第三十七話 魔人対聖騎士

 ジーカに辿り着いた一行だが、探索の為に数組に分かれた。

 そこにクラッサの聖騎士レドルファが現れる。

 征四郎は応戦するも、深い傷を負い、ロズワグンの力を借りて如何にか逃走する。

 争いの気配に気づいた他の面々だったが、それぞれが危機に直面していた……。



 グラルグスは、女術師であるクラーラと共に水路沿いを歩いていた。

 特に探索の当てがあると言う訳でもないのだが、妙に姉ロズワグンが調べてこいと言う物で、仕方なく周囲を調べていた。


「水は清らかだが、魚もいないのだな」


「そのようですね」


 グラルグスの言葉に静かに応えを返すクラーラ。

 ジーカの乾いた風が吹き抜け、グラルグスとクラーラの髪を揺らす。


 二人でどの程度歩いたのか、グラルグスには見当がつかない。

 長いようで、短いような。

 或いはその逆の様な、この時の流れを何と称するのか分からなかった。

 ただ、水に流れる音を聞きながら歩く二人。

 沈黙は重苦しさとは無縁で、何処か清らかさを保っているようにも感じていた。

 が、不意にクラーラの声が響く。

 鈴が鳴るような澄んだ声。


「もし、聖騎士殺しの法が見つかれば、如何どう、なさいますか?」


「――死合う」


「……何故に?」


 問いかける言葉に滲む無念さと悲しみを感じ取りながら、グラルグスは答えた。


「俺は操られて多くを戦い、多くを殺めた。自身の意思に寄らぬ戦いなど、戦いとは言えない」


 それは戦いではないのだと再度繰り返し告げて、立ち止まる。

 そして、クラーラへと向き直り。


「俺は贖罪しょくざいの為に死ぬべきだ。だが、一方で俺は願っている」


「――何を?」


 同じく立ち止まり、緑色の双眸を隻眼で見据えながらクラーラは静かに問いかけた。


「強き戦士との戦いを。セイシロウとの戦いを」


「どちらが勝っても禍根が残りましょうに。――それでも?」


 クラーラの口から語られる言葉に非難の色は無かった。

 ただ、何処までも無常感が漂っていた。

 グラルグスが口を開きかけて、無言のまま一度閉じる。

 駆け抜ける乾いた風が、静寂を運んできたように、彼等は暫し黙った。

 静かに、黙したまま見つめ合っていた二人だが、グラルグスが不意に視線を逸らす。


「それでも、だ」


「……分りました。その時が至れば、わたくしも覚悟を決めましょう」


 そう静かに、囁く様なほど静かな一言にグラルグスはそうかと頷いた。

 彼は気付いて居なかった、その静かな一言にどれ程の恐るべき決意が込められていたのかを。

 ただ、そんな彼でも気付けることはあった、クラーラが自身に向ける感情は。


「俺は咎人だ、お前の好意に値しない」


「それを決めるのは貴方では無く、道徳でもなく、わたくしです」


「そうか――そうだな」


 一見すれば静かで儚げな娘だが、彼女の芯が強い事をグラルグスは改めて知る。

 何度となくその好意を否定してきたグラルグスだけが知る彼女の一面。

 旅の連れの殆どが知らない彼女の素顔を知るのは、自分ただ一人。

 その思いがグラルグスに言葉を紡がせる。


「もし、生き残れば……」


 それは、姉が好いているであろう男の最後を示していたが、それでも言葉が口を付く。

 クラーラもそれを知り、しかし、その先が聞きたいと願った。

 だが、彼らの会話は不意に響く衝撃音に打ち切られた。


「何だ!」


「まさか――聖騎士?」


 クラーラが気配を察して呆然と口にすると、グラルグスは音の方へと駆け出す。

 慌てて追いすがるクラーラを一旦待って、前抱きに抱え上げれば。


「ともかく、今は敵を退けねばな」


 そう唇を釣り上げて笑い、凄まじい速さで駆ける。

