第10話 続・山村さんの急迫保護
早速玉城さんが住民基本台帳の端末を操作し、山村さんの本籍地を探り当てた。愛媛県松山市城北町12番3号…Googleマップで調べたら、山村さんの実家らしき家が写っている。何とも便利な世の中である。
「玉城さん。松山市役所に戸籍と戸籍附票の請求をするのと平行して、「104」で、山村さんの実家の電話番号を調べてもらってもいいですか? 番号登録があれば幸いなんですがねぇ…」
「課長、わかりました。早速やってみます!」
玉城さんが「104」で電話番号を調べたところ、山村さんの実家の電話番号が判明した。取り急ぎ電話を架けてみることにした。
「…はい。山村です。どちら様でしょうか?」
電話がつながった。50代くらいと思しき女性の声である。
「突然のお電話で失礼いたします。私、大阪の南大阪町役場生活保護課長の森山と申します。山村俊一さんのことでご連絡を差し上げました。俊一さんはご子息で間違いございませんか?
「はい。俊一は私の次男です。俊一に何かあったんですか!」
「昨日、仕事中に事故に遭いまして、現在共済会記念病院に入院中です。申し遅れましたが、私は南大阪町で生活保護の担当をしております。病院から俊一さんの医療費のことで相談を受けまして、調査を進めてまいりました。その結果、ご実家の連絡先がわかりましたので、ご連絡を差し上げた次第です」
「俊一は…。俊一は無事なんですか!」
「現在意識不明で、ICUで治療中です。もしよろしければ、俊一さんのこれまでの生活のこととか、大阪に出てこられた経緯とかをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
山村俊一さんの母…山村正子さんによれば、俊一さんは中学校卒業後、モデルになるという夢を携え、家族の反対を押し切って来阪した。家族は母と2歳年上の兄…父は俊一さんが小学校3年生の時に病死している。正子さんは、松山市役所の嘱託職員として働き、兄の洋治さんも、松山市役所で正職員として働いているとのことである。
正子さんは、住民票を調べて俊一さんの居所を把握し、常々心配はしていたが、彼の性格を考え、自分から連絡することはしなかったそうである。
「森山さん。この度はご連絡ありがとうございました。明日にでも大阪へ出向きます。そして俊一に会ってやりたいと思います!」
「山村さん。そう言っていただけるとうれしいです。公用車でご案内させていただきますので、一度南大阪町役場にお立ち寄りいただいてもよろしいでしょうか?」
「はい。ありがとうございます!」
私はすぐに、共済会記念病院の木下MSWと、遠山社長に連絡した。
翌日の午後、山村正子さんと、俊一さんの兄、洋治さんが南大阪町役場にやってきた。ほどなく遠山社長もやってきて、玉城さんも交えた5人で共済会記念病院に向かった。
木下MSWとともに、主治医の伊藤先生から、俊一さんの病状説明を受ける。伊藤先生によれば、患部が急所を外れているため、ほどなく意識は回復するだろう。おそらく後遺症の可能性もないとのことである。安心した母・正子さんは、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「お母さん。こんな時に非常に申し上げにくいんですが、俊一さんの医療費のことでご相談させていただきたいんです。俊一さんは国民健康保険に加入されています。高額療養費制度を利用すれば、医療費はそれなりに抑えられると思うんですが、ご家族でご負担いただくことは可能でしょうか? 念のため役場にも連絡をし、生活保護の適用も可能なように段取りはいただいております」
正子さんが落ち着くのを待って、木下MSWが切り出した。遠山社長が、こんな時に何を言うかと怒っている。私はまあまあ…と社長をなだめ、話に割って入った。
