04 何か問題があるか?
見るとそこには、彼よりふたつ三つ年上だろうかという若者の姿があった。身長はクレスよりも高そうだ。細い身体は、この少年と違って「貧弱」という印象ではなく、均整が取れていると言えた。
長い金の髪は、大雑把に編まれている。「邪魔だからまとめている」という風情で、あまり洒落っ気がある感じではない。青い目はあまり感情を見せていなかったが、唇は笑みを形作っているものだから、クレスは相手の愛想がいいものと勘違いした。
「まさか……拾ってくれたとか?」
虚しい期待だと判っていながら、クレスは尋ねた。
もし拾ったのだとしたら、たいていの人間は口をつぐむ。善良な人間であれば
「拾ってはいない」
案の定と言うのか、返答は早い。
「でも、やっぱり、財布をなくしたんだな」
「……何だよ」
相手の繰り返し方が不自然に思えて、クレスは顔をしかめた。
「関係ないだろ」
「確かに、ない」
笑みを作ったままで、相手はうなずいた。
「ただ、知りたいだけなんだ」
「はあん?」
少年は胡乱な視線を送る。
「俺の不幸を知ると、あんたに何か幸運が降ってくるのか?」
少し棘のある声で言うと、相手は首を振った。
「それだけでは、私には収益は上がらない。ただ、判ることもある」
何を言っているのか、意味が判らなかった。
全く話の通じない相手は、得体が知れないように思えて怖ろしくさえ感じるものだ。クレスは相手に近寄りたくない気持ちが湧いて、そのままじりじりと後退をした。
「逃げるな。応か否か、それだけ答えてくれればいい」
「何だよ」
クレスはまた言った。
財布をなくしたと告げても、何も問題はないだろう。金を持っていると告げるのならともかく、金のない子供から、いったい何が巻き上げられる? なくしたと認めて、何か損があるとは思えない。
だが、何だか不自然だ。
やはり、クレスは後退を続けた。
「あんたには、関係、無い」
背中を見せるのが何となく不気味で、クレスはそのまま人混みに紛れ込もうとした。だが相手はすいと少年に近づくと、彼の腕を掴んだ。
「何、すんだ。放せよっ」
おかしなのに捕まった、という恐怖がクレスを襲う。助けを呼ぼうか。
バルキーを呼ぶ? でも、面白そうな屋台を探す内、店主が座っている場所からはけっこう離れてしまった。ここで彼を呼んでも聞こえないだろう。
誰でもいいから周辺の人間に助けを求めるという考えは浮かばなかった。何しろ、育った境遇が境遇だった。助けを求めて助けられた経験など、一度たりともないのだ。
「放せ、よっ」
そう言った。だが、相手は彼を掴んだままだ。少年は身を縮ませた。
(殴られる)
それは理不尽な恐怖とも言えたが、彼が受け続けた理不尽な仕打ちはまだ心に傷を残していた。こんなふうに捕まったあとは、彼自身に何も非がなくても暴力にさらされる、そう考えてしまうのだ。
「そんなに怖がるな。私はただ、お前が財布をなくしたかどうか、それを知りたいだけなんだ」
その声はどこか呆れていた。クレスは、完全に固くなった身体を少しだけ緩める。
「知って……どうするんだ」
一方でクレスの声は、微かに震えていただろうか。
「どうもしない」
相手は肩をすくめた。
「それどころか、一緒に探してやってもいい」
探すのを手伝うと親切面をして、
何しろ、やっぱり、意味が判らないからだ。
「ええと、何だか、判らないけど」
クレスは渋々と、話を続けることにした。少なくとも殴られるようなことはなさそうだし、捕まっている以上、そうするしかない。
実のところ相手の力はそれほど強くないし、彼が本気で振り払おうと思えば容易だったのだが、「抵抗しても無駄だ」という気持ちが少年の内にはまだ根深いのだ。
だが、それは運命だった。
もしもここでクレスがその手を振りほどき、人波に紛れて逃げ切っていたなら、彼の――彼らのその後は全く異なるものになっただろう。
