6.一緒に旅をするってつまりそういうこと

 アシュレイに連れられニルスは闘技場から抜け出すことに成功する。彼女が脱出口を開いておいたため衛兵にも追われずに逃げることができた。

 ニルスの今まで逃げ出す意思が希薄だったとはいえ、ここまで簡単に建物から出られるとは思っていなかった。


「ニルス、こっち」


 アシュレイは追手の可能性を考えてニルスの手を引いて走る方向を変えようとした。だが、彼の体には高圧の電流が流れている。

 触れた瞬間、バチッと大きな音を立てたかと思うとアシュレイが気を失い、ニルスにもたれかかった。


「あ……」


 しまったと思いつつもこのまま接触していてはアシュレイの身が危ない。ニルスは一先ず安全そうな場所に彼女を横たわらせ、再び闘技場へと戻った。


 建物の中ならば何か回復のための道具があるだろうと踏んでのことだ、ニルスの感じているところではここに自身の脅威になるような人物はいなかったのも、わざわざ戻ってきた理由だ。


 目的のものはすぐに見つかった。円錐状のガラス瓶に入れられた鮮やかな緑色の液体。管理する者たちが回復飲料と呼んでいたそれを一つ掴み、出口へと駆け出した。

 少しでも早く彼女に届けなければ。しかしその願いはすぐに叶わなくなる。


「いたぞ! 捕らえろ!」


 衛兵が通路から出てきて叫ぶ。戦う術を持っていないニルスは仕方なく道を曲がり、追跡を逃れるためにさらに加速した。

 すると曲がった先には壁。どうやら行き止まりだったようだ。慌てたニルスは急いでスピードを殺すが、長い投獄生活の中、走り慣れていない体のため転げてしまった。


 彼はそのまま壁を突き破り外へと転がり出る。それによって入り口付近は崩壊し、おそらく中にいた衛兵たちは押しつぶされてしまった事だろう。


「私、来る必要なかったかも」


 気が付けば目を覚ましていたアシュレイが彼の隣で唖然としている。自身の手を見れば先ほどまで掴んでいた瓶は割れて持ち手のみしか残っていなかった。

 ニルスはそれを投げ捨て、アシュレイを見た。


「急いで逃げよう」




「そういえばなんでアシュレイは俺のいる場所が分かったんだ?」


 逃げることに必死で思わず忘れかけていたが、アシュレイがここにいること自体不思議だった。

 ニルスが彼女を見るとこの2年の間に随分と成長したようで、身長はニルスを僅かに越していた。


「聞き出した。平和的に」


 その表情からは多くのことは読み取れない。だが、少々悪びれた様子にニルスは訝しげな視線を向ける。


 実際にはエドメの弟子であるエディにニルスの居場所を問い質したのだが、その方法が平和的と言うには幾らか語弊があるかもしれない。

 エディがその後数日間もの間立つことがままならなかったのだから。


「……アシュレイ、下がって」


 ニルスが真っ先に敵意のある視線を感じてアシュレイを後ろへ下げようとする。


「大丈夫、私に任せて」


 ところがアシュレイは前へと出て剣を構えた。相対するのは小鬼の魔物、それらは棍棒を振り回しながら近づいてくる。一般的な冒険者はあれをゴブリンと呼ぶのだった。


「グギャアアア!」


 ゴブリンは奇声を発しながらアシュレイに突撃してくる。それを華麗に彼女は躱し、一閃。

 その魔物は断末魔の叫びを上げながら真二つに切り離され、目を見開きながら倒れた。


「クギィィ!」


「ゴギャァァ!」


 後ろに隠れていたもう二体も、アシュレイは舞うような動作で瞬く間に斬り捨てた。


「……この程度、造作もない」


 何か恐ろしいことを言っているが、ニルスはその見覚えのある戦い方に頭を痛めていた。すぐに思い出せないということは昔に見た記憶なのか、それはいくら捻っても出てこないのだった。



 そもそも、以前の彼女ならゴブリンほどの強さであったエディに為す術もなかったはずではないか。


「戦い方を学んだ、とか?」


「うん。ニルスのお母さんから」


 それはまた衝撃の一言だ。聞いていくとニルスの母親はエレロを訪れていたらしい。それも、ニルスを探すために。


 女性を蔑む町にて彼の母は同様に性質の悪そうな男性に目をつけられてしまい、それを拒むような意思を見せると男は横暴に出てきた。

 しかし彼女は男を見事に返り討ちにしてしまったのだ。その時丁度、居合わせていたのがアシュレイだという。


 ニルスの母は元々戦いに身を置いていた。その鮮やかな立ち振る舞いで華麗に撃退する姿に、アシュレイは見惚れてしまったらしい。

 その末、アシュレイは思わず弟子入りを志願したとか。


 始めは断られてしまうものの、アシュレイがニルスとの関係性を示すとあっさりと了承してしまったのだ。

 そんな母の心変わりの早さに呆れるニルスだが、突然に気分が悪くなる。


「うっ……」


 話の途中で、突然ニルスが倒れた。

 今までずっと何事もない顔をして歩いてきたが、常に電気を帯びている状態、その身に負荷を抱え続けていたのだ。


「ニルス!」


 アシュレイが近寄り、思わず触れてしまいそうになるが、先ほどの電撃を思い出す。あれがなければ膝枕でもできたのに、とアシュレイは残念に思った。

 そんな場違いな思考に耽られるのもニルスの穏やかな表情にあった。倒れたとはいえ、疲労過多による一時的なものに過ぎない。


 今は睡眠という名の休息をニルスの体が無意識に取っているのだ。

 

