4.さて、家に帰るか
彼女はその場にいる全員を見渡して、特にその目を父親に強く向けて「女として生きること」を宣言した。
その決意に満ちた表情にはニルスも眩しさを感じたほどだ。
しかしその沈黙を破ったのはエドメだった。
「くくく……いや、いいね。その勇気を讃えて一つ教えてやろう」
それはまるで別人かと疑うほどの豹変ぶりで、低く笑っていた。
「全てはそこの少年の言った通りだ。なに、君達に話したところで足がつくはずはない。そういった根回しもきかせているからな」
彼はどす黒い笑顔でニルス達を眺める。
「何……?」
「言っただろう、私は彼女の勇気に感動したんだよ。まあ、とはいってもゴミ溜めの中から這い出した程度のものだがな」
「ゴミ……? 人の勇気を馬鹿にできるなんて、あなたはよほど偉い人のようですね! アシュレイは過酷な環境の中必死に生きてきたというのに!」
「おお怖い怖い。だが私はその小娘以上に苦労してきたんだ。それを尽くアドルフは私の道を遮って……はっきり言って目障りだったんだよ、だから私は彼の息子が本当は女だと聞いて歓喜した。やつを引きずり下ろせるってね」
アドルフは始めから鍛冶に秀でていたわけではなかった。彼が頭角を現したのは、妻を亡くしてから。
取り返しのつかない事象がこの世にはあるのだと気づいてから、アシュレイに生きる術を教えるべく自身も鍛冶に打ち込んだ。
エドメからしてみれば、着実に積み上げていった地位を、アドルフが一瞬にして何の努力もなしに揺るがしたと見えたのだ。
「はははははっ、しかしそれも既に達成した。私は仕事の依頼が尽きないのでね。失礼するよ」
ニルスは、怒りに滲んだ瞳で去っていくエドメを睨んだ。対する彼はひらひらと手を振りながら小屋をあとにしたのだった。
「助けに来るのが遅くなってごめん」
その帰り、ニルスは彼女に謝罪した。探していたとはいえ、その方法というものがあった。自身の情報収集力に反省する。
「ううん。助けに来てくれただけで嬉しかったから。……でもニルスって、恐い戦い方するんだね」
アシュレイは遠くを眺めるようにして彼に告げた。その言葉に他意は無かった。ただ、呪いを受けていると知らずに、そんなこととは思いもよらずに感じたままに呟いただけだった。
そんなアシュレイの言葉にニルスは衝撃を受ける。確かにあの時は我を失いかけていた部分があった。
あのような戦い方ではアシュレイを怯えさせてしまう。ならば二度と、弱点を付け狙ったような攻撃はしないと誓ったのだった。
同時にアシュレイも後悔する。そのようなことを言ってはニルスが戦い辛くなるだけだ。慌てて訂正しようとするも、黙ったままの彼を見るとそれ以上の言葉は出てこなくなってしまうのだった。
そしてアドルフとその娘の事実は瞬く間に町中に広まり、アドルフは地位を失ってしまった。
それからニルスが町へ滞在してまた月日が経ってのことだ。
「こんなの、どうかな……?」
「うん! すっごく女の子っぽいよ」
アシュレイは白のワンピースを恥ずかしげに同室のニルスとルイに見せる。髪の銀色と相まって透き通るような印象をルイは受け、率直な感想を述べる。
彼らの交流は、アドルフが安上がりな賃貸に身を寄せることになっても、以前に増して盛んになっていた。
そして反応を窺うようにアシュレイがニルスを目を向ける。
「ニルスは?」
「うーん、別に無理してそういう格好しなくていいんじゃないかな。アシュレイっぽくないし」
しかし彼の反応は芳しくなかった。アシュレイは確かに女性として生きていくことを望んでいたが、それは形の話ではない。
「アシュレイはアシュレイらしくいればいいんだよ」
「……そうだね」
ニルスがそう言うとアシュレイはどこか嬉しそうに顔を綻ばせて頷いた。
「ところでニルス君はこれからどうするの? ずっとここにいる予定?」
「いや、一度家に帰ってみようと思ってるんだけど……」
尋ねてくるルイにニルスは腕を組みながら考える。今回の件でアシュレイとその父の愛情に感化され、急に故郷が恋しくなったのだ。
「そうした方がいい。……寂しいけど」
アシュレイも賛同する。やはりこんなところにいては駄目なのだ。両親と過ごしてこそ、受け継いでいくものもたくさんあるというものだ。
「そっか、ここに留まる気ならずっと宿屋住まいなのもなんだし、僕の家にでも誘おうかと思ったんだけど……それなら仕方ないね」
「だめ」
アシュレイがルイの顔を睨みながら短く言い放った。突然の豹変ぶりに彼は「な、なにが」と戸惑い問う。
「ニルスはうちに泊まってもらう。そこは譲れない」
「は、はあ……じゃあ、僕はニルスくんの意見に従うけど」
そしてルイはニルスを見る。どうやら返答を求めているようだった。
ニルスの視線は自然とアシュレイの方向へと行く。女の子から誘い出てくれるとあればこのような機会は二度とないのではないか、と。
「え……っと、じゃあアシュレイの所で」
「勝った」
「え、じゃあ負けた、のかな?」
何故か勝ち誇った様子のアシュレイに二人は苦笑を浮かべたまま互いを見合った。
そしてアシュレイは表情に自信を含ませて口を開く。
「ニルスが帰ってくる頃には、私も立派な鍛冶師になっているから」
この町で本来は女性の進出が許されていない鍛冶、それを実現させていく道など険しくないはずがなかった。
