【弐】

【弐】壱

 どのくらい時間が経ったのか。雲なのか霧なのか分からない、白い靄が掛かった空間をずっと進んでいる。

 不意に男は下降を始めた。やがて足下に木々が近付き、地面に降り立つ。そこはどこかの森の中のようだった。自分が住んでいる森とは違う。まだこの森の葉先は青々としていた。

 カグヒメはきょろきょろと興味深そうに辺りを見回す。だが、そんな余裕を与えず、男は彼女をどこかに引っ張って行く。

「離せ! 逃げない!」

 カグヒメは今度こそ男の手を振り払った。相手は少し驚いたように目を瞠って彼女を見る。しかし、すぐに視線を前へと戻した。

「……集めてるって言ってたけど、何をするんだ?」

 男の背中を睨みつけて、カグヒメは訊ねる。向こうは暫し沈黙したのちに、口を開いた。

「人の身では器がもたない。かと言って、あやかしどもの器に預けるつもりはない。故に、お前達のような者に白羽の矢が立った」

 どうにも要領を得ない回答だ。カグヒメは口をへの字に曲げながら、別の問いを投げ掛けた。

「私達のような者って、どう言うことだ?」

 相手は振り返った。その目は据わっている。

「決まっている。人にあらず妖に非ず、人と妖の混血児である為に、どこにも属さないお前達のような者だ」

 声にとげとげしさを感じた。一層冴え冴えと冷たくなった視線に、ぐっと拳を握る。

「突っ立っているな。我は急いでいる」

 男は進行方向に向き直る。再び歩き始めたその背中を見詰めた。カグヒメはため息と共に視線を足元に向ける。

 相手が人だろうが、妖怪だろうが、神だろうが……。

「……結局、どこに行っても、嫌われるのは同じか……」

 木々のざわめきに呟きは掻き消された。一つかぶりを振ると、前を行く男を追い駆ける。それ以降、ずっと会話はなかった。

 連れて来られた場所は森の中の開けた場所で、子供が沢山集められていた。

 年齢は様々。カグヒメより年かさの者もいれば、年下もいる。カグヒメ同様急に連れて来られたのか、泣きじゃくっている子供もいた。

 なるほどと、カグヒメは納得する。

 直感でわかる。ここにいる子供は、見た目こそ普通の人間のようだが、全員カグヒメと同じ半人半妖の者達だ。

 ――それをこんなに……、本当に何をするつもりなんだ……?

 呆然として立ち尽くしていると、横から誰かがカグヒメの顔を覗き込んだ。装束は彼女を連れてきた男に似ているから、神なのだろう。値踏みするような視線はこの神も同様だった。

「ん~?」

 神は訝しげに眼を細めながら、カグヒメに訊ねる。

「お前は確か、山代やましろのどこぞの山に住む白狐の娘で相違ないな?」

 カグヒメは黙って小さく顎を引いた。

「お前の父親は、……人の子で相違ないな?」

 一瞬躊躇った素振りを見せたのち、神は再び訊ねる。やはり彼女は首肯を返した。すると神は、ますます怪しそうに眉をひそめる。

「しかし……お前は白狐と人の子の他に何かあるな……お前はなんだ」

 ――なんだって……。

「私は……私だ」

 返答に困った末に、そう答えた。と言うよりも、それ以外に答えようがない。

「お前がお前であるかなど訊いていない。お前は白狐か? それとも人の子か?」

「そんなこと……」

 わかるわけがないじゃないか。

 自分は白狐でも、人間でもない。半端者なのだ。そんな立場の子供を、神達は集めていたのではなかったか。

 そんな立場だからこそ、カグヒメは森に住んでいる。父が暮らす麓の村では、半人半妖のカグヒメは、村人達からの風当たりが強いからだ。祖父母と共に村に下りるのは、寒さが厳しい冬の時期だけである。

 ――始祖。

 不意に、耳の奥で祖父母が自分を呼ぶ声が甦った。

 そうだ。以前どうして祖父母が自分をそう呼ぶのか、訊ねたことがある。あの時なんと言っていただろう。あの時……。

「どうした。早く答えないか」

 少し苛立たしげに神が言葉を促す。

「始祖……」

「なに?」

 カグヒメの呟きに、神が怪訝そうに眉根を寄せた。

 そうだ。思い出した。

「私のじい様やばあ様は、私を『始祖』と呼ぶんだ。なんでかって言うと、父様の家の先祖には天狗がいたって話で……」

 それを聞いた途端、神の顔つきが厳しくなった。

「つまり……お前はただの混血児ではなく、先祖返りだと?」

「……そんなことを、じい様とばあ様は言っていた」

 神の表情に、カグヒメは気圧されながら頷いた。だが実際のところ、カグヒメ自身は先祖返りがどのような物なのか知らない。

「そうか……お前のような者が……いるのか」

 ぼそぼそと呟きながら、神は何か思案する素振りを見せる。

「暫しそこで待て」

 そう告げると、神はどこかに行ってしまった。

 今度は何をしに行ったのか。首を傾げる。

 どことも知れない森の中を歩き回ることが危険であると、カグヒメは分かっていた。だから、じっとその場に立ち尽くす。

 カグヒメは、自分の両の掌を見下ろした。何度か開いたり握ったりを繰り返す。

 この手からは炎を出すことができる。狐火だ。でも、それ以外にカグヒメが持っている妖らしき特徴は殆んどない。せいぜい、聴覚が優れていることと、怪我の治りが早いことくらいだ。

「天狗は翼を持ってて、空を駆けるらしいけど……」

 自分の背に、急に翼が生えるなどと言うことが起こりでもするのだろうか。そして空を駆けるなどと、そんなことが起こり得るのだろうか。想像もつかない。

 確かに自分が住む山には、神と呼ばれるほどの天狗が住まうと聞く。

 父の家系は昔から山と村を行き来して生活しているらしい。

 だから先祖に天狗がいることについて、カグヒメ自身は特に疑問に思わなかった。だからこそ、父と母は出会うことができたのだと、カグヒメは考えているからだ。

 しかしだからと言って、どうしてカグヒメが「始祖」と呼ばれなければいけないのか。どんな根拠からそんな呼び方をされているのか、カグヒメ自身は分かっていない。

「静まれ」

 巡らせる思考を遮るように、唐突に声が響いた。カグヒメははっと顔を上げる。

 広場に集められた子供を取り囲むように、神々が並んで立っていた。

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