第18話 九重病院に入院した山木さん

 1月11日の朝…私が大阪府庁の小さな会議室で唸っていた頃、南大阪町福祉事務所でも、ややこしい事案が発生していた。午後から職場に戻ると、広瀬さんが待ち構えていたように私のところにやってきた。彼女にしては珍しく、少し目を吊り上げている。


 「課長、お待ちしておりました。今朝九重病院で入院新規ケースが出ました。病院は南大阪町のケースだということで、地区担当の西村PSWから連絡があったんですが、どうやらその前に泉州市に連絡して、泉州市に促されてウチに連絡してきているようなんです」


 「ん? 何かややこしそうですね…もう少し詳しい経緯を教えてもらえますか?」


 私はコートを脱ぎ、少し落ち着いてから広瀬さんを呼び寄せた。電話対応を終えた岩本主査も私のところにやって来た。話の顛末は次のとおりである。


 今日の未明、南大阪町の路上で人が倒れているという119番があり、救急車が駆け付けた。倒れていたのは山木宏美さんという49歳の女性で、わけのわからないことを口走っていたため、受診歴があるという九重病院に搬送した。山木さんは住所不定で、直前まで、病院で知り合った泉州市の男友達・森川貴志さんのところで生活していた。


 山木さんはそのまま任意入院することになったが、収入がなく医療費が払えないとのことで、西村PSWが直前まで生活していた泉州市の福祉事務所に連絡したところ、森川宅は「居所」ではないため、山木さんは単身住所不定者の扱いになる。したがって、彼女が倒れていた南大阪町が要保護性の発生地点で実施責任を負うと言われ、改めてウチに連絡してきたということのようである。


 「ふむ。これは…実施責任で揉めますね。でも、山木さんには責任はありません。とりあえずウチで保護申請を受けましょう」


 「課長、本当にそれでいいんですか! 私は泉州市のケースだと思います!」


 広瀬さんがふくれっ面をしている。私が不在中、彼女をフォローしてくれていた岩本主査もコクリと頷いた。


 「ウチに実施責任がなければ、後で泉州市に繰替え支弁を求めればいいです。申請を受けなければ調査もできません。しっかり調査をして、泉州市と向き合いましょう」


 「なるほど…そういう意図なんですね。私、頑張ります!」


 広瀬さんが戦闘モードに入った。


 「岩本主査、水掛け論になりそうなんで、一緒に動いてもらっていいですか?」


 「課長、わかりました! 私も闘います!」


 「あの…お二方…くれぐれも冷静にお願いしますね」


 私はやんわりと声をかけた。


 広瀬さんと岩本主査がすぐに九重病院に向かい、西村PSW同席の元で、山木さん本人から保護申請を受理し、詳しい話を聞いてきた。


 「課長。とりあえず保護申請を受けてきました。実施責任の争いになる可能性があるので、決定に時間がかかるかもしれないことも、山木さんと西村PSWに伝えています」


 岩本主査が、私にそう告げた。


 山木さん本人の話では、住民票は堺市にあるが、泉州市の森川宅で半年以上生活しており、退院後もそこへ戻るつもりのようである。ということは…実施要領上、森川宅は山木さんの「居所」であると言えるのではないだろうか?


 「山木さんの話では、森川宅は『居所』であり、退院後の『帰来先』にもなるんでしょうね。だとすれば、森川、山木の2人世帯で実施責任は泉州市ですよ。でもね、泉州市は財政事情が厳しいので、結構『水際作戦』するんですよ。客観的な証拠を突きつけないと納得しないと思いますよ」


 「客観的な証拠…ですか?」


 広瀬さんが難しい顔をしている。


 「森川宅を訪問調査してみましょうか? 山木さんの生活の痕跡があれば、泉州市も逃げられないでしょう。森川さんの了解を得て写真も撮り、それを証拠としてつきつけましょう!」


 翌日、私は岩本主査に課の業務を任せ、広瀬さんとともに泉州市の森川宅を訪問した。


 森川貴志さんは、山木さんと同じ49歳の男性である。統合失調症で精神保健福祉手帳3級の認定を受け、障害厚生年金3級を受給しているとのこと。九重病院系列の就労支援事業所に所属しており、自身の年金と就労収入で辛うじて2人の生活が回っているとのことである。


 室内には、明らかに2人暮らしの痕跡があり、将来的には2人は結婚も視野に入れているようである。山木さんが病院に運ばれた時、森川さんはたまたま友人宅に出かけており、翌朝本人からの連絡で入院の事実を知ったとのことである。


 我々は森川さんにお礼を述べ、今後の協力も依頼した。そして、森川さんからも生活保護の申請をしてもらう可能性があることも伝えた。森川さんは何の抵抗もなく承知してくれた。


 「広瀬さん、このまま敵陣に乗り込みましょう!」


 私は公用車を、泉州市役所に向けて走らせた。

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