第零階位の呪剣士〜聖剣がただの玩具と化しても地力があれば魔を討てますか?〜

フライドポテサラ

1.獣臭さを取り除きたい

 呪い。それは怨念、あるいは緊縛。

 世の理に反する術を、しかし人々はあまり認知していなかった。その浮世離れした性質故に、存在は常に闇の中である。


 今までも、これからも。そのたがが外れるまでは。





「グルルル……」


 見るからに獰猛そうな獣と、それと対峙する少年。齢は9つほどである。


 その狼型の獣は通常の動物とは違い、自然発生し人に害をなす、総じて魔物と称される存在だった。

 その魔物は遠くの草木の影から姿を現し、獲物を見つけたとばかりに小さく唸りながら少年――ニルスとの間を詰める。

 ほんの少し開いた口。牙の隙間から涎が流れ落ちていく。


 対する少年は、腰に下げていた棒切れを構えながら、手先の感覚が消え、体が冷えていくのを感じていた。

 もはや全身が空気の流れさえ感じることを拒むようだ。


 だが悲しいことに、これは錯覚ではなく現実だった。


 彼は――呪われている。



 通常呪いとは、物に宿るものである。特に多いのは武器や防具だ。人の生き死にに関わりやすいそれらは、人々の怨嗟が乗り移り易い。


 そしてニルスも例外ではなく、呪われた剣を、その背に負っていた。

 この剣が、ニルスの所作を尽く阻んでくるのだ。


 剣を象っているにも関わらず、その呪いは戦いにおいて不利になるものばかりである。それ故か、彼が手にするのは剣ではなく少し頑丈なだけの木の棒であった。

 果たして剣の切れ味が如何ほどなのかニルスは知らないのだ。


「グァウッ!」


「ぐっ――」


 痺れを切らした狼――フォレストウルフが堪えきれず襲い掛かかり、噛み付いたニルスの腕には噛み跡が鮮明に残る。

 同時に凄まじい激痛が走るが、それは本来の痛みよりも倍加したものであった。


 これも呪いによる効力。ニルス曰く、幾分かマシな呪いであり、むしろ助かっているとのことだ。その理由は戦闘になると消えてしまう触覚の代わりになってくれるからである。


「ハアッ! ハアッ!」


 魔獣は口を開け、息を切らしてニルスを見上げる。気分は最高潮、といったところか。

 ニルスは噛み付かれた左腕を押さえながら息を整えて集中する。

 痛いのはいつもの事、しかし何よりも恐ろしいのは損傷を与えられ続けることだ。


 理由は一つ、傷の治癒が出来ないからである。これももちろん呪いによる障害だが、その影響は両親があらゆる手法で治療を試みたもののついにはそれを成し遂げることができなかったほどだ。


 一つ幸いだったのはどういう原理か睡眠時だけは自然的に治癒すること。こればかりはニルスも自分を残酷な運命へと突き飛ばした神にも感謝した。



 そこで魔物が突然に飛びついてくる。それをニルスは目で追おうとするも叶わず、瞬きした次の瞬間には眼前にいた。

 まるで、瞬間的に移動したように。


 当然ながら魔獣が実際に一瞬の合間に動いたわけではなく、呪いにより視覚では事物の流れが捉えられなくなってしまうのだった。


 ニルスはすぐに狼の攻撃を躱し、手に持った木の棒を握り直す。ロブストという頑丈な木材であしらわれた戦闘用の棒ではあるが、その手にずっしりと重い。

 軽いことが売りの商品であったが、そのような材質の特徴すらも呪いは台無しにし、武器を数倍重くさせてしてしまうのだった。


 そして、呪いはもう一つ。


「はあっ!」


 飛びつきの反動で体勢が崩れている狼に向けて、握ったロブストの棒を振り下ろす。


 しかし、それは直撃に至らず、それどころか振り上げられた腕は微動だにしていなかった。

 最後の厄介極まる呪いは、攻撃というものが一切できないというもの。

 まさに致命的欠陥。ニルスは日頃より克服すべく特訓を重ねてはいるが、身になったことは一つもなく、たった今も気合を入れて試したものの全くの無意味だった。


「くっ!」


 そしてニルスの攻撃が飛んでこないことに対して不思議そうに首を傾げていたフォレストウルフが、再び飛びかかってくる。

 今度は避けきれず、鋭く伸びた牙が眼前に迫る。その危機にニルスは咄嗟に両手を前に出した。

 無意識に魔物の襲撃に抵抗し、思わず掴んだのは狼の首元。

 気道を塞がれ呼吸もままならなくなるものの、魔獣は必死に抵抗し、ニルスの体に爪による創傷をどうにか増やす。


「つッ」


 痛みのあまり狼を掴んだまま投げ飛ばし、地面に倒す。その衝撃で魔獣は苦しげな表情を作り、抵抗も弱まる。

 その様子にニルスは考えた。相手に損傷を与えるのは、なにも攻撃とは限らないのではないか、と。

 その考えに至ったニルスの行動は早かった。左手はそのままに、右手を狼の胸近くに当て、村の神父を模倣して祈りの言葉を告げながら目を瞑る。


 ニルスは自身に言い聞かせるように脳内で繰り返す。これは心臓を抜き取り新しく臓器を入れ替える医療行為の過程、あるいは行く手を阻む鬱蒼と生い茂った雑草を取り払う除草作業だと。


