5.辛いのは君らじゃなくて呪いのせいだから!

 剣闘士の男、ブレーズはすぐに剣を振り下ろす。直前、ニルスは感覚が消え去ったのを確認してすぐ横へ跳ぶ。

 ブレーズの剣を危なげなく躱し、そして攻撃へ転じる。が、しかし腕は動かない。 

 ニルスとてこうなることは分かりきっていた。ただアシュレイの、「恐い」と言った戦い方はもう二度とするものかと決めていたのだ。


 いくら呪いだろうがまともに攻撃できなくて何が冒険者だ、とかつて自分を笑った鍛冶師達の顔を思い出して自身を鼓舞した。


 そんな動きの止まった彼をブレーズが斬る。慌ててニルスが剣で受けるものの、体格差もあって地面に押さえつけられるようにブレーズは体重を乗せてくる。

 ニルスは辛うじて剣で力を逃がしながら体をひねって抜け出す。次の瞬間、男の剣が地面と当たることによる地響きが起こる。


 モーション大きく反動を受けるブレーズに一撃をお見舞いする最大のチャンス。しかしニルスの剣はやはり動かない。

 そうしていると再び彼からの一撃。それを避けて力を込める。それでも攻撃は、できない。


 そのようにして試合は進展のないまま、試合時間の半分が終了した。


「やる気あんのかー!」


「とっとと決着つけろよ!」


 観客もそんな退屈極まりない試合を観戦しにきたわけではない。そんな野次を聞いてか、ブレーズはようやくその巨体を動かし、地を揺らすことでニルスの動きを止め、彼を蹴り地面に押さえつけた。

 その演出にどっと歓声が上がる。


「殺してしまえ!」


 誰かが叫んだ。さらに周りが同調するように伝染するように次々に叫びだす。それを聞いたブレーズは望み通りにしてやろうとばかりに錆びついた刃をちらつかせる。

 そしてニルスに押し付けられる刃先。ブレーズ違和感を感じたのはそんな時だ。


 指先にまるで針でつくような僅かな痛みが訪れた。顔を顰めるものの、原因の探りようもなく、結局ブレーズは気にすることをやめた。


 その隙を見てニルスは逃げ出そうとするが腹部を足で押さえつけられてしまう。その瞬間、先ほどよりも大きな痛みがブレーズの足に響く。

 その奇妙な感覚を不思議に思いながらも、ニルスが逃げられないようにその剣先を足へ振り下ろす。


「ぐあああっ!」


 切れ味の悪いそれでは一度で肉を断ち切ることはできない。そのためブレーズは再び剣を振り上げ、何度も足へ斬撃を叩きつける。その度にニルスは苦痛に叫んだ。

 その様子で観客はようやく荒立ちも収まって喜びの声を上げた。すると、


「あああああッ!」


 ニルスが一際大きな声で鳴いた。ついに足は切り離され、その場から動くことができなくなった。続いて男は身動きの取れなくなったニルスの胴に剣を叩き込む。

 再び腹から絞り出すような苦悶の声が上がる。剣闘士は体を分断すべく刀剣を打ち続けるも、徐々に先ほどから無視を決め込んでいた違和感が大きくなっていく。


「つっ……」


 男は突然斬り込むのを止め、ニルスを見つめた。眉間にはしわが寄っている。憤怒しているのではなく、ただただ不気味だという表情だった。


「おい、どうした」


「さっさとぶった斬っちまえ!」


 観客の野次は男に聞こえていない。彼はそのまま剣を投げ捨て、踵を返して会場から去っていく。

 ざわめく観衆。彼らからしてみれば一瞬の出来事、ブレーズが自身の勝利が見えた試合を分けもわからず放棄したようにしか見えないだろう。


「何が起きたんだ?」


「そんなの分からないわよ。でも、あんな子が出るほどだから何か裏でもあるのかしら」


「どっかのお偉いさんの息子とかで、試合中に脅されたとかな」


「まっさかー。あんなにみすぼらしかったじゃない」


 観客は口々に言い合い、そのほとんどは試合放棄に対しての訴えを叫んでいた。冷静に話を続ける者などごくわずかしかいない。


 喧噪の中ニルスは控室へと引きずられていく。そのまま彼はすぐに治療を受けさせられる。例え役立たずとしても当て馬の役割がある、そのための人材を彼らは無駄にするつもりはなかった。


「ん? こいつ治癒力が著しく低いのか」


 男の一人がニルスの癒えない体を見ながら呟く。それを横で聞いていた男が腕を組んだ。


「使えない、か。なら今回の余興にでも出すかな」


 そう言って彼を連れ戻すこともせず、その場に置き去りにした。


 その昼、ニルスは会場の中心に立てられた丸太に括られていた。その体は一度睡眠をとったことにより全身の再生能力が活性化し、元通りの状態になっている。

 そう、呪いによって身体への治療を意味する行為は全く受け付けられなかったが、睡眠は例外だった。さらに、起床中に回復しない反動か、どうも治癒の幅が一般のそれではなく足の2本などすぐに治ってしまった。


