05 奇妙な友人

 クレスが最後に財布の口を閉じたのは、バルキーから食事代を受け取ったときだ。そして、ないと気づいたのはリンに出会った場所のすぐ近く。

 距離にして、百ラクトあるかどうかというくらいである。

「すられた、と思うのが妥当だろうな」

 話を聞くと若者は簡単に言った。

「遺失物が届けられていないか町憲兵隊レドキアータに確認してもいいが、無駄だろう」

 道すがらにリンは言った。文句なく同意したくはなかったが、文句なく同意できる意見であった。

掏摸ガーラ探しか。面倒だな」

 リンは親指で顎の辺りを撫でた。

「本気で、探すのか?」

 クレスは顔をしかめて、尋ねた。

 冷静に考えれば、まず無理だ。クレスとしては、店主に正直に話すしかないと思いはじめていた。ダタクの隊商であれば、殴られ蹴られ、死ぬんじゃないかと思うほどの目に遭うだろうが、バルキーはそんなことをしないだろう。酷く怒られ、食事を抜かれるくらいはするかもしれないが、その罰は受けるべきだ。

 悪いのはもちろんクレスよりも掏摸すりであるが、そう主張して金が戻ってくる訳でもなく、責任はやはりクレスにある。少年はそう考えた。

「探したくないのか?」

「そりゃ、俺だって財布を取り戻したい。でも、無理だよ」

「諦めの早い奴だ」

 やってみてから言え、とリン。クレスは肩をすくめた。

「何だ。それじゃリンだって、無理だと思ってるんじゃないか」

「そうは言ってない。いいか、クレス。掏摸ってのはたいてい、常習だ。金がないから悪事に手を染めてみようと思って人の財布の紐を狙っても、たいていは気づかれる」

 それはそうだろう。全く気づかれず、すれ違いざまに紐だけ切って盗み去っていくなど、素人がやろうと思ってできることでもない。

「わざとぶつかって、その衝撃で紐を切られたことや腰が軽くなったことに気づかせない、というのがよくある手段だ。そんなことは、なかったか」

「何度かあった」

 クレスは黒っぽい頭をかいた。何しろ、面白い飯がないかときょろきょろしていたのである。何度も人にぶつかっては素直に謝られたり、罵声を浴びせられたりした。

「そうか。それじゃ、その内のどれかが犯人だ」

「でも覚えてないよ」

 正直に少年は言う。馬鹿にされるかなとちょっと思ったが、そうだろうなとリンは同意してくれた。

「仮に人相風体を覚えていても、あんまり役に立たない。これこれこういう人物を見なかったかと尋ねて、何か情報が得られることなんて少ないからな」

「それじゃ、どうするんだ?」

 疑問に思ってクレスは首を傾げた。

情報屋ラーター、というのを知っているか」

「何だ、それ」

 また少年は首をひねる羽目になる。

「金で情報を売り買いする連中のことだ。奴らにかかれば、どこの奥方が何日前にどこで野菜を買ったかなんてのも情報。酔っ払いの戯言だって、『こういう噂がある』ともっともらしくネタにしちまう」

「情報屋」

 そう聞けば、何となく思い出すこともあった。ならず者の隊商主トラティアルをふらふらと訪れてきた、胡散臭い男。あれはもしかしたら、情報屋というやつだったのかもしれない。

「でも俺、金ないし」

「それも私が出す」

「……返せない、ぞ」

 念のために言った。ケチろうと思っているのではなく、実際、バルキーから預かったものを除けば、財布の中身は微々たるものだ。当然、店主の金は使えない。

「かまわない」

 何とも鷹揚に、リンは答えた。

「私の興味でやっていることだ」

「あんたさ」

 クレスは、ふっと思ったことをそのまま訊いてみた。

「どこか、いいとこのお坊ちゃん」

 言われたリンは軽く目を見開き、それから少し笑った。その笑みは、これまでのものが作り笑い――初対面の相手に怪しまれないための――だったのだと判るような、不思議な温かみが感じられた。

違うデレス

 私はね、と続いた。

「あちこち、旅をしてる。実はアーレイドには、きたばかりだ」

「きたばかりって?」

 クレスも、半年前にきたばかりである。

「そうだな」

 リンは考えるようにした。

「一刻くらいは経ったかな」

「……は」

 それは確かに「ばかり」である。

「俺も旅をしてたよ」

 あれを「旅」というのかはよく判らないが、クレスは何となくそう言った。へえ、とリンが興味ありそうな声を出す。

「どんなところに行った?」

「どんなって……ルイカーとか、クラインとか、ケミスとか」

「アーレイド圏内か」

 地名を聞きながらリンは、頭のなかの地図を指すかのように空中に指を這わせた。

 大陸は広く、この地に王はたくさんいた。王のいる都市を〈王城都市〉と言い習わし、その周辺、王の勢力圏内をその都市名で大雑把に呼ぶのは一般的なことだ。リンはそういう意味合いで「アーレイド圏内」と言った。そのことは何となく知っていたので、クレスは認める。

「ああ、そうなる。リンは、もっと遠くまで行ったのか?」

「行ったというか、遠くからきたと言うか」

 若者はそんな言い方をした。

中心部クェンナルの辺りをけっこううろついてたんだが、ちょっとこっちにきてみようと思って、芸人一座トランタリアに便乗した」

「へえ」

 中心部というのもまた大雑把な表現で、「大陸の真ん中辺り」だ。ちょうどその真ん中付近にある街は〈ビナレスのへそ〉などと呼ばれたが、クレスはそこまで知らない。ただ、リンはずいぶんな旅をしているんだな、とは思った。

「すごいな」

 素直に言った。クレスの「旅」は自分の意志でやったものではない。だが、リンは無論、自分の足で歩いているのだろう。「便乗した」というからにはおそらく馬車などに乗ってきたのであって、必ずしも「足で」歩いていることにならないが、そういう話ではない。

 自らが望んで、旅をしている。

「すごいと言われるようなことじゃない」

 リンは手を振った。

「気になるものがあるから、出かける。根無し草というやつだ」

 それが謙遜であるのか、どこか引け目に思ってでもいるものか、それともただ本当に「そういうものだ」と思っているだけなのか、クレスには判らなかった。

「とにかく、つまりこの街に馴染みの情報屋なんかはいないということ。クレスにもいなさそうだな」

 ラーターと言われてぴんとこなかったのだから、それはその通りである。だいたい、普通の暮らしを送っていれば、そんな存在とは縁がないものだ。

「時間はどれくらいある?」

「俺?」

「私は自由が利く。お前は、雇われ人だろう」

「そうだなあ」

 クレスはちらりと空を見上げた。太陽リィキアの位置を見ればまだまだ昼で、〈赤い柱〉亭の開店時刻には遠い。もっとも、開店直前に戻ればよいというものでもなく、下準備もまだある。

「あれが沈むくらいまでは、時間あるけど」

 それでぎりぎりだろう。最後の下拵えに間に合うかどうかというところだ。

「微妙だな」

 リンは腕を組んだ。

「情報屋が巧く見つかって、この付近の常習掏摸が判ったとしても、それを探すには足りないかもしれない」

「見つからなかったら、仕方ないよ」

駄目だねデレス

 リンは首を振った。

「見つけなけりゃ、私の目的にそぐわない」

 本来であればクレスの方が見つかるまで探すと言い張りそうなものだが、何故だか立場は逆転していた。

「見つけよう。いいな、クレス」

 口調はそう変わらないのに、そこにはリンの熱意が感じられた。どうやら、何だか奇妙な友人ができたようだ、などと少年は思った。

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