第9話 山村さんの急迫保護

 暦は10月に入った。今年は残暑が厳しく、まだまだ夏の風情が残っている。そんなある日の朝、共済会記念病院の木下MSWから電話が入った。


 「森山課長。お久しぶりです。急迫保護の相談なんですが、よろしいでしょうか?」


 「よろしいも何も…とりあえず状況を聞かせてくださいな」


 「山村俊一さん22歳。遠山紙業の従業員です。昨日夕方仕事中にトラックから転落して頭部を強打。当院に救急搬送されてきました。外傷性硬膜下血腫で緊急手術を行いましたが意識不明の状態です。健康保険は国保です。とりあえず、救急車に一緒に乗ってこられた同僚の方から事情は伺ったんですが、親族等の情報は得られず、医療費の支払い能力も不明です。そこで、急迫保護を検討いただけないかと…」


 「木下さん、状況は理解しました。遠山紙業か…あそこの従業員は個人事業主扱いなんで、労災の適用は無理ですもんね。とりあえず地区担当ケースワーカーに指示します。少しお時間をいただけますか?」


 「森山課長。いつもすみません。ありがとうございます!」


 遠山紙業…企業や町内会の廃品回収を手がけている会社である。従業員は個人事業主扱いで、会社が各従業員にトラックを貸与し、回収してきた廃品を買い上げる形で利益を得ている。一応社員寮もあるが、日貸しになっていると聞いている。


 数年前、私が大阪府南部福祉事務所の査察指導員をしていた年…ここからの保護申請が急増した。そのほとんどは、病気や事故等の医療費がらみである。事情を聞く中で、ほとんどの従業員が無保険状態であることが判明し、社長に直談判に出向いたという出来事があった。それが縁で、遠山社長とは忌憚なく意見を交わせる関係になっている。


 遠山紙業は雨森地区にある。担当は玉城さんである。


 「玉城さん。ちょっといいですか? 遠山紙業の急迫保護新規です。よろしくお願いします。とりあえず、私から遠山社長に電話をして状況を確認してみますね」


 「課長、よろしくおねがいします。遠山紙業ケースは初めてなんで、いろいろ教えてください!」


 私は名刺ケースを開き、遠山社長の携帯番号を確認。そして電話を架けた。


 「遠山社長。南大阪町生活保護課の森山です。ご無沙汰しておりまして…」


 「おーっ! 森山君。久しぶりやなぁ…元気してる? 町長から、森山君を大阪府から引っこ抜いてきて生活保護課長にしたって聞いてたんよ。今ちょうど電話しようと思ってたとこや」


 「町長って…エラい大層な話ですねぇ…。それはさておいて、私への用事って、もしかして山村さんの件ですか?」


 「そうよ。あれ? なんで知ってるん?」


 「さっき共済会記念病院から、急迫保護の相談があったんですわ。社長、電話ではアレなんで、今から担当ケースワーカーと一緒に寄せてもらってもよろしいですか?」


 「おう、助かるわ…すまんなぁ!」


 私は玉城さんとともに、公用車で遠山紙業に向かった。


 遠山社長から聞いたところでは、山村さんは愛媛県松山市の出身で、中学校卒業とともに来阪。遠山紙業にはその後ずっと勤めているとのことである。松山には母親がいるそうだが、山村さん自身がそれ以上のことは話したがらず、家族との関係性は全くわからないとのこと。勤務態度は真面目で、昨日も非番だったところを他の従業員と交代して仕事に出て行き、事故に遭ったようである。


 「森山君。すまんなぁ…。一応山村の部屋も確認したんやけど、家族の連絡先とか、手がかりになるようなものは何も見つからんかった。預金通帳がでてきたんで、銀行へ行って記帳してみたんやけど、ほとんど金もあらへんわ。あいつ、モデルになりたい言うて、休みの日に大阪市内までレッスンにも通ってたから。あ、でもな、国保にはちゃんと入らせてるで。昔あんたにこっぴどく叱られたからなぁ…」


 「社長。あの時は生意気言うてすんませんでした。でも、個人事業主の集合体やから社保もないし、社員を守るには大事なことですからねぇ…。それはさておき、国保が南大阪町にあるということは、住民票も南大阪町にあるということなんですよ。役場に戻って戸籍とか調べてみます。またいろいろ協力してください」


 「森山君、ありがとうな。俺、公務員は嫌いやねんけど、あんたは好きやねん。いつも腹割って話をしてくれるからなぁ…」


 「社長。山村さんの担当は玉城です。しっかりした職員ですので可愛がってやってください」


 「そうか。森山君がそう言うんなら信用するわ。玉城君、よろしく頼むわな!」


 「遠山社長、こちらこそよろしくお願いします!」


 我々は再び役場に戻り、今後の対応を協議した。


 「とりあえず…住民基本台帳から本籍地を辿り、本籍地に戸籍と戸籍附票を請求してみましょう。あとは資産調査もしたいんだけれど、本人の同意書が取れないので、当面は遠山社長にもらった通帳の写しを挙証資料にしましょう。玉城さん、早速戸籍等調べてもらっていいですか? 私は共済会の木下さんに電話しときますから」


 「課長、すぐに調べます!」


 私は共済会記念病院の木下MSWに電話をし、取り急ぎ今日の動きを伝えた。そして、まだ急迫保護を決定したわけではないので、レセプトは保留にしておいて欲しいことも伝えた。

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