境界線 01―不機嫌な眼鏡男・佐島直―
皐月山子供会詰所のドアを開けると、そこには世にも不機嫌な眼鏡男がいた。
「今、始末書を始末してるところだから、ちょっと待て」
こちらを見ようともせず、資料山積した長机に向かい、ひたすら手を動かしているのは、皐月山子供会
統括または事務局という立場にあるのはまずもって人外という皐月山子供会のなかにおいて、今期唯一の人間。
紆余曲折あったせいで、二、三年後には佐島と同じく生粋の人間ながら何かしら肩書のついてしまいそうなことになってしまっている
とはいえ、控えめに言って生まれてこの方“聡明”に類する評価など受けたことのない高田でも、黙っていた方がいくらかいいとわかる空気に立ち尽くす。
と、人のいる気配はありながら応答がないことに苛立ったのか、佐島はぶんと音がしそうな勢いで振り向き、あ? と眉をひそめて、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「なんだ?
「え、いや、たかるなにかって……」
「
「あ、はい」
フルネームを呼ばれ、思わずぴしゃっと直立する。
その様子を見てか、聞えよがしな溜息を吐いた佐島は、で、なにしにきた、と言いながら長机に向き直る。
下らない理由を言うのはもちろんのこと、沈黙も許されない気がして、とりあえず約束をした相手の名だけを口にする。
「約束をしてて、その、
「あ?」
言い終わらないうちに、佐島は再び振り返り、唸るような声を上げた。
「
そして、俊鬼という通称の通り、人外。
ここ皐月山では、人間に備わるはずのない能力を持ち、皐月山で最も古い家である絹山宗家の当主が認めたものを
俊輔は絹山宗家の直系で、鬼と呼ぶにふさわしい強烈な力と外見の持ち主だが、性格だけでいうならば佐島の方がよほど鬼。現に今日、俊輔は「すまない、高田。頼みたいことがあるので詰所にきてくれないか」と、笑みこそないが実に穏やかな調子で高田をここへ呼び出した。
約束の時間まで、あと十五分ほど。詰所で適当に漫画でも読んで時間をつぶしておけばいいかと出てきたものの、大間違いだったと今更ながらに思う。
せめてなんの用かくらいは俊輔に訊いておいた方がよかったのか。なんとなくどんな用であってもさらにキレられそうな気がしたが。
「用も知らずにのこのこと呼び出されているのか? お前は」
やっぱりこっちの方が鬼だ。ていうかなんでこんなにこの人怖いんだ? 中三が小六に向けるもんじゃあないだろ? これ――佐島の気迫に内心そんなことをつぶやきながらじわりと後退りする。と、背後からドアの開く音がした。
地獄に仏とばかりに振り返り、しかし、またもや「俊輔さん」と言い切ることはできなかった。
そこにいたのは俊輔ではなく、一本杉地区の中学一年、
どちらかというと文化系寄りで、どこか気弱そうな見た目。にもかかわらず、
「あ、お前は春木一太の友達!――で、なにやってるンすか、佐島先輩」
実際は人懐っこく、鬼より鬼の佐島に対してもフランクな態度を取る小原は半人半鬼。
「小原、お前も俊鬼に呼ばれたのか?」
あァ? と、いよいよ咬みつきそうな佐島に怯むことなく、はい、と頷く。
「先輩もっすか?」
「俺は始末書の始末だ」
「始末書の始末って! 握り潰す系っすか!」
いくら鬼っぽい佐島さんでもそんなことはしないだろうっていうか言い方、と内心思ったが、
「まあな」
どうやら本当に握り潰す系らしい。
ぎょっとする高田をよそに、佐島はうんざりしたように溜息をつく。
「逆に俺がまともに書くと思うのか」
「書かないっすね!」
茶化すように訊いた割りに平然と小原は頷いた。
「先輩自身の始末書ってわけでもなければ握り潰す系しか誰も託さないでしょ――で、誰のっすか?」
「正体不明。持ってきたのはうちの自治会長。『子どもがやったことにしてくれ』だと」
――混じりけのない人間である高田が、皐月山子供会の幹部に関わるようになったのは数ヶ月前から。
普通の子供会にしか見えないここが普通はないというのはいい加減わかってきたが、まだ、すべては見えてこない。
「ヤな感じっすね」
渋い顔になった小原のつぶやきに、まあ仕方ないだろ、と、もっと渋い顔をして佐島が言う。
「明らかに大人がやりそうなことでなければ、子どものせいにするのが早い。それが人間技でなさそうならば、俺に押し付けるのが早い」
一先ず提出はする。ただし、中身は適当。しかも、皐月山子供会経由で須垣自治会に渡す、ということらしい。
知っている大人はそれで察する。概ね人外の仕業だろう、と。
躾のなっていない子鬼か、あるいは鬼ですらない存在か。
「どんな内容なンすか?」
「あー……」
よほど言いにくいのか、普段は物理で殴るような勢いで言葉を繰り出すのに、しばし母音を伸ばしたあと、
「……始末できたら教えてやる」
と言った。
悩ましかったのだろう。だから、余計に不機嫌だったのかもしれない。
高田と小原が、佐島の始末書の中身を知ったのは、それからほどなく俊輔が迎えにきて、すったもんだがあってのあとのことだった。
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