2.犯罪者じゃない!
その後、食事のために狩りを続けていたニルスだが、その副産物として魔石が思いの外貯まってきた。そこで彼は思い切って全て換金し、宿をとることを決断した。
久しぶりのベッドの感触は今までに味わったことのないほど柔らかく、外出させる意欲をまるで削いでしまった。
しかし全く日を浴びないというのもどこか気持ちが悪いと感じたので、辺りを散歩していると、いつかの場所からすすり泣く声が聴こえたのだった。
しゃがみ込んだ少女の顔はよく見えないが、膝にかかった銀色の髪が彼女だと告げている。
嫌悪感を抱かれているとは理解していたがニルスは無視する気になれず、ついに声をかけてしまった。
「大丈夫……?」
「え…………あっ、犯罪者さん」
彼女はそう言って、さっと身構える。そういった反応はニルスとて予想していた。にしても、その呼び名はなんとかならないものか。
「いや……あの、女の子に涙は似合わないよって……ああ」
宿屋にて、隣の部屋より聴こえてきた男性の言葉を借りたが、少し気取りすぎているような気がして、ニルスは声に出してから後悔した。
「え、女の子……?」
しかし彼女の反応と言えば、驚いた顔を浮かべていた。いつものように気味悪がられると思っていたというのに。
「僕のこと、女の子だって思う?」
「……? 当たり前じゃないか」
「……そう。そう言ってくれたのは君がはじめて」
ニルスの言葉を聞いて肩を下げた少女は、嬉しいような表情をしていた。初めて言われたというのは本当だろうか、とニルスの疑問が頭に浮かぶ。
よく見ると確かに髪型も格好もニルスと同年代の男子のような風体をしているが、それでもどう考えても目の前の相手は女の子以外の何者でもないと感じた。
その理由として、腹部より上および首の下方に備わる僅かな膨らみ……もとい、細かい仕草の一つ一つが、女子のそれだと感じたことが大きい。
「君の名前、教えて……?」
「俺はニルス」
「そう……改めてよろしく。犯罪者さん」
真っ直ぐに見据えた目でそう告げる彼女に、そこは名前で呼ぶべき場面だろうと、ニルスは少々面食らってしまった。
そんな少女は口元を押さえて可笑しそうに小さく笑った。ほら、やっぱり女の子じゃないか、と彼は自身の目に狂いが無かったことを密かに誇りに思った。
「そういえば、僕の名前……」
「うん」
「アシュ……レイって言うの」
「ん? ……ああ、アシュレイね」
彼女は自身のことをアシュレイと称し、ニルスはそれに一瞬引っかかったようだが、頷き返した。
彼女がそう言うのならば、ニルスはそう呼ぶだけである。
「……今日はありがと」
アシュレイはやや憂いを含んだ表情を作るも顔を上げ、明るく見せて去っていった。胸の前で小さく手を振った少女はどことなく肩の荷が下りた、そんなような、作り笑いながらも前向きな笑顔だった。
そして翌日、彼女はまた同じ場所で……涙を零していた。
「え……どうかしたのか?」
「う……ん? ニルス……?」
アシュレイはニルスを見るなり、慌てて涙を服の袖で拭い、見上げてきた。取り繕おうとしているものの、その表情は悲しみを隠しきれていない。
「そういえば昨日も……何かあったんだな?」
「……大丈夫」
「そんなわけないだろ。じゃなきゃ、こんな場所で泣いてたりしない」
「そう……だよね」
ニルスからの指摘で再び俯く。彼女の笑顔は好きだが、偽りのそれを見続けるのは胸が締め付けられるようで辛い。ニルスはそのまま、アシュレイの隣に座った。
「あ……」
「辛い事があるんなら話してみなよ。俺じゃ務まらないかもしれないけど」
「それは……言えない。ニルスには、言えない」
「そっか」
彼女がそう言うのであれば、これ以上追及しないでおこう。そう思ったがアシュレイは続けて口を開く。
「嫌なんじゃなくて……ニルスには嫌な思いをしてほしくないから」
