06 戻らんと思え

 リンは培った経験によるのか、はたまた勘によるのか、上手に情報屋を見つけ出した。渋ることなく銀貨ラルを払い、この付近をとしている掏摸の子供たちについて幾人か聞き出した。

「ここで、町憲兵隊レドキアータだ」

 そう言うとリンは、クレスを見る。

「お前は、何か後ろ暗いことはあるか?」

「な、何だよ、それ」

「もし犯罪歴があるようなら、町憲兵レドキアはお前を色眼鏡で見るだろう。そういう心配はないか、と言ってるんだ」

「ないよ」

 クレスはむすっとして言った。犯罪歴があるように見えたのだろうか。

「拗ねるな。町憲兵連中ってのは、何でもかんでも怪しいとして引っ捕らえたがるものだ。冤罪なんて山のようだが、連中は気にしない。私も嫌な思いをしている」

「リンが? 何、やらかした訳」

 彼が驚いて尋ねると、若者は顔をしかめた。

「奴らは、私みたいな存在を流れ者と言って嫌う。余所から厄介を持ち込み、それを撒き散らして去っていくとね」

「ふうん」

 流れ者だの余所者だのという言い方をされていたダタクの隊商を思い返したクレスは、ああした奴らであれば厄介を持ち込むというのはぴたりと合っているような気がした。

「何もしていなくても、余所者というだけで疑われることは珍しくない」

「俺は、そうでもなかったよ」

 クレスはそう言って、犯罪集団のなかにいて摘発を受けたが、この少年は関わりがないと認められて放免された過去を話した。リンは片眉を上げる。

「目のいい町憲兵レドキアがいるんだな。その人に話をしてみるか」

「……でも、すごく親切って訳でもないよ」

 クレスは遠慮がちに言った。

 罰せられなかったことを思えば感謝の対象だが、その町憲兵は、右も左も判らなかった彼をそのまま街に放り出したのである。バルキーに出会わなければ、クレスは食うために盗みか何かやったかもしれない。そうなると、あの町憲兵は犯罪者をひとり作り出したことになるのだ。

 もっとも、少年自身はそんなふうに考えなかった。ただ、バルキーがそう言ったのだ。町憲兵連中は頼りになるんだかならないんだか判らない、とか、捕らえたら終わりで乱暴だ、とかいうのは、町憲兵に対する一般的な評価だ。

「そうか。だが曲がりなりにも王城都市だ。綱紀保持はそれなりにしっかりしているだろう」

 通常の街町では、対犯罪者組織として町憲兵隊が頂点に存在する。もちろん、最終的権限は領主や町長が持っているが、「お偉いさん」は日常のちょっとした犯罪には関わらない。となると、町憲兵にごまをすって犯罪を見逃してもらおうと考える小悪党も出てくれば、賄賂を受け取る町憲兵も出てくる。

 一方で王城都市というのは、城からの監査がしっかりと入る。そこに不正はないのか、と言うと明確なところは判らないものだが、金に汚い街は街自体も汚くなる。リンはそんな話をした。

「アーレイドはきれいだ。役人がきちんとしてるんだな。いい街だよ」

「ふうん」

 街というものをそんな目で見たことはなかった。クレスは改めて街並みを眺め、そうか、きれいなのか、と何となく嬉しくなった。

「で、詰め所は」

「ああ、あっち」

 案内を求められていることにようやく気づき、少年は先に立って歩いた。

「――何かありましたか」

 たどり着いた詰め所で彼らを出迎えたのは、意外に若い町憲兵だった。二十歳を越えたかどうかと言うところだろう。

 成人をしていれば入隊試験を受けられるのだから、それにさえ通れば、十六ほどのクレスであっても町憲兵になれる。だが、若い者は年嵩の熟練と組んで仕事をするのが普通だ。あんまり年若いようだと、街びとが心配になるからである。

