07 ここにいていいんだ
それから、足を棒にして各所を巡ってみたものの、結局、最初に得た以上の情報も手に入らなければ、
陰る
「俺はもう、酒場に戻る。財布のことは、きちんとバルキーに言うよ」
「それじゃ諦めるのか」
咎めるような口調に、クレスは首を振った。
「失敗が帳消しになればいいと思った。でも、俺にはやることがある。それを放り出したら、財布を取り戻しても……何て言うのかな」
少年は頭をかいた。
「違う失敗をしてることになると、思う」
あまりまとまらない言葉で考えを口にした。ふうん、とリンは呟く。
「成程ね。でも私が言うのはそうじゃない。今日は仕事をして、明日はどうするか、と訊くつもりでいたんだ」
「え?」
クレスは口を開けた。
「明日って、それじゃまだやる気なのか?」
「私の目的をもう一度最初から話すか?」
「覚えてるよ。〈何とかの鏡〉だろ」
信じ難いが、当人の説明がそれだったことは忘れていない。
「〈失せ物探しの鏡〉。探す手がかりにはならないんだから、いまひとつの名前だとは思うが」
リンは肩をすくめた。
「もう見つからないと思うなら、いい。私がひとりで勝手にやる。その上で見つかったとしても、あの町憲兵の言うように中身は空だろう。それでもよければ、袋だけは届けるか?」
「何、言ってんだよ」
クレスは戸惑った。リンの動機については、真偽はともかく主張を理解していたつもりだった。だが、当のクレスがもういいと言ってもひとりで続けると言う、これは予想外だった。
「俺の他に、失せ物をした人間を探したらいいんじゃないか?」
クレスは提案した。リンは首を振る。
「もっと厄介な失せ物に出会うだけかもしれない。人を亡くした、というような話であれば、目視では確認のしようがない」
「確認って」
「別にいいだろう、私がお前の財布を探したって」
リンは真顔で言った。確かに、クレスには何も問題がないように思える。
「答えをくれ。袋が見つかったら、要るか?」
「要る……けど」
「けど?」
「なら、俺もまた明日、一緒する」
少年は言った。若者は片眉を上げる。
「どうして」
「それはむしろ俺の言うことだろ」
クレスは呆れた。
「そっちの理由はそっちの理由だし、俺はそんな鏡なんか信じないけど」
「魔法嫌い、という訳か」
「魔法?……って、何だ?」
聞き慣れない言葉に少年が首を傾げれば、リンは苦笑のようなものを浮かべた。
「一言で言えば、『不思議なもの』だな。もっとも」
あれは厳密に言うと魔術とは違うんだが、などと呟きが続いたが、やはりクレスには意味が判らなかった。
「とにかくさ」
少年は言う。
「俺のもんを探してくれるってのに、じゃあよろしくと放っておけるかよ。あんたがやるなら、一緒にやる」
「了解。それなら、そうしよう」
リンはにやっとした。それはリンが昼間に連発した愛想のよいものとは似ても似つかない、皮肉っぽい感じがするものだった。
だがクレスは嫌な印象を抱かなかった。リンが見せてきたこの笑みは、打ち解けてきた証のように思えたからだ。
お帰りなさい、という呼びかけは、半年前はくすぐったい気分だった。だがいつしかそれにも慣れ、クレスはウィンディアに向かってただいまと返事をした。
クレスより少し上のこの娘は、店主兼料理長の娘にして〈赤い柱〉亭の看板娘だ。
「お釣りは?」
「ああ……これ」
いささか不自然であったかもしれないが、クレスは手に握っていた小銭をそのままウィンディアに差し出した。
「ご苦労様」
特に彼女は不審に思わなかったようだったが、クレスは何だか気が咎める。ひとつには、彼女の刺繍してくれた財布をなくしてしまっているということ。もうひとつには、何とも気前よくリンが金を貸してくれたということ。
財布が見つかれば返せるが、見つからなければ返せない。リンは見つける気満々でいるから、返されないことなど考えていないのかもしれないが――いや、リンにはどうにも知的な感じがある。希望だけを抱いて現実を見ないという性格ではなさそうだ。
となると、自信があるのか。それともやはり金持ちの坊ちゃんで、貸した金が返ってこなくてもかまわないのか。
