【弐】弐

「これより、さらに人を選ぶ」

 とある一柱の神が告げる。

 神達は、三十人はいようと言うざわめく子供の中から三人を選び取った。

 カグヒメもその一人として選び出される。

「他の者に用はない。元の場所へと返してこい」

 先程から場を仕切っているらしい神が、冷たく言い放った。

「お前達は、我等と共に来るのだ」

 身を翻して、神は森の中を進んでいく。

「ほら。早くしないか」

 別の神からも後ろから命じられ、カグヒメ達三人は渋々と歩き出した。

 ――あんなにいた中から、更に三人だなんて……。こいつらの判断基準はいったいなんなんだ……?

 前後の神々をちらりと盗み見ながら、足を進める。重苦しい沈黙の中、辿り着いた先は無数の巨石が転がっている場所だった。

 ――こんな場所に何が……。

 カグヒメは不思議に思ったが、よくよく見れば石には注連縄が張られている。何かを取り囲むように、一巡していた。

 ――何か……いるのか?

 しかし、注連縄で取り囲まれた先には何も見えない。どんなに目を凝らしても、ただ巨石に注連縄が張り巡らされているだけである。

 とは言え、カグヒメは先程から何かに見られているような感覚が拭えなかった。

 注連縄の向こう、そのどこか。

 背筋にピリピリとしたものを感じる。熱風を受けたような痛みが、体に纏わりついている。

 一柱の神が進み出た。その腰にいている剣を抜くと、一息に一ヶ所の注連縄を断ち切る。その瞬間、バキッと鈍い音を立て巨石が割れた。注連縄が一瞬にして燃え上がる。

「ひっ!」

 突然の出来事に、思わず引き攣れた声が零れた。

 ――やっぱりここには、何かいるんだ……。

 カグヒメの背筋を撫でる張り詰めた感覚がいや増す。

「ここに横一列に並ぶのだ」

 淡々とした声音で命じられ、強張った体をなんとか動かし、指示された通りに並び立つ。

「仇子よ。こちらに来い」

 神は巨石の向こうに声を掛けた。

 巨石に囲まれた中央で膝を抱えてうずくまっていた迦具土が、ふらりと立ち上がる。頼りない足取りだ。何かの拍子に、どこかを燃やしはしないかと、神ははらはらする。

 迦具土は幼い外見をしている。精神年齢も外見とさして変わらないはずだ。どんなきっかけで、何をしでかすかわからない。結界を解いただけで、巨石を割り、残りの注連縄を一瞬にして灰にしてしまうほどの力の持ち主である。

「仇子よ。これがお前の新たな魂の器となり得る可能性を持つ者だ」

 迦具土は告げてきた神を見、次いでカグヒメ達を見詰める。

 三人の顔を順繰りに眺めて、迦具土は不思議そうに頭を傾けた。そして再び神々の顔を見遣る。

「器はお前が選ぶのだ」

 抑揚なく告げられ、迦具土は再びカグヒメ達三人の方を顧みる。緊張して固まっている三人の元へ、ふらりと足を進めた。

 最初の子供の前に立つ。男児で、五つ六つくらいの年頃の身長は、迦具土と同じくらいだ。

 迦具土はその子供に手を伸ばす。指先が男児の喉に触れた途端、その先から真紅の炎が溢れ出した。

「わあああぁぁぁぁあっ!?」

 突然の出来事に男児から悲鳴が上がる。

 炎が子供の全身を包み込んだ。しかし、それは一瞬にして四散する。炎が消えて、男児はすとんと糸が切れたように座り込んだ。呆然とし、数回瞬きをしたのち、わっと火が点いたように泣き始める。

 迦具土はそんな子供を覗き込むように、身体を傾けた。そしてふいと、視線を次の子供に向ける。こちらは女児だ。泣きじゃくる子供を見て愕然としている。

 やはり覚束ない足取りで近づいた。じっと彼女を見詰める。

「……」

 手を伸ばしながら、ぼそぼそと微かに口許が動く。しかし、なんと言っているかは判別がつかない。

 迦具土が喉元に触れると、やはりその先からは炎が溢れた。女児が悲鳴を上げ、そんな彼女の身体を炎が包み込む。こちらは先程よりも長く燃えていたが、やはりふっと掻き消えてしまった。

