神殺しの条件

「はるきいちた、春木一太――」

 声に出してみる。

 姉が、いや、姉だけではない、全員が気に入っている、私のクラスメイトの名前。

 春木一太は、去年の四月、皐月山へやってきた。最初はただの転校生だった。

 転校生ということ以外に目立つ要素はなく、夏休みが終われば、最初からここにいたかのように溶け込むだろうと思うまでもなく感じていた。

 でも、その夏休み、平凡だったはずの転校生は

 素養はもとからあったのだと思うよ――幸哉さんはそう言っていた。実際それらしい話を当の春木からも聞き、何よりそうとしか思えないことにも遭遇した。

 けれども、私たちは山神の使い魔。春木のなかに棲みついているのは海神。

 海の要素なんてない土地で、春木は海の匂いをまとって私たち、山神の鬼たちのなかにいる。

 それは春木にとっては不幸なことだ。

 春木は普通の人間だった。

 私たちとともにあるのはいい。けれども、私たちのなかにいるのは不幸だ。


『嫌かい? じゃあ試してみればいいよ、西條』

 いつか、春木の意識を乗っ取った海神はそう言って笑っていた。

『君は単眼鬼と違って、君自身よりはるかに強いもの相手でも討ってかかることができる』

 私は姉より弱い。

『私じゃあ一太は助けられない、って顔だね、西條』

 海神が春木の顔であざ笑ったのは一瞬、

『さあ殺しにこい。躊躇うな、

 真摯な表情、そして、声。

 でも、私の名は呼ばなかった。

 神から名を呼ばれ、命じられたら、それがたとえ仕える神でなくても逆らうことはできない。

 だから、殺しにこいと言われたら行かなくてはならない。返り討ちで殺されるとわかっていても。

 それがわかっているからこそ私の名を呼ばなかった神は、いくじがないねえ、とつまらなそうに言った。

『君なら僕を殺せるかもしれないのに』

「嘘つき」

『ひどいな。万に一つの可能性にかけて、あえて呼ばなかったのに』

 相手への憎悪を力に変換して戦う鬼。それが私。

 理論上、神も殺せる。

『一太の姿をしている僕は殺せない? かわいいな、西條は』

「……ありがとう。次、あなたが本性出した時には躊躇わずに殺せそう」

 右目を右の掌で覆い、牙を剥いて見せると、こわいなあ……、と笑って神は沈んでいった。

 ほどなく代わりに現れた春木に、私は素知らぬ顔で、おかえりなさい、と告げ、何も知らない春木は、うん? た、ただいま? と困惑したように答えていた。


 春木は普通の人間なのだ。


 いつか必ず、私はあの神を殺す。

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