第19話 続・九重病院に入院した山木さん

 ほどなく泉州市役所に到着し、庁舎1階の奥まったところにある、生活福祉課の窓口を訪ねた。敢えてアポは取っていない…というか、敵陣に乗り込むのにアポを取る必要はないだろう。


 「突然申し訳ございません。私、南大阪町生活保護課長の森山と申します。先日九重病院に入院した新規ケースの件で、どなたか査察指導員の方とお話がしたいのですが…」


 私は応対に出た職員に、敢えて丁寧に伝えた。


 ほどなく、50代半ばと思われる割腹の良い男性が現れた。木下課長補佐である。面接室に通され、山木ケースの実施責任の件でと伝えると、木下課長補佐は…


 「ああ、あのケースですね。あれは南大阪町さんに実施責任があるでしょう? 泉州市に住民票も居住実態もありませんから」


 「木下補佐、今、山木さんが生活していた森川さん宅に家庭訪問してきました。その結果、半年以上の同居実態が認められ、お2人は将来結婚も考えられています。そして、山木さんは退院後、森川さん宅に戻られると意思表示しています。それでも泉州市さんに、山木さんの居住実態がないと言い切れますか? 」


 広瀬さんが、デジカメで撮影した森川さん宅の室内の様子を木下課長補佐に示すが、ほとんど興味も示さない。


 「森山課長。お二方とも精神の人でしょう? これまではともかく、退院後本当に山木さんが森川さん宅に戻るかどうかは怪しいもんですよ。確実な帰来性があるとは思えない」


 「木下補佐、それならば、これまでの居住実態は認めるということでよろしいですね」


 木下課長補佐は返答に困っている。そして次の瞬間…


 「大阪府生活保護課に実施責任の采配をしてもらいましょう。ウチからも疑義照会を上げますので、南大阪町さんもそのようにお願いします」


 そう言い残し、席を立った。


 「課長…。一体何なんでしょうか? 私ならこんな市で生活したくないです!」


 広瀬さんが怒っている。


 「広瀬さん。生活保護費の国と自治体の負担割合知ってますよね?」


 「国が4分の3、自治体が4分の1です」


 「ケースが増えると自治体の負担も増えるんですよ。住所不定者なら4分の1は大阪府が負担するんですが、居住実態があれば泉州市が負担する必要があります。泉州市の財政状況は破綻寸前です。だから、できるだけ抑制しようとしている…。まあそういうことですわ」


 「でも課長、南大阪町もそんな裕福な町ではないですよね?」


 「確かに。でも、南大阪町は町長の方針で福祉に力を注ぐことになっています。住民にとってどっちが住みやすい街か…言うまでもないですよね。泉州市の人口が減っているのに、隣接の南大阪町は増えています。それが何よりの証拠ですよ。福祉が充実すればその分人口も増え、物流も良くなって、結果として税収が上がる…私はそう思ってますが」


 「生活保護って国の制度なのに、自治体によってこんなに格差が出るんですね。生存権保障のための制度なのに、それで良いんでしょうか?」


 「地域差はどうしても生じてしまいます。だからこそ、生活保護は幅のある制度になってるんですよ。極論的に言ってしまえば、『幅』を生かすも殺すも自治体次第です。自治体に4分の1の負担義務があるのは、その分自治体にも裁量が認められている部分があることの裏返しです。一方で、自治体に負担を科すことで、国が保護率の抑制を図っているという説もありますがね」


 「うーん。奥が深いですねぇ…。でも課長、さすが『歩く生活保護手帳』です!」


 「広瀬さんまで…それ恥ずかしいから止めてよ…」


 広瀬さんの怒りは笑いに変わった。


 役場に戻り、私は大阪府生活保護課保護係の山下さんに電話をした。


 「南大阪町生活保護課の森山です。山下さん、お久しぶりです。実はちょっと…泉州市と実施責任で揉めてましてねぇ…。お互い大阪府に疑義照会を上げようということになりました。後でメール送るので、采配してもらってもいいですか? たぶん近々に泉州市の木下補佐からも連絡があると思います」


 「森山課長、わかりました。…っていうか、課長でも迷うことあるんですか?」


 「いや。私はケースワーカーとも一緒に動いて、泉州市に実施責任があるのは明らかだと思ってます。木下補佐とも直接やり合いましたけど…売られた喧嘩には正攻法で闘いますよ」


 「わかりました。では我々も、公平に判断させていただきます!」


 数日後、大阪府生活保護課保護係から「見解」が届いた。


 「本件については泉州市に実施責任があると認められるので、泉州市は速やかに保護の申請を受け付けること。保護申請日は、南大阪町が保護申請を受理した1月11日とし、同居人と2人の世帯として取り扱うこと。南大阪町が受けた保護申請については、事務手続き上却下とすること。南大阪町は、これまでの調査結果を泉州市に提供し、調査に協力すること」


 「広瀬さん、岩本主査、我々の意見が通りましたよ。ほら」


 私は2人に大阪府の「見解」のコピーを手渡し、これまでの調査結果を泉州市に送付するよう指示した。


 「2019年1月11日付けであった保護の申請については、宏美さんの生活実態は泉州市にあると認められ、本町は保護の実施責任を負わないため、却下とします」


 そして大阪府生活保護課の見解どおり、保護申請は却下とし、広瀬さんと岩本主査が九重病院に出向き、山木さんに説明を行った。加えて2人から西村PSWに、泉州市への保護申請の手助けを依頼した。


 翌日西村PSWから、泉州市が山木さんと森川さんの保護申請を受理した旨連絡があった。やれやれ、これで一件落着…と思いきや、予想もしない展開が待っていたのである。

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