第3話 夫のDVから妻を守れ

 ゴールデンウィーク明けの5月8日、母子福祉係の宮本係長が私のところにやってきた。


 「森山課長。そちらで保護を受けている、東山徹さん世帯の件でご報告があります。結論から申し上げると、徹さんからのDVが認められましたので、昨日美香さんを町内のシェルターに保護しました。今後警察や家庭裁判所とも連携して、被害届をどうするかや、保護命令の申し立てについても検討していくことになります。取り急ぎご一報をと思いまして…」


 「東山さんの担当は…北山さん、ちょっといいですか?」


 私は北山さんに声をかけた。そしてそのまま面接室に移動し、宮本係長からもう少し詳細な話を聞くことになった。


 東山徹さん38歳、美香さん31歳。夫婦ともにパニック障害等で心療内科に通院している「傷病者世帯」である。これまでも些細な行き違いから夫婦喧嘩に発展し、警察沙汰になることもあったが、今回は徹さんが美香さんをテレビのリモコンで殴り、顎に裂傷を負わせているとのことである。昨日美香さん自身が警察に通報し、警察が母子福祉係に「DV事案」として通告。美香さんの身の安全を図るために保護したという経過のようである。


 「森山課長。美香さんがシェルターに保護ということは…生活保護は適用出来ませんよね?」


 「いや。医療単給で保護の継続は可能です。北山さんが気にされているように、生活扶助や住宅扶助は適用できませんが…。一応今日付けで美香さんの生活扶助の削除をする必要があります。家賃は幸い単身世帯の上限額以下ですので、そのまま適用が可能です」


 「生活扶助差額は返還…ですよね?」


 「マニュアルどおり行けばそうですが、美香さんが保護された上に、保護費まで減るとなっては…徹さん余計に逆上しませんかね? 今月分は返還免除で行きましょう。6月分はどうしようもないですが…。宮本係長、今月中に何らかの方向性は出ますよね?」


 「うーん…美香さん次第ですが…」


 宮本係長の煮え切らない発言を聞き、北山さんは怪訝な表情を浮かべて私に視線を送ってきた。


 「宮本係長。とりあえず、生活保護については今申し上げたような対応で行きます。徹さんが我々に何かを訴えて来たときには、母子福祉係で相談するよう伝えてもいいですか?」


 「それでお願いします。我々もできるだけ早く方針立てしますので、今後ともご協力をお願いします」


 宮本係長は、そういい残して去っていった。


 「課長。失礼ながら、宮本係長大丈夫でしょうか? 煮え切らないので、少しイラっとしてしまいました」


 「北山さん。DVは、夫が妻に暴力を振るう…もしくはその逆ですよね。一見構造はシンプルなんですが、実は根は深いんですよ」


 「えっ? それってどういうことですか?」


 宮本係長が煮え切らない理由は、「DVは繰り返される」からである。これまでも、美香さんが徹さんのDVを訴えたことは多々あるようだが、結果として元の鞘に戻っている。暴力を振るわれ、謝られて優しくされ、また気がつけば暴力を振るわれ…エンドレスなケースが多い。私は、DVは一種の愛情表現の形であり、そこには「共依存」の構図があると思っている…そんな話を北山さんに聞かせた。


  数日後、再び宮本係長がやってきた。美香さんは被害届こそ出さないものの、家庭裁判所に保護命令と離婚調停の申立てをする決意を固めたとのことである。私は北山さんに、生活保護の立場として美香さんの意思を確認してくるよう指示した。そして翌日…


 「課長。宮本係長と一緒にシェルターを訪問して、美香さんと話をしてきました。今回は離婚の意志が固そうです。週明けにも保護命令と離婚調停の申立てをするとのことで、すでに書類の準備も整えていました」


 北山さんは、私にそう報告してくれた。


 「北山さん。ここから先、生活保護としてどう対応していきましょうかね?」


 私は北山さんに問いかけた。


 「生活保護としてできるのは、離婚後の美香さんの住居設定ですよね。あとは徹さんに、美香さんの正式な世帯員削除と保護費の減額を突き付けること…」


 「北山さんのおっしゃるとおりです。理屈的には、家庭裁判所に係属すれば住居設定の段取りは可能…。でも、実務的にはタイミングが難しいと思いますよ。それは…共依存の構図があるからです。美香さんが急に態度を翻す可能性があります。慎重に対応しましょう」


 6月初旬…東山さん夫妻は、美香さん…言い換えれば母子福祉係のペースに徹さんが巻き込まれる形で、離婚という結論を出した。徹さんはそのまま南大阪町に残り、美香さんは生活保護費で大阪市内に住居設定をし、「ケース移管」という形で、生活保護を継続したまま転出していった。


 宮本係長や北山さんは、まるで厄介払いができたかの如く、晴れ晴れとした表情をしていたが、私はどうも釈然としなかった。お互いが納得できるよう、もう少しきちんとプロセスを踏ませる必要があったのではないのか…?


 しばらくして後、私の懸念が現実になる。悪い予感…というか、経験則は当たるものなのである。

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