「お二方とも役所にお勤めなのでご存知かと思いますが…ご家族の扶養は生活保護に優先されることになっています。よく誤解されるんですが、これは、ご家族の生活を犠牲にしてまで扶養せよということではありません。まずはご家族の生活を優先していただいて、余力があれば手助けをしてあげてくださいということです。もし俊一さんの医療費等のご負担が難しいということであれば、我々は生活保護の適用の方向で調査を進めていきたいと思っています。生活保護はご親族からの申請でも大丈夫ですので、お母さんに保護申請をしてもらって、手続きを進めていくことになります。お母さん、洋治さん、どうされますか?」
「森山課長さん、ありがとうございます。この子…俊一は私の大事な息子です。私の責任で、きちんと面倒を見てやりたいと思っています。俊一は中学校卒業と同時に家を出て行きましたけど、私はこの子のことが心配で、ずっと生命保険を掛け続けて来てるんです。今回の入院費も給付金で賄えます。ですので、生活保護の申請はしません。この度はお手間をおかけして申し訳ありませんでした」
正子さんは頭を下げた。そして引き続き…
「遠山社長さん。この子のことを可愛がっていただいてありがとうございます。何をさせても長続きしない子が、7年以上も頑張っているということは、本当にいい会社なんだと思います。元気になったらまた引き続き使ってやってください。よろしくお願いします!」
「お母さん。そんなこと言われたら恐縮してしまいますわ。ウチは個人事業主の集まりでしてな、自己責任の部分も多いんですよ。正直なところ、ワケアリの従業員も多い…。そんな中で7年も頑張れてるのは、山村…いや、俊一君の実力やと思うんですよ。彼は礼儀正しくてね。年配の従業員たちからも息子みたいに可愛がられてますわ。得な子やと思います。もちろんウチでちゃんと面倒見ますので安心してください。ホンマはもっとちゃんとした会社に送り出してやりたいんやけど、彼にはモデルになりたいという夢もあるしね…」
俊一さんは、我々が病院を訪問した3日後に意識を回復した。そして10月末、退院して遠山紙業の寮に戻った。退院日、役場に挨拶に来てくれた俊一さんは、我々に深々と頭を下げてこう言った。
「おかげさまで、無事に退院して仕事に復帰することが出来ます。母に連絡を取っていただいたおかげで、入院中じっくり話が出来ました。母も私の生き方を理解してくれたようです。いろいろと助けていただいてありがとうございました」
「山村さん。元気になられてよかったですね。あなたの人生ですから、どうか納得のいくまで頑張ってください。応援してますから…」
玉城さんが、俊一さんにそう声をかけた。
「課長。私、この仕事やっててよかったなと思いました。山村さんが元気になられて本当によかったと思います!」
俊一さんが帰った後、玉城さんが私にそうつぶやいた。
「玉城さん。これがこの仕事の醍醐味ですよ。1年半経って、だんだん面白さがわかるようになってきましたね。そのままズブズブとはまってください。ズブズブと…」
「課長。安心して大阪府に戻ってください。あとは玉城が全部やってくれますから!」
阿部主査が茶々を入れる。そして課内は爆笑の渦に包まれた。
玉城さん自身が自覚しているように、彼はこのケースで一段階ランクアップしたと思う。我々は場数に育てられる。成功すれば、その体験を次にそのまま生かせばよい。失敗すれば、どこがまずかったのかをしっかり検証して、次は同じ失敗を繰り返さないように注意すればよい。
「課長。共済会記念病院の木下さんからお電話です」
北山さんが私に電話を取り次いでくれた。
「森山課長。山村さん無事に退院されました。この度はいろいろとありがとうございました。生活保護にはならなかったのにいろいろ助けていただいて…今後ともよろしくお願いします」
「木下さん。お疲れ様でした。木下さんが私に連絡をくれはったから、お母さんと山村さんの絆が復活したんですよ。我々も生活保護をかけるだけが仕事ではないので…。あ、でも、医療費の穴埋めのためだけに保護の話を持ってくるのはやめてくださいよ。お願いですから…」
「森山課長、相変わらず冗談が過ぎますよ! あっ、でもちょっと心が痛みます。どうか今後ともご贔屓に…」
やれやれ…ともあれ一件落着である。
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