第十八話 それぞれの過ごし方

 征四郎とロズワグンはトヌカの騒乱を切り抜けて、聖騎士となったロズワグンの弟グラルグスやロニャフの巡回騎士達、それにトヌカのロウとメイドのスクト、衛兵だったマウロを共に一路ジーカを目指して川を下っていた。川下りの日々は平穏な物でもあったが、その間でもグラルグスは誰が強敵となり得るか一人目算していた。



 スルスリ川を南下する船旅を始めて既に十日は過ぎた。

 揺れが無いため外洋を行く船に比べれば快適と言えたが、風を受けて走る事は稀で、ゆったりとした速度で進む為、手持無沙汰になる事も多い。

 川を進む船は旅客船でもそこまで大きなものではなく、二、三日毎にに川辺の街に立ち寄り物資の補給や天候の状況の確認などを行っている。

 ディルス大陸の南北の繋ぐスルスリ川の流れは雄大で、その長さには果てが無いように思えるほどだ。

 故に、川辺の街は行き交う船の補給基地としての役割を与えられて、発展を続けていた。

 

 立ち寄った川辺の街で一日休み、次の街まで二、三日掛けて進むと言うのが一般的な旅客船の運行スタイルで、征四郎一行が乗ったこの船も同様だった。

 総勢九名の旅客が乗れば、船の客の半数は埋まったも同然と言う程度の旅客船の速度は緩やかで、馬で走破した方が早く目的地に付けるのではと錯覚しかねない。

 だが、街道はスルスリ川の様に概ね真っ直ぐではないし、多くの国の国境を超える事になる。

 一人旅、ないし二人旅ならばそれも良いだろうが、この大所帯で、尚且ついわくつきの聖騎士やら巡回騎士やらが供となれば、嫌でも目立つ。

 故に彼らは川を下る以外にはなかった。

 例え、時折スルスリ川にならず者が出ると言う噂を聞いて居たとしても。



 雄大なスルスリ川の向こうには低い山々が連なり、沈みゆく夕日がその山々を赤く染め上げていく。

 自身の顔も赤く染めながらロズワグンは一人、船べりに座り夕日と山々を眺めていた。


「宜しいでしょうか、カムラ様」


「ロズワグンだ。今の余はそれ以上でもそれ以下でもない」


 呆けたように山々を眺めていたロズワグンに声を掛ける者が在った。

 彼女が近づいてくる足音を頭部の狐に似た耳で捉えていたロズワグンに驚きはない。


「失礼しました。それではロズワグン様、弟様の事ですが……」


「何か、異常が?」


 ロズワグンが振り返れば、ロズワグンと同じく赤く染まったクラーラが立っていた。

 物静かで、何処か暗い影が付いて回るこの女は、片目を前髪で隠していながらその素顔が美しい事は容易に見て取れる。

 神秘的と称しても良い雰囲気に似合った術師であり、主に隠行と探査に秀でている。

 巡回騎士団付の術師であるので、直接的な戦力ではないが、戦闘支援を得意とし、今も聖騎士グラルグスを探すクラッサの術師の追跡を寄せ付けていない。

 その彼女が弟グラルグスについて話があるとすれば、大事かと思わず身構えるロズワグン。

 だが、告げられた言葉は全くの予想外の物であった。


「姉であるロズワグン様にお伺いするのも憚られますが……お付き合いなさっている方などございましょうか?」


「――は?」


 一体何を言っているのだろうかと、ロズワグンは質問の意図が汲み取れず、間抜け面を晒して小首をかしいだ。

 クラーラは気恥ずかしげに得物である杖を握ったり、絞るように指先に力を込めながら視線を彷徨わせ。

 それから意を決したように隻眼をロズワグンに向けた。


「短い時間、弟様と接してきた訳ですが、どういう訳か、ここ数日どうしても気になってしまい、不躾とは思いましたがご質問させていただきました」


 クラーラの亜麻色の髪も顔も夕日を受けて赤く染まっていたが、顔の赤みはそればかりでは無い様に感じ、ロズワグンの胸が少し痛む。

 彼女とて知っている筈だ。

 この旅路の向かう先が、弟の死である公算が高い事を。


「――弟は昔からモテたが、特定の女性と付き合ったことはない筈だ。剣の修練に明け暮れていた。……のぅ、クラーラ。貴公は、その」


「――左様でございますか。左様で……。――分っておりますよ、ロズワグン様。でも、その時が来るまでは、宜しいではないですか」


 クラーラの言葉にロズワグンは黙り、そしてそうかも知れぬと小さく頷きを返した。

 その胸の内に、燃え上がる情があるのならば、何も無碍にする事は無い。

 男尊女卑の観念が強い国で生まれ、抗う様に育ったロズワグンはそう思うのだ。


 

