第4話 記憶と殺意
くちゃくちゃと、神経に障る
「……さて、次はお前だけど」
ぴちゃぴちゃと鈍い水音を立てながら、魔者が近付いてくる気配がする。
「その前に、今の気分を聞かないとね。一番大きい感情は何だ? 怒り? 憎しみ? 哀しみ? 無気力というのもあったかな?」
笑うでもなく、興味が赴くままに紡がれる言葉は、けれど少しも頭に入ってこなかった。
(俺のせいだ……俺が……)
あの、眩しい程に無垢で優しかったテュシアを、好きになったから。
(彼女を、好きにならなければ……)
魔者に目を付けられることもなかったはずだ。そうすれば他の、何年もいる古参の人間たちのように、静かに息を殺して長く生きられただろうに。
「目の前で愛する者を喰われたら、人間は次に何をするのかな? 反応しない……のは、まだ時間が要るってことか?」
考察するような響きが、虫唾が走る。死んでしまえ。と思った。
「もう少し待つべきか? なら、先に呪いを施すか」
「……?」
頭上から降る呟きが何を意味するのか分からず、ストルギが目だけで上を見上げた時、右の目の前に鋭い爪の伸びた血塗れの指の先が現れて、
「ッ!?」
視界が真っ赤に弾けた。
「ッァぁ嗚呼あああぁ嗚呼!?」
傷口に指を突っ込むような激痛が走り、次にはプチッと何かが千切れるような音が頭蓋の奥で響いた。何が起きたのか分からず、けれど右目がガンガンと鐘の中心にいるように煩く痛み、両手で押さえてのたうち回る。
(い、たい痛い痛い痛い痛い痛いいた――)
◇
「こんなことで気絶するの? しまったなぁ、順番を間違えた」
痛い。
「今の感想と次の行動を見たかったのに」
右目が痛い。
「まぁいいか。さて、これを誰に与えようか」
意識が朦朧とする……。
「楽しみだなぁ。これは面白い実験になる。感情の向きを操るんだから、相手は慎重に選ばないと」
◇
少し離した両手は血だらけで、焦点がまるで合わなかった。目を開けたはずなのに、いまだ夢の中のような、水の底のような。
「……から、好きに使っていいよ。でも、決して殺すな」
遠く近く、誰かの声がする。気配は、二人分だろうか。一人が、小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「お前の人間好きにも困ったもんだな。あんな閉塞した狭い一族の中に居座って、何が楽しいんだ?」
「狭いからこそ面白いんじゃないか。世界が凝縮してるというか。とにかく、僕が観察すると決めた対象だからね。次の行動を起こすまで死なせてもらっては困んだ」
「まぁ俺も、人間の体をいじくるのは好きだけどな。本当は、同族どもが体を貸してくれればいいんだが」
「君の猟奇的な実験に付き合う物好きなど、魔者の中でもいるものか」
皮肉な物言いに対し、もう一人――館の主ぶある魔者アナリュシスだと、あとで気付いた――が呆れたように嘆息する。
「今までも人間を与えてやったんだから、君には僕の望みを聞く義務があるよ」
「あー、うるせぇな。死なない程度に改造するように気を付けりゃいいんだろ」
「あぁ、気が付いた?」
魔者が、やおら声を掛ける先を変える。それが自分だと気付くよりも先に、楽しそうな声が続く。
「お前の勤め先を変えるよ。これからはここで、新しい主に仕えるんだ。でも、僕を殺したくなったらいつでもおいで。待ってるよ」
(待つって、何をだ……?)
思考するが、何にも辿り着かない。そもそも、体が動かないのだから、怖くても逃げようもなかった。
◇
新しい主を見たのは、何日も気を失った後だった。二足歩行の
だが環境は明らかに悪くなった。自分の血を見ない日がなかったからだ。
洞窟のような薄暗いあばら家の奥で、更に檻に入れられて鎖に繋がれた。毎日のように魔者が作ったという薬を飲まされ、肉を削がれ、骨を抜かれた。
テュシアを殺してしまったことを嘆くことすら――否、思い出すことすら、最初はできなかった。
新しい魔者の口癖は「死なないように、死なないよーに」で、それを聞く度に死を覚悟した。
繋がれた鎖の最も弱い箇所を壊すことが出来るようになったのは、それから何年も――恐らくだ。あの家に、日にちを数えるという概念はなかった――経った後だった。魔者は子供のように喜び、今度は魔者に応用するためにと自分自身を実験台にした。
檻を壊すことができた日には、魔者は「次は別の種族でも実験しようかな」と嬉しそうに呟いた。殺そうとしたが、一日中追いかけっこをした挙句、半殺しにされた。
「殺さない約束だけど、もうそう簡単には死なないから大丈夫だろ」
自分の血溜まりに沈みながら、魔者の「
「いかれた阿呆が、愛が愛がとうるせぇからな。お前の力は全部、体内皮膚接触方式にした。存分に愉しめ」
殺してやる。と思った。
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