をした。
「やはりな」
「何か、知ってるのか」
その反応に、クレスは驚いた。知っているというほどじゃないが、とヴァンタン。
「公演の前にファヴを見かけたんで、話をしたんだ。儲け話があるなんてはしゃいでた。何となく嫌な感じがしたんだが……聞き出しておけば、よかったな」
クソ、とヴァンタンは罵りの言葉を吐いた。
「俺が聞いた声の主が、そのファヴだって?」
尋ねれば男はうなずいた。
「十中八九、そうだろうと思う。そのもうひとりの男は、金を欲しがる彼女を邪魔に思ったんだ。そこに〈
それがヴァンタンの推測であるようだった。クレスは絶句する。
「そんな……俺」
「運が悪かったな。だが、ツキのなさはここまでだ」
少年を安心させるように、ヴァンタンは肩を叩いた。
「お前が誰であるかなんて、窓からちらっとのぞいたくらいじゃ町憲兵には判らなかっただろう。早く〈赤い柱〉亭に戻れ。ウィンディアに頼み込んで、部屋で寝込んでいたことにでもしてもらうんだ。そうすれば、万一お前のところに捜査の手が行っても当座は何とかなる」
全く思いもかけない展開に、少年は呆然としていた。
問題ある話を知られたからと言って相手を陥れたり、殺そうとする、そうした物騒な思考はダタクたちがよく行ったものだ。だから、その話の流れ自体には衝撃を受けたりしない。
ただ、その対象が自分であるということ、それは彼には初めての経験で――たいていの人間には滅多に起こらないことであろうが――クレスには実感が湧かなかったのだ。
「いま……何刻?」
「そろそろ、暗の刻が終わるかな」
ヴァンタンは十一番目の刻限の名称を口にした。クレスは驚く。
「じゃ、もう、店が閉まっちまう」
「
「リン」
少年ははっとなった。
「あいつ、〈赤い柱〉にきたかな」
「何だって?」
ヴァンタンは顔をしかめる。
「彼女がきてたら、お前と一緒にいたことになる相手がいなくなっちまう。俺……じゃ問題があるなあ、町憲兵隊に顔見せたし」
男は考えるようにした。
「最悪、アニーナに参加してもらおう。事情を話せば、乗ってくれるはずだ」
それは確かヴァンタンの妻の名であったんなとクレスも思い出した。だが少年は何も、自分の不在証明をくれる相手がいないことを案じたのではない。
「あいつ、あとで行くって言ったけど……行けないかもなんてことも口にした」
少年は思い出す。
「もし、リンの方でも何か面倒なことになってたら」
冷静な彼女が座長を罵って駆けていった様子を思い出すと、急に不安になった。
「ヴァンタン、もしリンが酒場にきてなかったら――」
きていなかったら、どうすると彼は言おうとしたのか。或いは、ヴァンタンにどうしてほしいと言おうとしたのか。
何であれ、その続きは発せられなかった。
彼らの足は、〈赤い柱〉亭を目前にしてぴたりととまる。
「お早い、お帰りだな」
暗がりからすっと姿を見せた男がそう言った。ヴァンタンはクレスの腕を掴むと、すっと前に出る。
「トルーディ旦那。それに、ラウセアだったな。どうしたんだい、こんなところで。町憲兵隊はいま、大騒ぎじゃないのか」
「ああ、大騒ぎだ。現場から逃げ出したガキを追いかけてな」
「……ふうん、それじゃあんたらは、さぼってるのか」
「とんでもない」
ビウェル・トルーディは、くいと顎をしゃくった。白い顔をして、ラウセア・サリーズは手にしていたものをゆっくりと彼らの目の前に示す。
「落とし物を渡しにきたんだよ、クレス少年」
それは、血にまみれたままの――あの小刀であった。
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