 征四郎は非常に硬くそれでいてねばりのある木材をロズワグンよりの借金で買い、適度な長さに加工して貰った木の棒を片手に稽古していた。

 この木材を木刀としたのであるが、これが真剣より重い。

 示現流の者達が使うと言うユスの木とやらは、この様な木の事を言うのだろうと征四郎は木刀を振りながら思う。

 征四郎が稽古を始めると、水夫たちは首を竦めてそっと離れて見守る。

 空を切る音すら威圧的だからだが、強さに対して憧憬染みた憧れでもあるのか、ついつい手を止めて見入ってしまうようだった。

 より顕著なのは、連れの男達だ。

 何処からともなくやって来ては、真剣な目で征四郎の素振りを見据えた。

 如何に打ち破るのかを算段している様でもある。

 マウロまでそうなのだから、何とも可笑しなものだと征四郎は胸中で苦笑した。

 征四郎が船上ですら素振りを行うには、師の言伝があるからだ。

 征四郎の師である方喜かたよしは、征四郎が出征する際に言ったのだ。


「神土、良く聞きなさい。如何なる場所であろうとも剣を振る事を続けておれば、剣は何れ必ず身に付く。身に付いて初めて剣は多くを語り掛け、その秘を打ち明ける。更に精進を重ねれば、極意は自ずとやってくるものだ」


 と。

 故に征四郎は剣を振り続ける。

 未だ極意に届いていないと言うのが、彼の考えであるからだ。

 船上であっても小動もしないトンボの構えから放たれる斬撃に鋭さは、いなづまの如く。

 これを一度見た船長は、彼が乗る限り、ならず者に襲われたところでこの船は安心だと笑ったと言う。


 征四郎が稽古を終えれば、男達は去っていき、思い思いの行動に戻る。

 現金な奴らだと、額の汗を袖で拭えば、不意に声を掛けられた。


「お疲れの所申し訳ないのですが……」


 そう告げたのはロウだ。

 その背後にはメイドのスクトが控えて、周囲を警戒している。

 宜しければと木製のカップに注がれたワインをロウは差し出して、征四郎は助かると言って受け取った。


 ワインと言っても征四郎の知るロニャフ系のワインよりもずっと甘くアルコール度数も低い。

 これを水で割って飲むのがこの周辺、大陸中部の基本的なワインの飲み方だった。

 サンロスと言う国が主として造るワインの製法で、糖分の大部分をアルコールに転化しているロニャフ系のワインに対抗して、サンロス系ワインと呼ばれていた。

 エルドレッドなどは甘すぎるなどと言って、このワインは口にしなかった。

 

 ともあれ、征四郎はブドウジュースの様なワインを受け取り、喉を潤すと改めてロウとスクトを見やった。

 黒い髪に黒い瞳、黄色味がかった肌の東洋人としか見えないロウと、銀色の髪を背後で一つに纏めた冷たい眼差しのスクトは、対照的にも思えた。


「実はですね、僕の事を話しておこうかと思いまして。正確には僕とスクトについてですが」


 そう語り始めたロウの言葉を遮る様に、水夫の怒鳴り声が響いた。


「商船札を上げない船が近づいて来るぞ!」


 途端、ズドンと言う征四郎が聞き知った……正確にはもっと小口径のものだが。

 聞いた事がある様な物音が響いた。


「銃……か」


「火縄ですが。岩妖精ドワーフだけが工廠こうしょうを持っており、彼等と同盟を結んだ国に売られています」


「くそっ! 連中撃ってきやがったぞ!」


 征四郎の呟きに、緊張した面持ちに変わったロウが捕捉する。

 水兵の危険を知らせる言葉が響く中、火縄なぁと小さく口の中で征四郎は呟いて、それからロウとスクトを見やって告げた。


「とりあえず、連中を沈黙させてから話をしよう」


 落ち着きを払った物言いに、ロウは苦笑を浮かべながら、スクトは呆れた視線を投げかけながら、頷くしかなかった。


【第十九話に続く】

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