それでも、幾ら困難が待ち受けていても、エドメに何度陥れられようとも、アシュレイの決意は揺らぎようがなかった。
それは町内ではその地位も失墜した父親のためか、はたまた彼女自身の責任感のためか。それは彼女にもまだわからないことであった。
ただ、ニルスに出会ったことにより止まっていた自身の内の歯車が、再び動き出した。そんな気分だった。
一方ニルスが歩む道といえば――
「ん……?」
目を覚ますが、頭に布袋を被せられているようで何も見えない。手もいつの間にか繋がれており、完全に自由を削がれていた。
「あのー! これは一体どういうことでしょうか」
幸い口を塞がれてはいないようだったので、異常がないか発声を混じえながら状況を尋ねた。
「うるせえな。後もうちょいで着くから静かにしてろ」
前方からしわがれた男の声が聞こえてくる。よく感覚を働かせてみると馬の蹄の音、時折地面が大きく揺れる。どうやらニルスは馬車に乗っているようだった。
「ったく、こんなガキなんか売りつけやがってよ。こっちは子守を請け負っちゃいねえっての」
男は御者台にて馬車を動かしながら呟く。
売りつける、その単語に顔をしかめるニルス。彼の最後の記憶はといえば、アシュレイやルイと会った後、夜道を歩いていた時のことだ。
ニルスは感覚が消え去ると同時に何者かが自分を付けていることに気づいた。
しかし彼が対処する暇もなく、背後からの足音とともに『スリープ』と聞こえた途端、激しい睡魔が襲ってきたのだった。
それから気がつけば馬車の上、状況の説明を求めるのも当然と言えた。
すると目的の場所へ到着してか、体を揺らす馬車の動きが止まる。
「おう、収穫はあったか?」
円状の建造物、その入り口の門番が声をかける。
「全くねえ。せいぜいエドメさんの弟子とかいうやつに押し付けられたガキが一点」
「はー、お前も苦労してんな」
御者を担う男はエドメと顔見知りであった。その弟子の頼みとあれば断るわけにはいかず、半ば押し売りのような形でニルスを渡されてしまった。
「まあ頑張れよ」
門の男に素っ気なく返答して、彼は馬車ごと建物へ入っていった。
――ガシャン!
ニルスの枷と頭の袋は外され、金属の檻でできた牢屋に放り込まれる。朝も静かな獄内に金属製の錠がなされる音が響く。その音に数名が起き上がる。
「何だぁ? 新人が来たか?」
がさつだが逞しい声、相手の顔が見えない状況でもニルスは大男が声を発しているのが分かった。
「あの……ここってどこなんでしょうか」
ニルスは単純な疑問を投げかけた。新人という言葉にも気になっていた。
「まあ、知ってここに来るやつぁいねえな。……お前もそのうちわかるさ」
男は全てを話はしない。だが、年長者の慈悲なのか助言らしきものを残してくれるのだった。
「ただな、新人はいなくなりやすい。それだけは気をつけろ」
「けっ、そいつの肩持ってどうすんだ」
別の牢から声が聞こえてくる。細身の男だが声色には自信に満ち溢れているような雰囲気があった。
果たしていなくなりやすいとはどういうことなのだろう。ニルスは考えてみる。単純に使い物にならないか、はたまた自分が想像している通りか。
しばらくすると先程の男がニルスを牢から連れ出してどこかへ向かう。どこへ、とはもう聞かない。何も答えてくれないことはわかったのだ。
そして訪れたのは一つの部屋。壁付近には様々な武器が立てかけられている。何か軍備のようなものだろうか。しかしそれにしては手入れが全くされていない。
そんな事を考えていると男が口を開く。
「好きなものを選べ」
「いや、俺にはこれがあるので」
ニルスは気づいた。ここが互いに武器を手に戦う闘技場のような場所だということに。彼は鉄格子から覗く黄色く広大な地面とそれを取り囲むように高所から観客が見ているのを見た。
「ん? 何故武器を持っている!」
そう言って男は呪剣を取り上げる。考えてみれば武器を持って牢屋に付き放たれるというのもおかしな話で、恐らく服の下に隠すように背に掛けていたので気づかれなかったのだろう。
ロブストの棒はしっかり持っていかれたというのに。
「後がつかえてんだ。これを持ってさっさと出ろ」
苛立ちを見せながら男がニルスに適当な剣を持たせて格子より突き出す。その瞬間からつねるような痛みが体に走り出す。呪いの剣を身から離したことによる弊害が、その身に電撃を与えたのだ。
そして呪剣がその持ち主との別離を拒否するように、それは距離が離れるほど強くなっていくのだった。
しかしそんなことも気にならないほどに、建物の大きさに驚いていた。戦いの場であるグラウンドを取り囲む円状の建造物、その上に座っている人々もまた、その多さでニルスを感嘆させたのだった。
「早くしろ」
向かいに立つ男がニルスにだけ剣呑な視線を送りつけてきた。彼はここで人気の剣闘士。豪腕で相手をねじ伏せる、そのダイナミックな戦闘方法は見る者を爽快にさせた。
この闘技に合図などない。互いにその時を見極めて、一歩を踏み出す。しかしニルスにはそのような緊張感を感じ取れず、落ち着きもなく辺りを見渡し、対する彼もタイミングなど関係がない様子でニルスを眺めていた。
そんな時、戦いの火蓋は突然に切って降ろされた。
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