 にも、たいていは三十を過ぎているか、若くても二十代後半以降の人物がいることが多かった。第一印象が「頼りなさそうだ」では、彼らの職務に差し支える。

 しかし実際、その若い町憲兵は頼りなさそうだった。

 若くても「しっかりしていそうだ」という印象があれば、年齢だけを判断基準とする偏屈な人間でない限り、相談を躊躇うことはない。だが細い茶色の髪をしたその憲兵――卓に置かれている名札にはラウセア・サリーズとあるがクレスには読めない――は、上流の客が通う高級な装飾品店にでもいそうな雰囲気で、町憲兵隊の詰め所にはあまり似合わない感じがした。

「あー、その、掏摸に遭ったんだ」

 クレスが言えば、ラウセアは顔を曇らせた。

「どこでです」

 そこで少年はひと通りの話を繰り返した。ラウセアは真剣にそれを聞き、成程、これは見た目にの頼りなさとは違って好印象を与える態度かもしれない、と思わせた。

「その周辺で話を聞いた」

 リンが口をを挟んだ。

「ザグ、オーディット、アルキンという三人が常習だとか。どれかが捕まったら教えてほしい」

 だいぶ飛んだ話に、ラウセアは目をしばたたいた。

「セル」

 と彼は、名を知らない相手にも用いることができる一般的な敬称で呼びかけた。

「そういう調査は、我々がします」

「調査なんかに時間をかけられちゃ困るんだ」

 リンは冷たく言った。これまでそんな様子を見たことがなかったから、クレスはちょっと驚く。もちろん、まだつき合いはとても短いのだが、少し意外だったのだ。

「こちらとしては、財布を取り戻したいだけなんだから」

「それは……努力はしますが」

「無理だと思いな」

 入り口の部屋の向こうから声がしたかと思うと、「頼りになりそうな」町憲兵が姿を現していた。この場合においてはつまり、年嵩で、体格がよく、堂々として見えるということだが――。

「盗られたもんは戻らんと思え。捕まえりゃそのときの手持ちは剥いで、留置場にぶち込むがね。その頃には、お前さん方の金はもうないって寸法だ」

 町憲兵は言い放った。クレスは瞬きをする。だがそれは、発せられた台詞の乱暴さに驚いたためではない。この声音と口調に聞き覚えがあったからだ。

「あーっ、あんた!」

 記憶が蘇る。この男は、そうだ。先ほどから少年の思い出を刺激している隊商の逮捕劇に関わり、クレスを捕らえなかった代わりに放り出してくれた、当の町憲兵だ。

「何だ。俺の世話になったことがあるのか?」

 興味なさそうに男は言った。この「世話」が額面通りの意味ではなく、捕縛されたことがあるのかという意味合いで使われたことは、ぴんときた。

「俺は、そんな――」

「トルーディ、そんな言い方はないでしょう」

 若いラウセアが諫めるように言った。

「彼らは、助けを求めてここにきたんです。逮捕された訳じゃない」

「そんなことは判ってる。話は聞こえていた」

「ここは僕らが、彼の財布が戻ってくるように全力で努力して――」

 ラウセアはそんなことを言いかけた。だが、トルーディと呼ばれた町憲兵は鼻で笑った。

「理想論は美しいがね、ラウセア。そうはいかないのが現実ってもんだ。坊やたち、話は聞いたし、捜査はする。連絡先を残しておきたければ残してもいい。だが期待はするな」

 年上の憲兵は面白くもなさそうに言ったあとで若い憲兵を見た。

「お前だって、『努力はしますが難しいと思います』と言うつもりだったんだろう」

 まさしくその通りであったものか、ラウセアは返す言葉に詰まったようだった。

「つまりそう言うことだ、坊ちゃん方。話は聞いた。今後は、財布に鎖でもつけとくんだな」

 クレスはむかっとした。

「それはどういう理屈なんだよ! 犯罪者がいるのは、町憲兵が怠慢だからだろ!」

 少年は勢いよく言ったが、彼の頭から出た考えではない。バルキーたちからの受け売りだ。

 むしろ、彼としては「もう戻ってこない」と思っているところがある。リンにつられてここまできてしまったが、町憲兵隊に届け出ることが解決に繋がるとは、考えていないのだ。

 だが、それとこれとは別。

 市民は「町憲兵に頼んでも埒があかない」と嘆くことがある。しかしそれは、例え町憲兵がどんなに努力しても小さな事件まで全て解決するのは不可能なのだから仕方ない、という理解ある考えと取ることもできる。

 だが、町憲兵当人が何も動く前から「無駄だな」と断ずるのは――努力すらしていないということになるまいか。

 それでは、町憲兵の仕事は何だと言うのか?