もっとも、旅をしているという話を信じるとすれば、少なくともアーレイドのお坊ちゃんではないということになる。情報屋がどうとか、町憲兵隊は信用ならないとかは、あまりよい生まれの若者が言いそうなことではない。おかしな鏡だかに興味を持つと言うのも、金持ちの道楽とも考えられるが、自分の故郷から外に出てまでとなると常軌を逸している。少なくとも「道楽」では済まない。
たぶん、リンは自分で言っている通りの人間だ。クレスはそう思った。
旅をしていて、今日アーレイドにきたばかりで、不思議な鏡を持っていて、それの効用だかに興味があって、クレスの財布を見つけるつもり。
「あ、ウィンディア。あとで俺の友だちがくるって言ってたから、きたら教えてくれるかな」
「あら珍しい。いいわよ。席も取っておく?」
「いや、そこまでしなくていいよ」
〈赤い柱〉亭はそこそこ人気のある店だが、毎日必ず満席になるというほどでもない。リンがやってきて座れないということもないだろう。
だがもしそんな盛況になったら、雇われ人の友人よりも他の客を優先したほうが店のためになるはずである。しかしウィンディアは、そうは言わない。この辺りの気遣いが、この酒場の人間関係を円滑にしていた。
「そう? でもクレスの友だちなら、おまけつけてあげちゃおうかな」
「バルキーが目くじら立てるから、やめといた方がいいよ」
いたずらっぽく言えば、バルキーの娘は笑った。
「父さんにも困るわね。私を大事にしてくれるのは嬉しいけど、これじゃ恋人も紹介できないわ」
「……やっぱ、恋人いるの?」
「もしできたら、よ」
ウィンディアは澄ましてかわした。
「お喋りで引きとめたら悪いわね。父さん、さっき言ってたのよ。そろそろ、クレスに少し作らせてみるかって」
「ま、まじ? 今日、魚だろ?」
自分が運んできたのだから、よく判っている。
クレスの仕事は主に下拵えと掃除だ。営業中は火の加減を見たり煮物が焦げ付かないように混ぜ合わせたりするが、その程度である。小さく切った肉や野菜などは焼いてみろと言われたこともあるが、魚は身が崩れやすいし焼き加減も難しいからと、まだやらせてもらったことがなかった。
「今日って意味じゃないかもしれないわね。でも近い内にきっと言ってくるわよ」
ウィンディアはそう言うと片目をつむり、クレスを奥へと促した。
少年は妙な緊張感を覚えながら前掛けを身につけて手を洗い、厨房へと入る。そこはもう下準備の真っ最中で、クレスはまず、遅れてごめんと挨拶をした。
「なあに、時間を忘れちまうほどの友だちがいるのは悪いことじゃない」
バルキーは彼の方をちらりと見ると、そう言った。少なくとも店主の機嫌は悪くないようである。
「完全に忘れなければ、だろ」
「出勤日に
厨房の者たちが茶化すように言う。店主は鼻を鳴らした。
「そりゃ当然だ。女にうつつを抜かして仕事を忘れるのと、競い合える友人と切磋琢磨するのは全く違う話だからな」
「へえ」
「成程ねえ」
彼らは相槌を打ちながらも、バルキーの適当な台詞だと笑っていた。
「お前たちも、競い合って腕を上げろ。クレスに負けてるぞ」
店主は説教するかのように言っい、クレスは何だか少し頬が熱くなるのを覚えた。
この〈赤い柱〉亭で調理を担当するのはバルキーの他にあとふたり。厨房自体はそれで充分に回るが、クレスが雑多な作業を手伝うようになるまでは、細かい間違いが連発していたらしい。ちょっとした調味料や香辛料をどこに貯蔵していたか判らなくなったり、替えがあったのに買ってきてしまったり、逆に替えがあると思い込んでいたら棚は空だった、という類のことだ。
以前にクレスのいた環境では、何かを要求されればすぐさま応じないと文字通り痛い目に遭うことになったものだから、彼は工夫に余念がなかった。どこに何を置いているか一目で判るように配置をしたり、在庫を切らさないよう数字を書き入れたりしたものだ。そういった小技がこの〈赤い柱〉亭では大いに役立ち、少年は「気が利く」と評されていた。
それにしても「クレスに負けている」は冗談がきつい。他のふたりに発破をかける意味だろうと判っていてもくすぐったい。
嬉しかった。世辞や、引き合いに出されただけにすぎなくても。
褒められること。認められること。
少年は嬉しかった。
自分がここにいていいんだと――ここが自分の居場所であると思えることが。
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