 無理をしてアシュレイの歩調に合わせていたことも限界の訪れに拍車をかけたのだろう、彼はしばらく起き上がらなかった。




 幾らか時間が経ち、目を覚ますと立ち姿のアシュレイがニルスの目に映る。


「あ、大丈夫だった?」


「ああ……ってうわっ⁉」


 見ると辺りには魔物達が倒れていた。剣による斬り痕があるものとそうでないものが多数無残に横たわっていた。


「寝てるニルスは魔物を集める。初めて知った」


 アシュレイは感心した様子で告げる。ニルスとしてはそのような事実は嬉しくもなかったが、アシュレイが満足そうに佇むのでそれには触れない。


「これをアシュレイ一人で?」


 数が多いゆえに苦戦を強いられただろうが、精強な魔物がいなかったことが救いか、アシュレイには目立った傷は見られなかった。


「勝手にニルスに当たってやられていくから、途中で私の出番はなくなった」


 それに気づいた彼女は魔物と戦うことを放棄したと言う。確かにニルスには意図せず敵から体を守ってくれる魔力を纏っている状態といっても良かったものだが。

 ただ、損傷がないとはいえ一人ではニルスを守りきれなかったことにアシュレイは落胆を感じずにはいられなかった。


「それにしても……寝たらいくらか体が軽くなったな」


 ニルスは腕を回し、時には跳んで体を動かす。彼は呪剣がいよいよ近くなっていると予感したが、実際には徒歩では途方もない時間がかかるような位置に彼らが目指す場所はあった。

 体が軽くなったのには、電流に対する耐性がついているためにほかない。それを彼は呪剣が近づき効果が薄れたと勘違いをしてしまったのだ。




「こっちのような気がしたんだけどな……」


「別にこのまま到着しなくてもいい。こうして一緒にいれば二人の仲は深まっていくから」


 首を傾げるニルスに、もはやアシュレイは旅を終わらせる気もなしに言い放った。

 あれから月日は流れた。ただの旅の予定だったのが、なにぶん頼れるのはニルスの勘だけという、何とも不確定要素の多く、蛇足も多い旅となってしまった。


 確かに、ニルスの勘、もとい感覚は始めは頼りになるものだったかもしれない。しかし近づけば近づくほど宛になる電流の大きさは緩くなっていく。

 時が経つにつれて耐性もついていくため、馬車を用いるような距離になるころには感覚で辿り着くには至難の業になっていた。


「あ……ここだ」


 そしてようやく、目的の場所に到着した。


「着いちゃった……今まで何度も同じ部屋で寝てたのに結局一度も襲われなかった。……なんで」


 ニルスの隣で呟く彼女は心底残念そうだった。こうなった原因は自分に魅力が無いせいだと自責するほど。

 背もいつの間にやらニルスに抜かし返されていたこともあり、やはりもう少しプロポーションにも気を使わねばならないのかもしれないのか、と。


「俺達の年齢を考えてみてくれ」


 闘技場を抜け出してから、一年はたっただろう。月が姿を変えて12度、やはり一年だとニルスは考えた。


 そもそも「月」というのは現代での呼称であって古代に生きた人々にはムーンやルナなどと言われていた。

 日と月は表裏一体の存在で、日は空に打ち上げられた大きな球型の魔石だという説があるが、いずれにしても地上を漏れなく照らし出してしまうほどのエネルギー、魔石以外の物質では再現不能だった。

 日、あるいは陽、また一部の人はその大きさを讃えて太陽などと呼ぶが、それは時間が経つと内包するエネルギーを燃やしきるように赤、橙色へと変化し、やがて光のほとんどを放たなくなる。

 その状態に至った日を昔の人々は「ムーン」、もしくは月と呼んだのだった。


 月となった魔石はそのエネルギーを蓄え、再び光を放ち始める。人はその時間を単位とし、一日と定めた。

 また月は魔石の熱変化による影響か、定期的にその光を放つ部分を変える。その間隔はおよそ30日ごと。

 そのことから30日を一月とし、12種の形の変化に合わせて12ヶ月を一年とした。


 そうして日は循環していく。ニルス達は生まれてより12年、つまりは12歳となったのだ。


「歳は関係ない」

「それでも、物事には順序というものがありまして」


 そもそも、ニルスが電撃を纏っていればまともには触れられないだろうに。

 だがそんなことはアシュレイにはまるで関係がないようで、必死に一定の距離感を保とうとするニルスにぐっと身を寄せる。


「その順序、ニルスとなら辿ってもいい」


 その言葉に、ニルスは面食らってしまう。

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