第4話 火事だ!

 6月中旬。一応梅雨入り宣言が出されたものの、全く雨が降らない。梅雨前線は日本のはるか南に居座ったままで、まるで5月のような爽やかな毎日が続いている。課内も比較的平穏で、課員たちも皆落ち着いて仕事をしている。生活保護課のような部署は、忙しくないに越したことがないのだ。


 ところがそんな空気が、1本の電話で激変した。


 「玉城さん! 助けてください! ウチのアパートが燃えてるんです!」


 ケースの大野加代子さんからの第一報であった。菰野地区にある「青雲荘」という古いアパートで火災が発生。そこには75歳の大野さんと、片山博さんという83歳の男性がそれぞれ1人で暮らしている。片山さんは耳が遠い。火災に気付かず取り残されてなければいいのだが…。


 「課長。すぐに行った方がいいですよね?」


 玉城さんはそう言いながら、すでに外勤カバンを肩にかけて、公用車のキーを握っている。


 「玉城さん、ちょっと落ち着きましょう。我々が今行っても、消火活動の邪魔になるだけですよ。大野さんに電話を入れて、もう少し詳しい状況を聞いてもらえますか? 駆け付けるのは、少なくとも鎮火した後で構いません」


 青雲荘は2階建てで、合計8世帯が入居できる。現在は大野さんと片山さんを含め、6世帯が入居しているようである。今回は2階の角部屋から出火し、大野さんの情報では建物全てに火が回っており、住民1人の安否がわからないとのことである。


 「玉城さん。片山さんの親族関係わかりますか?」


 「町内に娘さんが住んでいます。連絡先もわかります」


 「安否不明の住民が片山さんの可能性があります。すぐに娘さんに連絡を入れてください」


 玉城さんにそう指示した後、私は町の消防組合に電話を入れて、ケースが火災に巻き込まれているため、今後の情報提供をお願いしたい旨伝えた。


 第一報から約2時間後、消防組合から火災が鎮火したとの情報が入った。負傷者が1名おり、共済会記念病院に救急搬送したが、心肺停止状態とのことである。


 岩本主査に留守番をお願いし、私と玉城さんは青雲荘に向かった。建物に近付くにつれて強まる火災臭…規制線を張っていた警察官に事情を話し、中に入れてもらった。


 我々を見つけた大野さんが、泣きながら走ってきた。大野さんによれば、救急搬送されたのは片山さんで、駆け付けてきた娘さんも救急車に乗っていったとのことである。


 「大野さん。無事で良かったです。これからの生活のことは我々も一緒に考えますので安心してください。とりあえず今日はどうされますか?」


 「玉城さん、課長さん、ありがとうございます。しばらくは、泉州市にいる友人のところで世話になるつもりです」


 「わかりました。緊急やむなしということで、生活保護は継続します。役場からお見舞金も出ますし、保護でも新しいお家の設定費用や家財道具の費用は出せますので安心してください」


 その時、胸ポケットに入れていた業務用携帯電話が鳴った。岩本主査からである。共済会記念病院に搬送された片山さんの死亡が確認されたとのことであった。


 私はこみ上げる感情を押し殺しながら、引き続き大野さんに寄り添った。今我々ができるのはこれくらいのことしかない…無力さを感じた。


 大野さんを公用車で友人宅に送り届け、我々は役場に戻った。すでに終業時間を過ぎていたが、課員全員が待っていてくれた。


 片山さんは娘さんによって手厚く弔われ、後日娘さんが挨拶に来られた。大野さんは、家主が管理していた別のアパートに住めることになった。家主の好意で敷金礼金等は免除され、家具什器費や布団代のみを生活保護から支給。衣類や日用品は、役場からの見舞金や、社会福祉協議会からの寄贈品で賄った。


 火災が起きた頃の好天続きの日々とはうって変わって、外は大雨が続いている。なかなか気持ちも晴れない。

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