 その言葉に頷いたクラーラの頬は微かに赤く染まっていた。



 征四郎の奥の手を食らい、昏倒しかけたレドルファが我を取り戻す頃には、蛇宮たみやが半数のスケルトン・ウォーリアーを処分した後だった。


「お目覚めですか、聖騎士殿」


「――無手の技……か。――骨相手に手間取っているな」


「以前も申し上げた通り、小官は神土少佐に対して恨みがある訳でもないので」


「故に骨相手に遊んでいたと? ちっ、お前は何なのだ!」


 苛立ちのままに立ち上がり、刃に込めた衝撃波を無造作に放てばスケルトンが数体一気に消し飛び消滅した。


「お見事。一体ずつ倒すのは大変でしたので、小官は休ませていただきますよ」


「ふざけおって……」


 この腕の立つ魔人は陰気な他の魔人衆に比べれば格段に取っつき易いのが余計に腹が立つ。

 何度か衝撃波を放ってスケルトンを粉砕し尽くせば、レドルファは漸く剣を鞘に収める。


「追うぞ」


「お一人でどうぞ。ただ、手負いでも神土少佐は手ごわい。カムラの姫君も中々にしたたかだ。油断無きよう」


「何? ――足止めか」


 蛇宮の一人でとの言葉に、命令拒否かと一瞬身構えたレドルファだが、その発言の意図にすぐに気付いた。

 迫る気配を察したのだ。

 忘れる筈もない、同族ともいえる聖騎士の気配を。

 二人で征四郎を追い、挟撃されては堪らない。


「任せる」


「ええ、神土少佐に恨みが無い様に、貴方にも恨みが無いので。ご武運を、聖騎士レドルファ殿」


 蛇宮が大葦原おおあしはら式の敬礼をして、軽やかに笑って見せると。


「お前こそ、武運を祈る。魔人衆が一人、タミヤ・イト」


 レドルファは真面目な顔でそう返した。

 そして、その場を蛇宮に任せレドルファは血痕の痕を追い、征四郎を追跡するべく駆けだした。


「殿方に名前を呼ばれた経験は、あまりないのですが……慣れませんね」


 その背を見送って肩を竦めてから、蛇宮伊都たみやいとは片刃の剣を正眼に構えて、迫るグラルグスの気配に備えた。



 グラルグスとクラーラが見た者は、酷く幻想的であり地獄めいていた。

 乾いた風吹き荒れる廃都ジーカに、黄色い外套を靡かせ、黄色い帽子と衣服で身を包んだ黒髪の女が、刃を抜き放って構える姿は、何かの物語のような美しさと剣呑さを併せ持っていた。


「おや、外様とざまの聖騎士殿か」


「――その服装……お前も魔人衆なのか? 確かにその剣気は尋常な物ではないが……。いや、お前は確か、ホレスの陣にレドルファと共に……」


「小官に覚えが無いのは道理ですよ、生憎と魔人衆としては真っ当な仕事を任されておりませんので。その事が小官の誇りでもありますが。ああ、小官は蛇宮と申します。ええ、ホレスの陣では少しだけ暴れさせていただきました」


 構えを一切解かずに、それでいて気安く声を掛ける蛇宮。

 グラルグスは、その様子が返って恐ろしかった。

 その恐怖は、抱かれたままのクラーラにも伝わるほど、グラルグスの指先は震えていた。

 

「さて、無駄話はここまでとして、小官が剣の一手をまずは、ごろうじろう」


 告げて、一歩、緩やかに右足を踏み込んだ黄衣の女、蛇宮。

 まるで、獰猛な人食い熊が近づいて来たような威圧感をクラーラは感じた。


 恐るべき気配を隠すことなく、一歩踏み込んだ蛇宮であったが、クラーラを降ろす間は攻撃することは無かった。


「余裕か?」


「構えぬ相手を斬って何としましょうや?」


 その言葉を聞き、蛇宮と名乗ったこの女もまた、征四郎と異常性では一致している。

 あの、砲煙弾雨ほうえんだんうの戦場に出征した事があるのかは不明だが、アレを想定した訓練の最中でも、剣を手放さなかった以上は征四郎と同類……。

 殻を破れそうで、未だに破れぬ自分で果たして届きうるのか……?

