07 どうしたものか

 さてどうしたものか、と男は両腕を組んで考えた。

(クレス少年のことは、トルーディ旦那に任せるしかないな)

(連れていかせまいと頑張ったが、所詮、俺はただの一市民で旦那は町憲兵だ。権利も腕力も、向こうの方が上)

 トルーディは強引ではあるが、明らかに何かおかしい点があったとき、それに目をつむってまで犯罪者と断罪することはしない。彼だって、不自然に詳しすぎるあの密告については不審に思っているはずだ。だが、少年の小刀というはっきりした証拠がトルーディを動かした。

(状況は悪いな)

 宿屋の一室。男と女。死体と刃物。条件は揃いすぎている。

(まあ、宿屋の主はどう考えたってグルなんだが)

 ファヴが意識のない少年を抱えてきたとは思えない。他の男、つまりファヴを殺した真犯人がクレスを運び込んだのだ。そんな不自然な状況もない。宿の人間は何かしら知っているはずだ。

 だが金を掴まされたか、はたまた脅されたか、嘘をついている。どんな事情がそこにあるにせよ、主人を締め上げることは可能だろう。トルーディがやってくれればいいが、クレスを犯人だと思っている以上、これ以上の手間はかけまい。

 自分がやるしかないかな、と思ったが、凄みを利かせるにはヴァンタンの顔は柔和な方だったし、巧くいかないような気もした。

(ファヴ)

(気の毒にな)

 ヴァンタンは追悼の仕草をした。彼女は春女の真似事もするようなな踊り子ではあったが、決して悪党ではなかった。アニーナと出会うより以前、正直、彼も一度だけになったことがある。

 金に目が眩ませたファヴが何をしたのだとしても、まさか自分が殺されるとは思っていなかっただろう。

 哀しくて、痛ましい。どうして彼女がそんな目に遭わなければならなかったのか。

 ヴァンタンはもちろん町憲兵ではないし、このような事件に首を突っ込むには、トルーディがラウセアに評した如く、素人だ。

 だが放ってはおけない。ファヴのこともあるし、幻惑草の害は、彼の暮らす下町でこそ被害甚大なのだ。

 非道な売人は習慣性を理解していて、初めの内は低価格で売る。生活の苦しさから、気持ちだけでも楽になりたいと、一度だけだと手を出す。一度が二度、二度が三度、気づいたときにはもう遅く、尻の毛までむしり取られているという寸法である。

 前回のときはそれほど酷くはびこるより先に町憲兵隊が活躍をしたが、次には判らない。入り込む前に、とどめたい。そう思っている。

 彼は、リンに言ったように、本当にただの一市民である。

 それもどちらかと言うと下層の生活をしていて、妻とふたり、その日暮らしだ。

 もう少しよい仕事にありつけたら安心して子供が作れるのだけれど、いまの状況で家族をひとり増やしたら、一家共倒れだ。妊娠をしたらアニーナはいまのように給仕をして働くのが難しくなるのだから、彼がいまの――最低でも三倍は稼ぎたいところなのである。

 しかし、それだからと言って裏の仕事にだけは決して手を出さなかった。

 そうすることで楽な暮らしができたとしても、妻と、まだいない子供に顔向けできなくなることだけはしたくない。

 それでも――それと一家共倒れとどちらがいいかと言うと、難しいところではあった。

 ともあれ、少なくともいまは、後ろ暗いところなどない。いや、多少はなくもないが、町憲兵に追われたりするようなことではない。厳密に言えば犯罪だが、それを咎めて捕らえていれば留置場が街と同じ広さを必要としかねない、誰でもついやってしまうような、ささやかなことだ。

 ヴァンタンの日々の仕事は特定の商家の間で品を運び、客に注文品を配達する、街中を走り回るものだった。商家専属の配達屋バイリーンである。

 これは朝市で並んで仕事を得るよりずっと割がいい。仕事がない日というのは基本的にないし、固定給ももらえるからだ。

 その代わり、自由がいささか利かない。時間は縛られる。

 ヴァンタンの勤める〈エルファラス商会〉は客層が幅広く、そうなると配達を続ける内に彼の顔は広くなった。配達屋であれば誰もがそうだということはなく、ヴァンタンの話好きが人脈を広げるのであるが、それはトルーディの指摘した通り、何にでも首を突っ込んでいく悪癖も育てた。ヴァンタンは人が困っていると放っておけないのだ。

 と言っても単純なお人好しでもなく、つけ込まれて騙されるようなことはない。下町暮らしで培った観察眼は、なかなかのものだった。

 配達先は東西南北、どこにでもあった。

 現実的には、貧乏人が多い南区などでは配達料金を払ってまで何か運んでもらおうという人間はいなかったから、そちらの方面へ仕事で行くことは滅多にない。だが彼自身がその南区で暮らしているから、もとより庭だ。その一方で北の高級な一角に足を踏み入れることもある。