「そんなの、気にしなくていいけどな」
「…………でも、いい。ニルスと会って元気が出たから。じゃあね」
少女は立ち上がって、銀色の髪を煌めかせながら去っていった。どうやら簡単には話してくれないようだ。
昼になると、この町は金属を打つ音と喧騒で溢れる。道を歩いているだけでも活気の中で一つになれたようで心地よい。いつか、鍛冶も体験してみたいものだとニルスは作業を横目で見る。
「少年、前を見て歩きなさい」
「あ、すみません……」
余所見をしていたために男性とぶつかってしまう。後ろに二人連れている体格のいい、肩を出した親分気質な男性だった。
衝突した拍子にニルスの腰に下げていた袋が落ち、中の魔石が無機質な音を立てて転がり出た。
「魔石……? 冒険者の真似事でもやってんのか?」
「はっ、まだこんなに小せえのによ」
「笑ってくれるな。ほら、これは大事に持っとくんだよ」
下品に笑う後ろの二人を諌めながら、その男性は魔石を拾い集めてニルスに持たせる。
「ありがとうございます」
頭を下げるとその人物は立ち去りながら背中越しに手を降った。先程笑っていた若い二人も遅れながら駆け足で追いつき、歩調を合わせた。
ニルスはその人物を随分と男気のある人だと憧れを抱きそうになるが、その様子を眺めているとどうだろう。
出歩いている女性が彼の出身と比べて著しくその割合が小さく見かけても肩身を狭くして端を歩いていることもそうだが、それを見る男性二人の発した声に驚いた。
何しろ「女の癖に道のど真ん中歩いてんじゃねえ」とのことで、先程の親方だけでなく町を歩く人々はそれに対して気にする様子もなく、無関心だった。
恐らくあれがこの町の「普通」なのだろう。
ニルスの村ではどちらかといえば体の弱い女性の方を何かと優遇する体制が取られていたのだが、町並みが違えば文化も違う。
結局あの男性は誰彼構わず手を差し伸べるわけではないのだ。そう思うと突然に落胆が襲ってきた。
それと同時に、頭の端にアシュレイのことが思い浮かぶ。何のことはない、彼女こそ女性なのだ。この町において卑下される対象、そして見てくれだけは男子を装っている。
それから、誰も見つけられないような場所での、涙。
考えついた答えはどれも推測の域を出ないが、少女の言動を思い返してみるとどうも現状に苦しんでいる気がしてならない。
ニルスは頭を掠める嫌な予感に思わず走り出した。
ニルスはその日、あらゆる場所を探してみるがそう都合もよく見つかるはずもなく、あるいは運がなかっただけなのか、結局その日は諦めることを決め、眠れない夜を過ごしたのだった。
――――――――
ニルスは翌日から、一度町で彼女を見かけたことがある市場の通りにて張り込みを始めた。道行く人や商人達がこちらを訝しがることもあったが、子供の遊びだと思ってかすぐに無関心へと戻るのだった。
それでも中々彼女には巡り会えない。そんな中、ついにある人を町で見かけることができた。
アシュレイと以前町を歩いていた、大柄の男性だ。恐らく、父親だと思われるのだが……
「すみません、アシュレイのお父さんですか?」
「そうだが……ひょっとして息子について何か知っているのか!」
その男はニルスの肩を掴んで揺すってくる。体格の差とニルスの呪いもあって絞られるような鈍い痛みがニルスを襲う。そのあまり思わず顔に出してしまいそうになるが、堪えて声を絞り出す。
「息子……? 彼女は女の子ですよね」
「君はそれを知って……」
父親はハッと息を呑むとニルスの口元に手を当てて騒げないように塞ぐと、どこか人の目につかない場所へと連れて行こうとしているようだった。
そして、ニルスに助けを呼ぶ意思がないことを悟ると、彼は静かにニルスを地面に下ろす。
「娘の事は、口外したり……?」
「いえ、誰かに話してはいないですが……」