 迦具土はまた首を傾げる。何かが違うとでも言った様子で、拗ねたように口を尖らせた。

 暫く呆然としていた女児もやがて目に涙を溜め、息を詰まらせながら泣き始める。

 突如炎が燃え盛る光景を二度も目の当たりにして、カグヒメはごくりと固唾を呑んだ。

 ――次は……最後は、私だ。

 迦具土がふらりと近づいて来て、カグヒメの前に立つ。

 カグヒメには彼の姿は視えない。だが、目の前に何者かがおり、自分を見詰めているのは分かった。足が竦む。抗えない大きな何かを目の前にしているような気分だ。心臓がざわざわと揺れる心地がする。

 迦具土が彼女に一歩近づく。カグヒメは本能的に一歩後ずさった。

 ぼんやりと右手が伸ばされる。その指先がカグヒメの喉に触れた。刹那、炎が溢れてカグヒメを包み込む。

「あ……っ!」

 思わず目を瞑り、両腕を顔の前に翳した。

 悲鳴を上げようとしたが、それは口を通って自分の中に流れ込んでくる何かに塞がれる。

 真夏の日差しが体の内側から照りつけているようだ。胸をじりじりと焦がされる。四肢の末端まで、血液とは違う熱いものが駆け抜ける。

 どくどくと鼓動の音が耳元でうるさい。呼吸が詰まる。

「うっ」

 胸が苦しくなった。喘鳴が口から零れる。身体を二つに折って膝から崩れ落ちた。

 炎に包まれて苦しそうに喘ぐカグヒメを、神達は黙って見ている。

 自分はここで死んでしまうのだろうか。こんな、どことも知れぬ森の中で、炎に包まれて。

 考えるだけでぞっとする。

 死にたくないと心が叫ぶ。

 ――嫌だ。死にたくない。……死にたくないっ。

 迦具土の真紅の炎に混じり、カグヒメから青い炎がちろりと燃え始めた。

 脳裏に幾つもの顔が浮かんで消える。

 じい様、ばあ様……父様……っ。

 浮かぶ涙は、すぐに炎に焼かれてしまう。

 ――母様っ!!

 刹那、ぶわりと青い炎が膨れ上がり、真紅の炎を包み込む。炎と熱風で煽られたカグヒメの黒髪が、一瞬黄金色に輝いた。

 カグヒメの胸の奥で、ざわりと何かが身動ぐ。

 ――か……さ……。

 耳の奥で何かが囁く声を聞いた。

 その瞬間、溶け込んでいくかのように炎が消える。

 先程までの苦しさが霧散した。じわりと体の芯に吸収されていくような心地がする。

 カグヒメはよろよろと立ち上がり、ぼんやりと辺りを見回した。

 身体はどこも痛くない。

 傍に立っていた神達は、とても嬉しそうに口許に笑みを浮かべていた。その内の一柱が一歩進み出る。そして、厳かに告げた。

「半人半妖でありながら、先祖返りである者達よ。お前達は仇子を宿す資格を得た。お前達は『とど』める『生き物』として、『禁生きんき』と呼ぶ」

 そして、次いで神はカグヒメを見遣る。

「禁生の中で仇子を宿した者、お前は『檻子おりこ』だ」

「……檻?」

 何を言っているのか分からない。熱に浮かされたように、まだ頭の中は夢見心地でいた。

「そして仇子よ」

 カグヒメを見据えたまま、神は語り掛ける。

「もし仮に檻が朽ちることあらば、お前は禁生の中から新たな器を選び取れ。夢枕に立ち、新たな宿り主を見定めよ」

 カグヒメは水中で音を聞くように、ぼんやりと響くその言葉を聞いていた。相変わらず、神の言うことは理解できない。しかし胸の奥で、何かが神の言葉に応じるように、もぞりと動いたような気がした。

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