 そのまま手を押し進める。次の瞬間には肉の潰れた感触が手に伝わり、同時に何か硬い物質が触れた。ニルスはそれを掴み、魔物の肉の内側から引きずり出した。

 取り出したそれは、血によってくすんで見えるが太陽にかざしてみれば確かな輝きがちらりと見えた。魔石だ。


 魔物はその身に生命維持の核となる魔石を宿しており、それを取り除いてしまえば魔物の生命活動は停止するのだった。ニルスは朧気な知識ながらも魔物の弱点を見極めてとどめを刺してしまった。

 結果、足元には温もりだけが残った抜け殻が一つ。


 幼いながらも彼は理解する。自身の行動を攻撃と断定しないことで、損傷は容易に与えることができるのだ、と。


 このニルスという少年、なぜこのような危険に見を晒しているのかと言えば、呪いの影響により自分だけでなく親や兄弟まで被害を被ることが増え、自らの意思で村を出たためである。


 そんなニルスは、初めて町という場所に訪れる。そこは鍛冶が盛んな工業街で、元々炭鉱だった場所にそれを精錬、加工する者が集まり、やがて流通も発達し、ここまで大きくなったのだという。


 見るもの全てが目新しく、思わず町のあちこちを見回していると、道端のゴミ箱に蹴躓いてしまった。


「あ……」


 慌てて散乱してしまったゴミをかき集め、元通りに近づけると、目の端に少女が映り込む。建物と建物の隙間、そんな薄暗い場所で独り、立ち竦む彼女の短い銀髪は場所と不相応に煌めいていた。


「なに……?」


「あ、いや、何でも……ない」


 なぜこんな場所にいるのか、何か困っているのか。こんな状況ならそう話しかけるべきだったのかもしれない。それでもニルスは言葉を取り繕う術を知らず、ただ、訪れたばかりのこの町の魅力を語った。


「……この町はいいところだね。うちの村と違ってこんなにも活気に溢れてて、働く人皆が輝いてるみたいだ」


「…………僕、この町は嫌い」


「え……? あ、そうなのか」


 そんなこと言われてしまってはニルスも黙るしかない。結局それ以上会話が進むこともなく、彼女がなぜそこで突っ立っていたのか、その日は分からず仕舞いだった。



 旅を始めてからずっと続けていた野宿を、その夜も変わらず行う。何か襲って来ようものならすぐにニルスの呪いで感覚が麻痺することによって知らせるため、それを枕に、安心して熟睡することが出来た。


 食料は野生の魔物、狼や猪などをいただく。家畜で、味付けされたものとくらべるとかなり味は落ちるが、食べるものがあり尚且つ少しでも美味しいならば文句は言えない。



 そのようにして、その日も寝込みを襲ってきた狼を次の日の食材にすることに決め、朝を迎えた。



――――――――



「あ……」


 その日も銀髪の少女は同じ場所にいた。


「何なの? 追い人?」


「え、追い人って?」


「ある一人の人を四六時中付け回すひと。犯罪者」


「いや違う違う! もしかしたら今日も君がいるかと思ってさ」


 世の中にはそれほど気色の悪い行為をする人がいるのだと、学んだ瞬間でもあった。


「犯罪者、汚らわしい。近寄らないで」


 彼女は嫌悪感を含んだ目でニルスを見つめてきた。それがニルスにとってこの上なく衝撃的で、彼は頭を掻きながらそそくさとその場を立ち去ったのだった。


 人気のなくなった町の隅で、少女が建物の間から見える狭い空を仰ぐ。その頬には、温い雫が伝っていたのだった。


 その日以来、ニルスはあの場所に立ち寄ることをやめた。それでもこの町は居心地が良く何日も居座ることになってしまっていた。

 自身を見て問答無用に殴りつけてくる者も、少なくとも今はいない。

 この町に生まれていればどれだけ幸福だったかとも思う。



 そんなある日。その日は何気なくいつもとは違うものを口にしたくなったニルスは、市場に出向いて食材を選んでいた。

 すると背が高く大柄の男性がいつかの少女を連れていた。


「む……」


 そしてニルスを見るなり睨みつけてくる彼女。随分と嫌われてしまったものだとため息をつく。


「アシュ、行くぞ。こんな所で油を売っている場合じゃない」


「はい……」


 アシュと呼ばれた少女はお前のせいだと言わんばかりに去り際にニルスを鋭い目つきで睨むと、すぐに父親らしきその人物の後ろを歩いていった。

 その姿のどこか気の進まないような、肩の落ち込んだ格好が妙に気になるのだった。

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