「はっ、ガキの思い込みにゃつき合ってられん」

 トルーディは首を振った。

「こちとら仕事があるんだ、忙しい。わめいてないでさっさと帰りな」

「だから、掏摸を捕まえて俺の財布を取り戻すことがあんたの仕事じゃないのかっ」

「こいつが言った通りに」

 ぺしん、とラウセアの後頭部がはたかれ、若い町憲兵は抗議の目線を向けたが、トルーディは知らぬ顔だ。

「努力はする。そして、結果は俺が言った通り。財布は戻らん。以上だ」

 そう言い捨てるとトルーディは、さっさと詰め所の奥に戻ってしまった。あとには憤懣やるかたない表情のクレスと、さもありなんと肩をすくめるリンと、恐縮したような顔をしているラウセアが残される。

「すみません。彼は、その――何と言うか、悪い人ではないのですが」

「『悪人ではない』は『いい町憲兵である』に繋がらないけれどね」

 リンはさらりと皮肉を言った。ラウセアは頭を下げる。クレスはまだ、腹立たしかった。

 トルーディと言うらしい、あの男。捕まえずにいてくれたと感謝を抱いていた自分が馬鹿らしくなった。バルキーたちの言う通り。町憲兵だから助けになってくれるなどという思いは、誤りだ。

「申し訳ない」

「……あんたに謝ってもらおうとは、思ってないよ」

 クレスは勢いを削がれて呟いた。実際、ラウセアに怒ってはいない。

「別に。町憲兵隊になんか最初から期待してないんだし。嫌な思いをしてまで、相談もしたくないし。いいよ、リン。帰ろうぜ」

「そう言うな。せっかくだ、届けくらいは出しておこう」

 リンが言うと、ラウセアが慌てて紙切れと筆を取りだした。慌てすぎて若憲兵は筆を卓のこっち側に転がしてしまい、また謝った。

「クレスの連絡先は? 店でいいのか」

 筆を拾い上げながら、リンが問う。

「俺の連絡先を書くのか?」

「言っただろう。私はこの街の人間じゃないんだから」

 そう言われては仕方がない。クレスは〈赤い柱〉亭がある裏通りの名を口にした。

「リン、字ぃ書けるんだ。すげえな」

 てっきり町憲兵が代筆するものと思っていたクレスは、リンがさらさらと何やらしたためるのを驚いて見ていた。

 文字の読み書きができる者は少ない。日常生活に必要なのは、買い物の釣りをごまかされないための計算能力くらいで、文字は読めなくても差し障りがないのだ。読み書きができるのは、町憲兵や役人、神官、魔術師といった職種の人間だった。町憲兵の名札などは、住民のために置いてあるのではなく、自分たちで管理するためのものだった。

 それ以外に読み書きを覚えている者は、よい教育を受けられるだけの家に生まれた子供という辺りになる。

 それほど金持ちでなくても親が教育熱心だということは少ないながらも有り得るし、当人の知識欲が旺盛で自ら勉学に励むということも有り得た。

 リンは神官でも魔術師でもない――だろう――から、親か自らの意志で学んだということになる。お坊ちゃんではないという主張を信ずるなら、自分で覚えたのだろう。

 若者が文字を書いている姿はなかなかさまになっていた。数字くらいしか読めないクレスには、文字の上手下手など判らないのだが、きっときれいな字を書いているのだろうなと思えた。

「これでいい。さあ、それじゃ行こう」

 紙と筆をラウセアの方に差し出すと、リンはもうそれ以上詰め所に興味を持たず、踵を返した。クレスも倣う。

 いささか気分が悪い。だが、引きずっても仕方ない。

 少年は気分を切り替え、トルーディのことは忘れることにした。

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