第三十六話 約束再び

 遂にジーカに辿り着いた征四郎一行。

 征四郎は嘗てこの都市に居たであろう蛇頭人身の亡霊と出会い、幾つかの情報を得た。

 そして、自身をこの世界に送り込んだ者と邂逅する。

 その結果、ジーカの古い地層に赴き、師より受け継いだ呪術を用いて情報を得るより他に聖騎士を殺す術を手に入れられない事をしったのだが、聖騎士レドルファも征四郎らを追いジーカを訪れていた。

 レドルファとの戦いで深手を負った征四郎は、ロズワグンと共に辛くも逃げ遂せた。

 だが、勝手知らないジーカの地で、すっかり道に迷ってしまい……。




 ロズワグンは、自分がすっかり迷ってしまった事に気付いた。

 一度立ち止まり、周囲を見渡すと、元は住宅地だったのか、石造りの建物が立ち並ぶ区画の路地に迷い込んでいるようだった。


「はぁ……はぁ……ひとまず、傷の手当てを……」


 肩を貸しながら共に歩く征四郎の様子を横目で見やり、額に浮かぶ汗や血の気が引いている頬に気付けば、ロズワグンは息を乱しながらもそう語りかけ、石畳に彼を座らせた。

 そして、衝撃波の影響でボロボロになり真っ赤に染まった衣服を丁寧にはがして、傷口を見やった。

 途端に、自分の視界がぼやけるのが分かった。

 征四郎が受けた傷は酷い傷だった。

 剣による一撃ではない、線状に圧縮された衝撃が、斜め一文字に胸を抉っているのだ。

 皮膚は裂け、肉は抉れ、肋骨の一部が垣間見えるほどの傷。

 征四郎は、助からない。

 そんな考えが脳裏をよぎると、自然と涙が溢れて来たのだ。


(ふ、ふざけるなよ! 余は認めん、断じて……断じてっ!)


 自身が思い描いた結果を、必死に否定しながら眦を釣り上げて、必死の形相で傷に布を宛がい巻き始める。


 征四郎は、ロズワグンのその様子からも自身の命の時間が短い事を悟った。

 だが、そんな事よりロズワグンの形相に申し訳なさを感じていた。


(何て顔をしているのやら……)


 一瞬、その後に続く言葉を思い浮かべそうになり、征四郎はゆるりと首を左右に振る。

 何だかとても気障なセリフを脳内で思い描きそうになったからだ。

 そう言う言葉は、直接本人に言うべきだし、死に逝く者が掛けるべきではないのだ。


 それにしても、地下に行くと言う目標を手早く達成せねばならない状況で道に迷ったのは辛い。

 如何した物かと痛みに耐え、布を巻きつけられていると、不意に声が響く。


「此方だ、呪術師……」


 はっとして其方を向くと、朧な影がぽつんと立っていた。

 蛇頭人身のその影は、すっと動いて入り組んだ路地の一方を指差した。


「……ロズワグン、行こう」


「い、行くとは何処にだ?」


 ギュッと強く布地を巻きつけた所で征四郎にそう言われ、ロズワグンは訝しげに問いかける。

 その緑色の双眸は涙で潤んでいるのが見て取れて、征四郎は痛ましさから僅かに顔をそむける。


「蛇頭人身の影が教えてくれているだろう」


「……何も見えん。大丈夫か? 傷が熱でも持ったか?」


 影の方を示し、ロズワグンも其方を見たが何も見えないと言う。

 征四郎の傷に動揺している彼女は、マウロの発言などすっかり忘れており、征四郎が傷の所為で幻覚を見ているのではないかと心配するありさま。

 時間が無いのに、埒が明かんと歯噛みする征四郎に、彼にしか聞こえない声が告げちた。


「血を含ませろ、呪術師。さすれば僅かな時間、死霊術師ならば知覚できる」


 血を含ませる? どうしろと言うのだと征四郎は痛みに顔を顰めながら思案する。


(……これしか思いつかん)


