業務外労働になりそうです

 元来、メイドというものは炊事・掃除・洗濯などを行う使用人であり、住み込みで働く場合が多く、いつのまにか色々と仕事が増えてしまったようです。

 現代、色々と文明の発達があったとは言え、機械では出来ない仕事は人間がやる必要があり、だからこそ私達メイドが今もこうして働いているわけです。


「——が以上となります」


『……そうか』


 私のファーストキスが奪われてから数時間後、私はお嬢様がお風呂に入っている間にお屋敷に電話をかけさせていただきました。

 初めこそ怒鳴り声が聞こえ、鼓膜が破れる前に携帯電話を投げ捨ててしまおうとも思いましたが既に所在を伝えてしまった以上それは悪手。私は耐えるしかありません。

 どうにかこうにか説明し終えると電話の向こうでは旦那様の疲れた溜息が流れ出ていました。


「旦那様。今回の一件は私の判断の下行ったものです。如何様な処罰も受けます。ですが事態が解決するまでご指示を頂けないでしょうか?」


 どの口が言うのか。心の中にいる私は私に嫌味ったらしく吐き出してきますが私とてこの名状しがたい展開を何とか終わらせて自由になりたいのです。多少の苦汁なんて飲み干して見せましょう。


「勿論、二度とお嬢様に関わるなと言うのでしたらすぐ様この地を去ってお会いしない事をお約束します。ですからどうか」


『……それは君の本心か?』


 旦那様の声には相変わらず疲れが感じる。たかが一メイドの戯言。主人と使用人。格の違いがあるように私のような者にあれこれ考えるのも疲れるのも仕方がない。


「………………はい」


 ……何でしょう今の間は?何故私は即答出来なかったのでしょうか?心なしか言葉に迷いも感じました。おかしいですね変ですね。自分の事なのにそれが分からないとは此れ如何に?


『……九条紗香。君は確かいろはが拾ってきたメイドだったね?』


「……」


『いろはが君に対して他のメイド達とは違う感情を持っているのは何と無く察してはいたが……君はそれは何か知っているか?』



『私は貴女の事は好きよ紗香。……勿論こう言う意味でね?』



「……いえ。私めには」


『そうか。……では命令を出そう。九条紗香、君には変わらずいろはの面倒を見てもらう。屋敷には来なくても良いが定期的に連絡をくれ。それと続けて屋敷に戻るように呼びかけてくれ』


「面倒を見る。……あの旦那様?それですと私と一緒に住むと言うことになるのですが?」


『そうだが?』


 そうだが?じゃありません旦那様。旅行先に付き添いで行くのとは違うのですよ?セキュリティとかどうなさるおつもりですか?


『きっと私が何を言っても帰っては来ないだろう。だから君にお願いする。きっと直ぐに解決する出来事ではないとは思っている。だが君なら出来ると思っている。……他ならぬいろはのお気に入りの君に』


 人から言われるお気に入りという言葉程恐ろしいものはありません。それが意味する答えが分かりませんが間違いなく旦那様の想像するお気に入りとお嬢様の想像するお気に入りはきっと違うでしょうに。


「あの、私めには少々荷が重く感じまして……その、メイドの業務から外れているような……」


『なら業務外労働として給料を増やそう。生活に関して多少の融通も効かせよう。それでどうだろう?』


 どうやら私に逃げ場は無いようです。これを断れば誘拐とみなすという圧をヒシヒシと感じます。

 しかしこの好待遇は旦那様がお嬢様を心配し、お嬢様の意志を尊重させているような事。ならば逃げ場が無い以上、私は受けるしかない。


『ありがとう。どうか娘を頼むよ?』


「命に代えても」


『うん。もし万が一娘に何かあったら……分かっているよね?』


「……命に代えましても」


 そのまま電話は切れてしまいました。ここまで旦那様とお話しする機会などは無く、私の背中は汗でビッショリで早くお風呂に入って寝たい……っと、今はお嬢様が入っていたのでしたね。

 私に与えられた仕事はお嬢様の説得と応じるまでの間のお世話。加えてお嬢様からは唇を奪われる程のスキンシップ。

 どう考えてもメイドとしての業務を超えている気がしてままなりません。


「あら?紗香は煙草を嗜んでいるのかしら?」


 驚きのあまり携帯をベランダから落としそうになる。振り返ると安物のバスタオルで髪を拭いているいろはお嬢様のお姿が。何故私のパジャマを着ているのでしょうか?


「勝手に着させてもらったわ。普段貴女から煙草の匂いはしないのにこのパジャマからほんのりと香るわね?」


「すみませんお嬢様。直ぐに新しい替えの衣服を調達してきます」


「いえ、これで良いわ。煙草の匂いはあまり好きではないけど……貴女の匂いもして不思議と落ち着くわ」


「……お戯れをお嬢様」


「それと!……そのお嬢様と呼ぶのはやめなさい。貴女の主人ではないのだから私の事はいろはと呼ぶように」


 メイドが陰でご主人様達の陰口や文句などは話しているところは見た事は多々ありますがご主人様より呼び捨てにしろと言われて呼んだ人は見たことがありません。

 しかし、今の私は業務中。ならば一宮家に仕えている以上その様な事は……。


「……お嬢様。一つ質問があります」


「話を逸らす様に思えるけど……何かしら?」


「何故、私なのでしょうか?」


 話題を逸らすついでに疑問を問いかけてみるとお嬢様は一瞬だけ寂しそうな表情を見せるとそのまま私の首に腕を回し抱き着く。


「貴女は私のお気に入りだからよ?」


 ……あぁ、何と言う事でしょう。やはりいろはお嬢様は旦那様の娘に違いありません。

 私より小さいその体はバランスを崩すように倒れ、私を巻き込む様にベットの上に。目を開けばお嬢様の不敵な笑みが見下ろしていました。


「お嬢様。それは答えには不十分かと」


「良いのよこれで。貴女にはまだ分からない。分からないからこそ私を知ってほしい」


 そのまま私の胸に埋めるように眠りにつこうとする。


「お嬢様。私はまだ汗を流しておりませんので離していただけませんか?」


「臭くないわよ?」


「いえ、この状態だと私が気持ち悪いので」


「紗香は気持ち悪くないわ……」


「……もしかして眠いのでしょうか?」


「…………」


 どうやらお嬢様が起きている間に離してもらうことには失敗した様です。試しに手を外そうと試みてみましたが案の定外れず、これ以上の無理はお嬢様に怪我をさせてしまいます。


「私の何処が気に入って拾ってくださったのですか……いろはお嬢様」


 わざとらしく語りかけるように聞いてはみますがやはり起きて返事はしていただけませんでした。

 横になったせいか、それとも緊張疲れのせいか私の瞼も次第に下りてきましたし考えるのはやめましょう。今後の事はその時に考えましょう。なんてったって私は無能なメイドなのですから。

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