 そう自問するグラルグスだが、剣を抜けば思考は斬り合いにのみ向けられる。


「ふ、ふふ……レドルファ殿と言い、貴方と言い、聖騎士殿は良い殺意をお持ちだ」


 笑みをこぼした蛇宮は、ゆったりとした動きで、再度距離を詰めるために一歩踏み込んだ……かに見えたが、それは誤りだった。

 距離を詰めたのではない、一気に削りにかかったのだ。

 一歩目を踏み込んだかと思えば、既に二歩目を踏み込んでいる。

 正眼だった剣の構えは、刺突の為に寝かされ流れるような流麗さで変えていた。

 シュッと風を切り裂く音をグラルグスの狐に似た耳が捉えるのと同時に、彼はサイドステップで突きの一撃を避けた。

 そして、避け様に迫る蛇宮の胴を薙ぐべく抜剣して横凪に剣を振るう。

 唸りを上げる剛剣。

 その軌跡は、蛇宮を薙ぐかと思われた。

 だが……。


「そんな!」


 普段は声を荒げる事のないクラーラが思わず叫んだ。


 グラルグスの動きを予測していたのか、刀を大地に刺した蛇宮は、グラルグスの懐に飛び込み、両の手で剣を挟み込んで剣をそのたなごころに捕らえてしまった。

 新陰流の無刀取りである。

 初めて見た技に一瞬怯むグラルグス。

 蛇宮は軽く笑みを浮かべたまま、剣を捻り、グラルグスの手首を挫こうとする。

 一瞬とは言え怯んだ以上、後手に回らざる得ない。

 これ以上剣を掴んで居ては、手首を壊されることに気付いたグラルグスは即座に剣を離した。


「他愛も無い、外様の聖騎士ではこの程度ですか?」


 グラルグスの剣を正眼に構えながら蛇宮は笑うが、そこには嘲笑と言うよりは別の……ある種の期待が在った。


 万事休すか。

 グラルグスは武器を奪われ、そう考えたが、それではだめだと誰かが胸中で叫ぶ。

 強きを求めたのは誰かと問いかける言葉が響く。

 

「……分っているさ」


 幼き日に、疎外される姉を見て強くなろうと誓った小さかった自分が叫ぶ。

 諦めるな、まだ何かある筈だと。

 記憶を遡行して手立てを考えていたグラルグスは、最近見たある光景を思い出す。


「来るが良い、魔人よ」


「参りましょう、聖騎士殿」


 互いに笑みを浮かべ言葉を交わせば、蛇宮は一度剣を振り上げて、グラルグス目掛けて振り下ろす。


(なるほど、征四郎が言うとおりだ……)


 グラルグスが思い出したのは、征四郎がオークとチビの衛兵に剣の技を伝授している時の事だ。

 征四郎は言った。

 

「剣を一度振り上げて降ろすとなると、やはり行程が増える分遅くなる。その点トンボは振り降ろすだけだ。当流はただ、早きを尊ぶ。ならば、自ずと構えは限られている」


 蛇宮は今、剣を振り上げた。

 征四郎と戦う事に比べれば、彼女は遅い!

 グラルグスは、バルトロメとの戦いで征四郎が行ったように、腕を伸ばして蛇宮の腕を取ろうとする。

 失敗すれば死ぬだけと、割り切った攻撃は功を奏して、肩を多少刻まれたが蛇宮の腕を掴み剣の一撃を止める事に成功した。


「お見事!」


 蛇宮はそう賞賛の声を上げると同時に、奪った剣を簡単に手放して、捕まっていない方の拳にてグラルグスの脇の付け根を貫手で叩く。

 途端に蛇宮を捕まえていた指先に力が入らず、グラルグスは蛇宮を抑え込めず振り解かれてしまった。


「いかに聖騎士殿でも無手技はおいそれと学べませんよ。とは言え、少々遊び過ぎましたね」


 嫣然と微笑みを浮かべる蛇宮は、向かってくる五名の人影に視線を投げかけた。

 蛇宮を見据えるグラルグスの代わりにクラーラがそちらを見れば、ロウやスクト、それにアゾンとマウロと少女が一人、こちらに向かっているのが見えた。

 仲間が一気に増えた、つまり敵は一気に劣勢になったのだ。

 撤退するだろうかと、安堵しかけたクラーラだったが、その考えが甘い事をすぐに知らされた。


「レドルファ殿は神土少佐を討つために身命を賭している。小官も命をなげうってあなた方の足を止めましょう」


 その言葉の後に、蛇宮はまるで黄色い風のように早く、激しく大立ち回りを演じて見せたのだ。


【第三十八話に続く】

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