 そう結論付ければ、彼の行動は早かった。


「ロズワグン、これから私が行う事が許せぬならば、殺すが良い。だが、それは事が終わってからにしてほしいのだ」


「何を言うておる?」


 突然の言葉にロズワグンが問い返した。

 座り込んでいる征四郎だったが、ロズワグンも屈んでおり顔は近い。

 意を決して征四郎は、身を起こして、ロズワグンの肩をそっと掴めば、有無を言わさず唇を奪った。

 目を見開くロズワグン。

 狐に似た耳は驚きからかピンと立ち、それからふるふると震えた。

 そして、征四郎が戦慄く唇の隙間に舌を差し込み、己の血を彼女の口内に流し込む。

 一瞬だけ、舌と舌が触れ合い、離れる。

 二人の舌先を繋いだのは運命を表す赤い糸。

 それもすぐに途切れてしまった。


「な、な、なっ……!」


「見えるか、私の言った影が!」


 あまりの事に怒れば良いのか、泣けば良いのか、或いは喜ぶべきだったのか判断の付かないロズワグンはわなわなと震えていたが、照れ隠しか何かは分からないが鋭い征四郎の言葉に振り向き……目を見開いた。

 確かに蛇頭人身の影が一方を示している。


「ジーカの地に住んでいたであろう呪術師だ、彼等の導きに従えば目的の場所に向かえる!」


 征四郎はそう告げながら、壁に手を当ててノロノロと立ち上がった。

 ロズワグンは口内に広がる鉄錆めいた味に今更ながら気づき、これが何かの呪術だった事を悟った。


「お、乙女の唇を奪いおってからに……。責任は取ってもらうぞ、セイシロウ!」


「生きて戻れば、責任でも何でも取ってやるとも。だが、今は……聖騎士殺しの法を得るが先決だ」


 生きて戻れば。

 その言葉の重さは言った当人も言われた者も理解していた。

 だから二人は、すぐに呪術師の影が示す方角へと進みだす。

 が、ロズワグンはすぐに立ち止まり、少し待てと言い放てば、意識を集中させる。

 そして、己の放ったスケルトン・ウォーリアーの存在を感知し、半数以上減っているが、まだ戦っている事を知覚した。


「既に半数は倒されている、急ごう」


 そう言って、征四郎に肩を貸してロズワグンはまた進みだした。



 一方のエルドレッドとキケは、暮れなずむジーカの外壁近くにいた。

 四方の外壁の四隅にある尖塔が気になったからだ。

 だが、中央から響いた衝撃音に気付けば、探索の手を止めた。


「何だ!? まるで砲弾がさく裂したか、衝撃の破壊魔法のような音がしたぞ!」


「衝撃……。――そう言えば、副長。ホレスの陣を襲撃した聖騎士は衝撃波を用いたとか」


 キケの言葉を聞いたエルドレッドは、慌てて中央に向かおうと走り出そうとした。

 途端にキケの叫びが飛ぶ。


「副長! 危ない!」


 エルドレッドは上空より迫った殺意に反応して盾を振るって、己の顔に迫っていた鉤爪を払った。


「痛っ! やるじゃないか、剣士!」


 上空の存在は、そう笑いながら高く舞い上がった。

 響いた声は女の物であったが、その姿は到底、人の物では無かった。

 両腕に当たる部分には羽毛に覆われた翼が。

 顔と胴体部分は人のソレだが、足もまた羽毛に覆われ、その先端は鉤爪の鋭い猛禽の様な足であった。

 ハルピュイアだ。


「ジーカには、ハルピュイアもいるのか……!」


「強い雄は勿体ないけどねぇ……盗掘者には死んでもらうよ!」


 再び迫る上空からの一撃。

 その鋭さ、上空からの攻撃と言う不慣れな条件に、エルドレッドとキケは互いが互いを補わねばならなくなる。

 鋭い一撃を避けて、剣を振う頃には上空を飛ぶハルピュイア相手に、エルドレッドもキケも容易に中央には向かえなくなった。



 ロウとスクト、それにマウロとアゾンの四名は、中央広場の奥にあった神殿とも居城ともつかぬ巨大な建物の内部を調べていた。


「先生は大丈夫だろうか?」


「アゾンは心配し過ぎなんだって! 疲れが出ただけだろう?」


 オークは図体に似合わず征四郎の身を案じており、小柄なマウロが励ます様な図式は、最近の定番だ。

 オークのアゾンはオークとしては慎重すぎる様子を何度か見せ、マウロは小柄な体に似合わず大胆でポジティブな意見を良く口にした。

 この凸凹コンビは一行にとって、一服の清涼剤の様な役回りを担っていた。