 「お貴族様」などは荷物を自家の使用人に運ばせるから、立派な館に彼のような庶民が立ち入ることはないものの、意外と城になどは需要があったりする。もちろん王様王妃様にお届け物をするのではなく、城内で暮らしている使用人たち宛てであったが、ヴァンタンは城へ行くのは面白くて好きだった。同じ街のなかにあり、城壁で区切られているだけなのに、あそこは別世界だ。

 もっとも、本当の意味で「城内」に入ったことはなく、指定された場所に荷を置くだけだ。

 それでも通常は、かなり自慢の種と言うか、言うなればになるところだ。酒場で尾ひれをつけて吹聴するにはよい材料という辺りである。と言ってもヴァンタン自身は、あまりそういうことを言いふらさない。よい配達屋であれば、客先のことなど洩らさないものだからだ。

 そうしてあちこちをうろうろしていると、彼はいろいろな話を聞いた。

 幻惑草。

 そう呼ばれる違法の薬品は、以前から存在した。

 町憲兵隊は厳しくそれを取り締まったから、出回るのはごく一部だけだった。主には港付近で、船乗りマックルが少し持ち込んで、その場で彼らの身内だけが楽しんで、中毒にならない程度に嗜むという、幻惑草の摂取としては理想的――などという解釈ができるかどうかは、人それぞれだ――なものである。

 それが、半年前に西街区全体に出回りかけ、ちょっとした騒ぎになった。それを持ち込んだ隊商はひとり残らず捕まったし――こき使われていた子供は、別だ――町憲兵レドキアのみならず城内からは軍兵セレキアまで出てきて、かなり強引な調査もした成果か、裏街にはびこりかけた危険な薬は根絶やしとなった。

 乱暴と見える調査は必要でもあったが、無実の人間まで追い詰められたこともあり、あのときもヴァンタンはトルーディとやり合った。

 配達先の顔馴染みから、娘が薬粉を買っている疑いをかけられたと相談を受けた。「素人」の彼が少し調べてみただけで、それは彼女ではなく彼女の恋人のことだったと判ったのだ。結果的には彼女は無実、男が捕縛されて罰を受け、薬は残らず一掃されて片がついた。

 だが最近、奇妙な噂が立っていた。あの手の薬がまた出回るようになる、と言うのだ。

 〈森椿〉通り付近の踊り子たちからそんな話を聞いたヴァンタンは、気になってあちこちをうろついていた。余所からの一団に気を使い、ジェルスの芸人一座トランタリアを気にかけた。

 ヴァンタンはトルーディと違い、「余所者は厄介を引き起こす」などとひと括りにして嫌な顔はしない。だが、魔術師の一団と知って、見ておこうと思った。そうすればトルーディとかち合って、向こうもまた警戒していることを知らされた。町憲兵隊に注進があったなどという話もある。

 実際のところ、一座が本当に怪しいかどうかは、一日二日では判らない。

 とりあえず公演を見てみるかと出向いてみたところ、彼の気にかかったのは――あの煙だった。

 吸うと、少しぼんやりした感じになったように思う。不思議な雰囲気に酔ったようになったのかとも思ったが、あとには魔術の一種ではないかと思い、幻惑草のことにも思い至った。

 アニーナとの食事の約束をうやむやにし――あとで何を言われるか――トルーディと話をしようと町憲兵隊に出向いたのだ。そこで、あの密告の話を耳にした。

 現状では、もっとも気にかかるのはクレスのことだ。

 これまであの少年と面識はなかったが、ウィンディアはアニーナのみならず彼の友人でもある。クレスはその弟みたいなものであるから、話は聞いていた。トルーディは、見た目から受ける印象ほどには暴力的でも独断的でもないが、少年が否認を続ければ――当然、認めないだろう――何をするか判らない。

 先にリンに言ったように、現在はある意味、非常に安全だ。

 誰が彼を陥れたのであれ、ご丁寧に町憲兵まで自分で呼んで、これ以上は手が出せないところに少年を送り込んでしまったことになるからだ。

 だが、あんまり悠長にもしていられない。痴情のもつれからの殺しという判断になれば、そう大仰な裁きが行われる訳でもない。役人は有罪か無罪かを決めるのではなく、どういう罰を与えるか、それを決めるだけだ。

 実質的に、町憲兵隊が下した判断が、そのまま決定になるのである。

 リンという少女には余裕のある顔をしてみせたが、あの子はあの子で頭がいいし、おそらくいまごろはクレスの容疑についても知っているだろう。となると、絶対にくちばしを突っ込んでくる。

 トルーディがヴァンタンの手出しを苦く思うように、ヴァンタンはリンの参戦に頭痛がしそうだった。

「飲みすぎなら、〈時遅らせの守り札〉をやろうか。翌朝、快調に目覚められる」

 声をかけられて、ヴァンタンは振り返った。

「但し、翌々朝には二日酔いならぬ三日目酔いということになるが」

「……リンか」

 考えていた当の相手を目前にして、ヴァンタンは嘆息した。

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