「そうか……」
そう言うと安心したような表情で額の汗を拭う。押さえられていた手が離される。ニルスはどうにか、解放されたようだ。
「誰かに知られては拙いんですか?」
「君はこの町の出身ではないな。エレロで女性の立場はないに等しい、それは知っているか?」
エレロというのはこの町の名称だ。ニルスは問いに頷きながら答える。
「まさか、それが理由でアシュレイを男として育ててるとか?」
「……まあ、そういうことだな」
「彼女の意思は?」
「娘もそれを望んでいる」
男は声に抑揚をつけずそう言った。嘘だ、とニルスは思う。だったらなぜ女の子と言われてあんなにも嬉しそうにしたのだろうか、と。
それは恐らく女性として生きることを、心の内では望んでいるから。幼いニルスでも、いや、幼かったからこそ彼女の想いと同調したのかもしれない。
「……あなたは、娘さんのことを何も分かっていない」
「なに?」
ニルスはつい、口に出してしまった。幼さゆえに、視点もアシュレイにしか合わせることができず、父親の苦悩など理解できるはずもなかったのだ。
この、アドルフという人物は良識ある人間であった。しかしながら一介の父として、その尊厳を貶されたことに黙ってはいない。すぐにニルスの腕を掴み、顔を近寄せる。
「今何と言った?」
「何度でも言いますよ。あなたにはアシュレイの気持ちなんか分からないんだ!」
そしてニルスは掴む腕に渾身の頭突きを食らわす。しかしその力では大の大人の拘束を剥がすことはできない。
「くっ」
対してアドルフは怒りを抑えきれず、平手でニルスの頬を打つ。彼はそれなりに、力を入れたつもりだった。それなのに、あろうことか少年は避ける意思も見せず敢えて受けた。
みるみるうちに赤くなる肌は明らかに痛そうなものだが、彼はそれを口に出さず、ただアドルフの目を見ていた。その真っ直ぐな目に、自身の心の内を見透かされそうな気がして、思わず手を離してしまった。
「……すみませんでした」
ニルスは無言の末一言謝り、その場を走り去っていった。ニルスとて、自分が一点からしか物事を見つめられていないことに気づいていたのだ。
怒りは一度発散してしまうと急に萎んでしまうもの。それはニルスに限らず、アドルフも同じだった。
少年がいなくなった路地裏、彼は一人立ち尽くす。父親として、子のためにできることはしていたつもりだった。彼が妻を娶った時、他の女性と同じ待遇を取られることは分かっていた。
アドルフも当然のように妻をこき使い、機械のように動かした。そんな中、元々病弱だった彼の妻は日頃の過労により倒れてしまう。
すぐに治療院に運ばれるものの差別の影響は至る所で絶えない。結局彼女は身籠っていた娘を出産し、そのまま息を引き取ってしまった。
出産の看護を取り持った治療院で働く女性達は祝福の言葉を言いながらアドルフに赤ん坊を手渡すものの、その目は全く笑っていなかった。
まるで、ゴミでも見るかのように。
その瞬間、彼は自信が妻を愛していたことに気づく。失ってから、どうしようもない虚無感に襲われたのだった。
こうなったのはなぜか。それは女性を蔑むこの風潮のせいだ。しかしそれをまるごと変えてしまえるほど、自分は影響力のある人間ではない。ならばどうするか。
「この娘を、男として育てよう」
そう思ったアドルフは大切なものを二度と失わないために、抱えている娘を男として育てることを誓ったのだった。
怪しかった雲行きが、ついに灰色の雲を呼び込み雨粒を降らせていく。その冷たさに彼の意識は現実へと引き戻され、顔を上げる。建物の屋根の隙間を縫って吹き込んできた雫がたちまちアドルフの衣服を黒く濡らす。
彼は空を見上げたまま、立ち竦むのみだった。
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