 ロウはそんな二人を微笑ましく見ながらも、師の痕跡が無いかを注意深く探った。


 四人が行きついたのは四階建ての建物の最上部だ。

 三階まではそれなりの数の部屋があったが、最上部には一部屋しか無かった。

 長い壁の真ん中にポツンと扉がある光景は、異様。


「あからさまですね」


 スクトが冷静にそう呟き、扉に手を押し当てた。

 見かけ以上の怪力により押し開かれた扉の向こうから差し込んできたのは、沈みゆく夕日の光。

 赤く染まりながら部屋の内部を素早く確認するスクトの動きが不意に止まる。


「如何した?」


 問いかけながらロウは伺う様に部屋の内部を覗き見ると……。


「師匠!」


 部屋の真ん中で倒れ伏した鳶色の髪を背後に結わえた女が横たわっているのが見えた。

 あの服装、あの髪の色、間違いなく自分がこの世界に来た時に迎え入れてくれた師匠だと慌てて駆け出したロウを、アゾンが後ろから羽交い絞めにして抑え。


「よく見ろ!」


 鋭く叫ぶ。

 上下左右とマウロが代わりに見渡して、上を見上げた時にうひゃっと奇妙な悲鳴を上げた。

 部屋の上部には、信じられないほど巨大な蜘蛛が巣を張って、虎視眈々と獲物が真下に来るのを待っていた。


 ロウもその状況に気付き、唖然とした。

 師匠は生餌としてそこに居るのか、既に事切れているのか……。

 不安と焦燥が彼の胸中で荒れ狂う。

 その様子を、スクトは何とも言えぬ視線で一瞬見つめてから。


「突貫します、援護を」


 そう、アゾンとマウロに告げてゆったりとした歩みで部屋の内部へと入っていく。


「え、ちょ……っ!」


 慌てるマウロだったが、その言葉が不意に途切れる。

 凄まじい速さでスクト目掛けて落下してきた蜘蛛の複眼の在る辺りを、彼女は落下速度を上回る回し蹴りを叩きつけて、壁に巨大な蜘蛛を吹き飛ばしたのだ。


「――これさ、何を援護するの?」


「ロウさんの保護、では?」


 マウロの問いかけに呆然とアゾンが応える。

 巨大な蜘蛛は、伝説上の生物だったのか、ただの巨大生物なのか不明なまま壁に叩きつけられて、死んだ。


 ともあれ、ロウは横たわる師匠の傍に赴く。

 うつ伏せの師の身体を抱き起し、仰向けにする。

 酷い有様も覚悟していたが、師の顔立ちは十年前に出会った時からさほど変わらぬ美しさを保っていた。

 だが、その体は冷たく、既に事切れている事は明白だった。


「師匠……ミールウス師匠」


 ロウは目頭が熱くなり思わず師の名を呟く。


「おう、呼んだか、馬鹿弟子」


 不意に部屋の奥から声が響くと、茶褐色のローブを纏い、鳶色の髪を背後に結った年の頃が十歳くらいの少女が姿を見せた。


「――誰です?」


 スクトが怪訝そうに問いかけると、少女は天を仰いで言いやった。


「生みの親だぞ、ボクは。馬鹿弟子を馬鹿弟子と呼んで良いのはボクだけだし、お前さんの生みの親もボクだけだ」


「……冗談はその性格だけにしてください、何ですか、その姿」


 感動の再会と言うよりは、頭が痛そうに額を抑えたスクトが呻くように告げる。


自動人形オートマータだからな、前の身体が壊れたら換装するだろう? ジーカは元々生まれ故郷だったし」


「聞いてませんが!」


 飄々と告げるミールウスに対して、スクトは思わず声を荒げた。


「なにこれ?」


「世の中広い」


 マウロとアゾンは状況に付いて行けているのか不安になりながら、それぞれ所感をぼそぼそと告げていた。


 ロウが、幼い姿のミールウスを見つめて、何かを告げようとした途端に響いたのは……衝撃音。


「この音……先生と戦った聖騎士が放った衝撃音に似てる!」


 ハッとしたアゾンの言葉に、ロウは即座に頭を切り替え。


「征四郎さんの所に戻ろう!」


 そう判断を下す。

 その一瞬の切り代わりに、ミールウスは微かに目を瞠って、それから弟子の成長が見て取れて嬉しかったのかゆっくりと頷いた。


「――で、セイシロウって誰だ?」


 それから不意に小首をかしげて、彼女からすれば至極当然な問いかけを放った。


【第三十七話に続く】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る