 運び出した男はその姿に一瞬驚きを見せるものの、治療魔法の効き目が遅かっただけだと結論付けるのだった。


 そして会場に剣闘士が入場する。そして槍で一頻り串刺しにしてから満足そうに帰っていく。


 全身に穴を開けられるニルスの叫びに観客は歓声を上げた。

 先程の男は余興と言っていたが本来はニルスの処刑という見世物となる予定だった。それもそのはず、治癒すらできない役立たずを置いておく必要などあるはずがない。


 しかしながら急遽変更があった。ニルスにはやはり緩慢とはいえ体を再生させる力はある、それならば別の使い所があると結論を出したのだ。

 彼には剣闘士達の意欲向上の、そして本来の目的であった余興の一環としてひたすら甚振られるための有用性があると考えたのだった。



 それから剣で切り裂かれ、斧で分断され、魔法では焼き尽くされた。いずれも殺してしまう手前まで痛々しい演出は続く。そうして、時は過ぎていった。




「ああああああああッッ!」


 一際大きな叫び声。ニルスは直感で呪剣が更に遠くへ離れたのだと気づく。

 元々少しずつ自身の体から遠くなっていてはいた。しかし今回は馬車でも使ったのか、その締め付けるでもない言い表しようのない力が急激に大きくなったのだ。

 まだ辛うじて我慢できたところをさらに鋭い苦痛で襲われると、もう声を抑えることなどできなかった。


 檻の中の住人達はそれに顔を顰めつつ起き上がった。口々に文句を言っていくがニルスには聞こえない。

 そしてそれが毎晩続くものだから堪ったものではなかった。


 やがて彼らはニルスを追い出してほしいと管理者に訴えると、闘技の質を落としてしまわないためにも必要な処置と、ニルスは個室へと移されることとなった。

 特別待遇にも関わらず、彼に歓喜は訪れない。ニルスは一日中、枯らした喉で声を上げ続けた。

 しかし時折意識を失ってその場に倒れる。それは痛みが許容量を超えたためか。


 そして起きた頃には持ち前の治癒力で荒れていた喉も綺麗に治してしまい、状況と対照的に健康的な声で叫び始めるのだった。



 その時から、彼の周りで変化が起き始めていた。

 いつもの通り余興として使われる彼だが、ニルスを直接攻撃しようものならば直後に体に電流が走り剣闘士達は卒倒する。

 これは恐らく、ニルスの受ける電撃が外界にも作用しているためだろう。きっとニルスと始めに闘ったブレーズもこれを直接足に受けたに違いない。


 ここのところ、ただでさえニルスに刃が通らなくなったというのに、今度は攻撃を与えたものが倒れていく。これには観客も騒然とした。

 電撃を受けた者は全て試合続行不可、彼は知らないところで闘技を滅茶苦茶にしてしまっていた。


 そんな彼は闘技を管理する者にとって完全にお荷物となってしまった。不要となった者が陥れられる末路は一つだけ。

 処刑だった。


 管理者はニルスが魔力的な技を用いて触れたものを気絶させることは理解していたつもりのため、弓士と魔法を使える者を集わせ、一斉に処刑を始める。

 無数の矢がニルスを襲う。しかし彼には突き刺さらないどころか、硬い音を立てて弾き返される。さらに頭上からは魔法によって生み出された巨大な岩石が降ってくるがニルスはそれをものともしない。


 魔力だけではない、その重量を持った岩さえ耐えしのいでしまったことに、一同は戦意を失ってしまった。


 しかしニルスにとってそれはどうでもいいこと。今は電撃の痛みに耐える、それだけで精一杯だったのだ。今も声を抑えることに注力していないと声が漏れてしまいそうだ。


「ええい! 『ギラティーン』!」


 すると今度は成人男性の体長ほどもある大型の刃物がニルスの頭の上に出現する。重々しくも真っすぐにニルスを目掛けて落ちてくる。


「へっへっへ、死ね!」


 魔法を放った主が笑い声をあげる。しかしその直後――


「『アイス』」


 どこかからか氷の塊が飛んできて刃物に当たり、その軌道を僅かに逸らすとニルスのすぐ背後に落とさせる。重量のある金属が音を立てて地面に突き刺さった。


「アシュ……レイ……?」


「タイミングばっちり」


 現れたのはアシュレイだった。彼女は両手を腰まで持ってきて自信ありげに胸を張った。

 どうせなら矢が当たる前に助け出した方がタイミングが良かったものの、ニルスを傍観する余裕がアシュレイにはないので、到着直後に救い出す今回の方法が彼女にとっての「ばっちり」なタイミングだった。


 ニルスはそんな顔見知りと久々に相見えてそれだけで安堵が押し寄せてきた。それも当然、檻の中でどこの誰かもわからない中年男性と共に過ごしていたのだから。


「囚われたヒーローを救う私はまるでヒロイン?」


「いや、それは何か違う……」


 アシュレイは取り違えた何かで嬉々とした表情をつくるものの、ニルスに指摘されて我に戻る。


「さあ、早く逃げよう」

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