「飯を買って戻らなきゃならないんだ。悠長に探してられない」
もっとも、彼自身はそのようなことを知る由もない。ただ、言い訳を探して口にした。
「
当たり前のことを言われて、クレスはうなった。
「それなら、こうしよう」
相手はやはり笑んだ。
「私が金を出して、一緒に飯を食う。それから、一緒に財布を探す。これでどうだ?」
意味は全く――判らなかった。
全くもって筋の通らないことを言い出した相手は、リンと名乗った。
出された提案にクレスが混乱している間に、若者はひょいと屋台に顔を突っ込み、飯を三人分買って少年に案内を要求した。
その隙に、クレスはいくらでも逃げられた。だが、リンの言うことは意味不明ながら彼にとってたいへん都合がよく、逃亡の必要性は薄れているように感じた。リンの方では、ここでクレスが逃げるなどとは思っていないらしく、もう彼を捕まえてはいなかった。
「何だ? 友だちか?」
仕方なしにそうしてバルキーのところまで戻れば、店主は当然の推測をした。
「それが」
「はじめまして、
リンは微笑を浮かべると、礼儀正しく手など差し出した。ここにくるまでに仕方なく名乗りもしたし、待っているのが雇い主で酒場の主人であるという話はしたから、リンがそう告げて友人のように振る舞ったことに驚きはない。奇妙ではあるが。
店主は、クレスにこんな友人がいたとは知らなかったと言って――知り合ったばかりなのだから当然だ――その手を取り、リンが同じ卓につくに任せた。
バルキーは、初対面の相手と一緒に食事をすることに抵抗はないようだった。酒場の店主が人嫌いでは商売にならないから、当然の対応とも言えただろう。
彼らは当たり障りのない世間話をしながら、
「なかなかいいものを見つけたじゃないか」
バルキーが褒めるように言った。クレスは渋々と首を振る。
「俺じゃない」
「何?」
「リンが決めたんだ」
勝手に。
「へえ。この辺りは詳しいのか?」
「そうでもないですね。それに、見つけたのは私じゃない。クレスですよ」
「何?」
まるで手柄を譲り合うかのような言い合いにバルキーは目をぱちぱちとさせたが、クレスも同じようにしてしまった。
「あんたが、選んだんじゃないか」
「クレスの目を借りたんだ。私は食事に関しては、全く目が利かないから」
よく判らない説明と言えた。だが彼らが詳細を尋ねようとするより先に、リンはさっと立ち上がると三人の皿を片づけはじめた。
屋台が集中するような場所では、飾り気のない簡素な木皿を共用していて、所定の場所に片づけておけば雇われの皿洗いがそれらをきれいにするという仕組みがある。〈赤い柱〉では、自分の使った皿は自分で片づけるのが不文律だから、クレスは慌ててリンを手伝った。普段は店主も自分で片づけをするが、この場で彼が動いては却ってリンに気遣わせると判断したらしく、礼を言って少年たちに任せる。
「ご主人、このあと、クレスを借り受けてもかまいませんか?」
皿を手にしながらリンは言った。先に言ったことを実行するつもりなのか、とクレスは何となくどきりとする。
いま、バルキーに全部話してしまおうか。小刀を買ってもらえないだろうことは残念だが、もしリンに何か企みごとがあるのだとしたら、クレスには判らないそれをバルキーは見抜くかもしれない。
だが、クレスはそうしなかった。
隠そうと思った訳ではない。単純に、時機を逸したというのがある。
しかしそれよりも、彼は何だか興味を持ちはじめていたのだ。
〈腹がくちくなれば余裕ができる〉と言うが、少年の状態はまさしくそれであった。
先ほどは不気味に思えたリンのことも、食卓をともにすれば、ごく普通の若者であるとが判ってきた。才気も機知もあるようで、バルキーは不審に思うどころか「いい友だちだな」と言ってクレスを困らせた。
となると、何だろうと思うのだ。いったい何のために、クレスの財布を一緒に探そうなどと言うものか。
礼金目当て、というようなこともないだろう。そんなみみっちい考え方をする者が、三人分の食事代金を払うはずもない。
では、いったい。
先には不気味で、恐怖だった。いまではそれが、興味と好奇心に取って代わっている。
「何のため?」
バルキーが店に戻ると言って昼間の人波に入り込んでしまうと、まずクレスはずばりとそう問うた。
「面白いものを手に入れたんだ」
リンの最初の答えはそれで、やはり全く、意味を為さないように聞こえた。
「面白いものって、何」
仕方なく、クレスは尋ねる。
「〈失せ物探しの鏡〉」
「……は?」
「手鏡の形状をしているが、ただの鏡じゃない。まず、半透明鏡に近い」
「何だって?」
「片面から見ると鏡だが、もう片面から見ると窓のように透けて見えるという鏡のことだ」
「へえ」
クレスは聞いたことがなかったが、そんな鏡があるらしいということは理解できた。
「鏡として見える部分は、普通の鏡だ。だが逆から見ると」
「透けて見えるんだろ?」
同じことをもう一度言われたのかと思ってクレスは言ったが、リンは首を振った。
「これの持ち主、いまの場合は私が誰かに向けてこれをかざす。するとその人物の頭上に、当人がつい最近なくしたものが見える」
「……はあ?」
いったいリンが何を言い出したものか、クレスはぽかんとした。
「
とうとうと語られたクレスが黙っていると、リンは片眉を上げた。
「意味が判らなかったか?」
「判るよ。占い師がどうのって部分だけは」
「他に、何が判らない」
「そんな鏡がある訳、ないじゃんか」
鏡は鏡だ。鏡の前にある、人や物を映す。聞き慣れないが、半透明鏡だとか言うものなら、反対側からは透けて見えるのだろう。クレスは知らなかったが、そういうものもあるんだなと、ただそう思う。
だが彼が納得できるのはそこまでだ。存在しないものが映るなど、鏡でも窓でもない。
「お前が信じなくても私はかまわない。ただ私は、確信したいだけなんだ」
やっぱりよく判らないことをリンは言い続けた。
「お前の上に小さな布袋が見えた。
「あ」
クレスは目を見開いて口も開けた。
「何で、そのこと」
確かにあの財布には、赤い糸で柱の形をした刺繍がなされている。バルキーの娘ウィンディアが、目印にと〈赤い柱〉亭の看板と同じ模様を縫ってくれたのだ。
「だから、見たんだよ」
リンは続けた。
「お前が泡を食っているようだったから、財布かなと思って尋ねた。どうやら
ぴっと若者は指を一本立てる。
「私が見たあの袋、それが間違いなくお前がなくしたものだと判明しない限り、〈失せ物探しの鏡〉が本物であるとは確信できない」
それがリンの説明であった。クレスも愚鈍ではないから、意味は判った。だが同時に――やはり、判らなかった。
「そんな鏡、ある訳が」
「だから、信じなくてもかまわないと」
ふたりは同じようなやり取りを繰り返した。
刺繍について言い当てられたことは驚いたが、ただの偶然かもしれない。疑い深く考えるなら、本当はリンが見つけて持っているのかもしれない――もっとも、そんなことをする理由は思い浮かばない。
「魔法」などとは思わなかった。そんなものはこれまでの少年の人生と縁がなく、話に聞いたこともなかったのだ。
しかし、もしクレスが魔法の存在を知っていたとしても、「それではきっと魔法なのだ」などと簡単に納得はできないだろう。一般的に、魔法だの魔術師だのは胡散臭い存在であり、快く受け入れられるものではないからだ。
「とにかく、お前は財布を取り戻したいだろう。私は、あの袋がお前の財布であると知りたい。利害は一致している。何か問題があるか?」
「……ないような、気がするけど」
考えながらクレスは答えた。リンはにっと笑う。
「それなら、さっさと動こうじゃないか。最後に財布の有無を確認したのはどこだ?」
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